【麦わら帽子】
私は夏になると、麦わら帽子を作る爺さんを思い出す。
そう、最後に会ったのは猛暑だった。
ジリジリと焼けつく暑さと蝉の声がうるさくて、私はいつものように爺さんの家に転がり込んだ。
昔ながらの平屋。
縁側にゴロンと横になって景色を眺めると、緑の茂った山と青い空のコントラストはなかなかのものだ。
「おや、また来たのかい」
家の持ち主がやってきた。
愛想のいい、腰の曲がった爺さんだ。
私は片手をあげ挨拶すると、ふと彼の頭に視線をやった。
この家の爺さんはよく麦わら帽子を被っている。それが私にはどうにも不思議でたまらなかった。
人が帽子をかぶるのは珍しくない。問題はそのデザインだ。
彼の帽子は鍔が広く、花柄のピンクのリボンがついていた。
「前から不思議に思うが、なぜ爺さんはその帽子をかぶるんだ? 花柄は女物なのだろう?」
私は、水を差し出してくれた爺さんに思わず尋ねた。
爺さんは少し驚いた仕草をしたが、すぐに帽子に手をやった。
「変かい? 俺は変とは思わないんじゃがね」
「爺さんが普通でも、私は変だと思うよ」
「ははは、おまえさんに変と言われる日が来るとは、驚きじゃなぁ」
爺さんは屈託なく笑うと、隣に腰掛けて帽子を脱いだ。
「この帽子はなぁ……婆さんのために編んだ帽子なんじゃよ」
話をまとめると、こうだ。
帽子屋を始めて一番最初に編んだのが、老婆さんのための麦わら帽子だったそう。
老婆さんが亡くなり形見となると、彼女を忘れたくないと持ち歩くようになったのだ。
「誰しも。自分の死より悲しいものがあるとするなら、誰かに忘れられることじゃないかと思ってなぁ」
爺さんが愛おしそうに麦わら帽子をなでる。
その言葉に、私は亡き親友を思い出した。
自害をした私の友。
自ら車の前に飛び出しての最後だった。
『消えたい』と、いう彼の最後の言葉は、『忘れて欲しい』という言葉によく似てる、と。
でももしかしたら、『忘れないで』という言葉の裏返しだったかも知れない。
「そうかも知れないね」
「ははは、おまえにわかってもらえるとは意外じゃな」
爺さんは呑気に笑い、また帽子を被った。
その帽子が、私はどうしようもなく羨ましく思えた。
「なぁ、爺さん。私にもひとつ帽子を編んでおくれよ。そいつとお揃いのやつでいい」
「おまえさんにかい?」
「変かい? 私は変とは思わないんだがね」
私の言葉に爺さんは、声をあげて笑っていた。
そして私の帽子が、彼の最後の作品となった。
それ以来、毎日のように小さな麦わら帽子を被る。
私のような『猫』が帽子をかぶるのはおかしいかい?
だが、私は変とは思わない。
帽子の中には私の思い出が、たくさん詰まっているからだ。
【病室】
白いお部屋から帰ってきた子供がね、
夜眠る時
僕の腕をギュッと抱きしめて寝るんだ。
親友は、俺にそう語ってみせた。
子供の彼が入院したのは、一才の頃。
一才の記憶なんて、誰が覚えているだろうか。
生まれつきの持病がわかり、やっと衰弱した理由を知るには、少し遅いくらいだった。
でも、知らなければ死んでいた。
子も、親もだ。
病気により日に日に弱る君。
それはお前のせいだと、親を罵る周囲。
難病だから小さな病院では見つけられず、専門医に出会うまでは「大した病気ではないのに」と医者から嘘をつかれていたことなど、入院するまで誰が気づいただろうか。
入院初日、病室で泣きあう親子の気持ちは、きっと他にはわからない切なさを帯びていた。
子供はやつれていたが、親もひどいクマを作っていた。きっと子供が死ぬのが怖かったのだろう。
治療すれば治る。
けれど珍しい奇病の為、施術は困難。
だから入院は長引いた。その間に、子供は5才にになった。
その間に色々なことがあって、多くは病との闘いで、子供は逞しく成長した。
来年には学校にも通うのだという。
それでも。
やっぱり、寂しいんだね。
今でも親の手を、ギュッと握って寝る。
「行かないで」
と言うより。
「消えないで」
と願うかのように。他のことは、少し違う握り方らしい。
俺は彼らに、これからは良いことがたくさんあると良いと思う。病気が治ったことだけじゃなくて、他にも、色々なことが。
俺には叶わなかったから。
病室を卒業した君へ、幸せがありますように。
【お祭り】
お祭りは、何が起こるかわからない。
「夏の祭典だぁああああ!!」
と意気込んでいたのは数分前のこと。
俺は念願のコミケ会場でぶっ倒れたのだ。
この日の為に、バイトで金を貯めたと言うのに。
まさか、こんなことになるなんて。
「熱中症だね、無理しちゃダメだよ」
じきにスタッフが来るからね、と話すのは俺を助けてくれた三崎と言うお兄さんだった。
倒れた俺に気付き、スタッフを呼んでくれた親切な人。
そしてスタッフは他の客の対応や、熱中症に倒れた人の看護で大忙しなので、暫く話し相手になってくれていた。
「すいません。東京がこんなに暑いと知らず……」
ドンマイ、と三崎さんが苦笑して。半分凍ったスポーツドリンクを渡される。
頭に押し当てると頭痛が引くような気がした。
ありがたいけど申し訳ない。
本当なら今頃、お互いに薄い本を買い漁っていただろうに。
三崎さんの持っていたカラのトートバッグをながめていると、彼は小さな鞄にトートを折りたたんでしまってしまった。
「気にしないで。僕は帰るところだったから」
「帰る? まだ始まったばかりですよね?」
変わった人だなと思う。
「うん、ちょっと挫けちゃってね。君こそ、行きたいサークルがあったんじゃない?」
その言葉に、あっと思い出した。
「俺、『弱虫のミケ』さんの作品欲しくて来たんですよ!」
「……え?」
驚いたのは三崎さんだった。
「あ、知ってます?」
「うん、まぁ……でも、あそこは極小サークルだよ? 大した作品は……」
「そんな事! 無いです!」
俺は思わず声を荒げた。
「どんな作品も、“大したことない”物なんて一つもないですよ!」
……はっとして、我に帰る。
三崎さんが目を点にしていたからだ。
「えっと……その。俺は絵も文も書けないんで尊敬してて……!
何かを生み出すってスゲー事だと思うんっすよ!
特に『弱虫のミケ』のミケさんの作品は、繊細で、綺麗で、キャラクターの心情を丁寧に描くところが大好きなんです。俺なミケさんの作品読んで感動したことあって。泣いたことすらありまして…!
だから、その、大ファンで、つい……」
ごにょ、ごにょ。もじもじ。
言い訳を連ねる自分の姿が恥ずかしい。
ついでに頭もまたガンガンと痛み出して目が回りそうだった。
なのに。
そんな俺の事より、三崎さんのが顔を真っ赤にしていた事に驚いた。
「……そんな事、初めて言われた」
口元を手で隠し、遠くに視線を投げていた。
あ、え? うん?
どう言う事だろう。
あれかな、俺の発想が田舎すぎて恥ずかしい台詞を吐く人間でした的な……?
恥で死にかけてると、やっとスタッフがやってくる。
念の為、病院行きましょうと言われて、ヒィッと俺は悲鳴をあげた。
さらに追い討ちとなったのは。
「ミケさん、お手伝いありがとうございました」
とスタッフが三崎さんに投げた一言だ。
……え? まさか?
真相を確認する前に。三崎さんは雑踏へと消えてしまった。
お祭りは、何が起こるかわからない。
夏の祭りは特にそう。
会場を後にする俺。けれど、その心臓は、お祭り騒ぎで暫くうるさく高鳴っていた。
【誰かのためになるならば】
「身を削るほどの奉仕は美徳だから」
と、信じていたのはいつの頃からだっただろうか。
川に流された子を命と引き換えに助けた親の話。
怪我した恋人を寝ずに看病した女性の話。
あれは良い事ですと刷り込まれた自分は、愚かにも真似した結果、体を壊してしまったのだから恥ずかしい。
3日目になる白い天井を眺めていると、看護師が点滴を取り替えに顔を出すのに気づいた。
「体調いかがですか?」
若い男の看護師さんだ。
男もいるんだな、いや当たり前か。などと思いながら僕は小さく縮こまった。
「体調は、変わらないです。すいません、色々やってもらって」
「構いませんよ。仕事ですから。それよりあまり動かないでくださいね、まだ腰の骨がくっ付いてませんから。……トラックに跳ねられたそうですね」
「はい……」
子供を助けようとして、トラックに跳ねられた。
それが僕の犯した事だった。
見通しの悪い十字路。帰宅途中の子供が信号無視のトラックに轢かれそうになったのだ。
慌てて走り出し、子どもを迫る車の前から突き飛ばしたが、僕はトラックを避けきれなかった。
その後鈍い音がしてーー何が起きたか、実はよく覚えていない。跳ねられたんだと思う。あまりの痛さで記憶が麻痺したんだ。
でも目が覚めた時は救急車に運び込まれる時で。
ーー助けた、と思った子どもが、遠くから顔面蒼白で僕を見ていたのに気づいた時。僕は間違ったことをしたのに気がついた。
人助け、出来てなかったのかも。
……と。
「そうですね、恩の押し売りかもしれませんね」
「はは、は、すいません」
点滴を調節しながら看護師は言った。
そうかもしれない。と僕は思う。グサリと刺さる言葉を乾いた笑顔で隠そうとしたが無理だった。
「でも、どうしたらいいか、僕にはわからないです」
わからないんだ。
だって人助けは美徳だと教わって生きてきたから。家族だって素晴らしいと讃えてくれた。
でも脳裏にこびりつく。あの子供の顔。
助けたことは後悔してないけど、あの時どうしたらよかったのか、答えが出ずにいる。
「あなたも助かればよかったんですよ」
看護師は当たり前のように言った。気がつけば点滴の交換はもう終わっている。
え? と顔をあげる僕に差し出されたのは封筒だ。
それも束になっている。
なんだろう、これ?
「君が助けた女の子が、毎日来るんです。『私を助けてくれた人は直りましたか』って尋ねて、手紙を置いてくんですよ。子供は病棟に入れないので」
「毎日?」
「そう、毎日。あなたが怪我をしたのは自分のせいだと思っているのでしょう」
看護師はそう言うと、機材を片付けながら独り言のように言う。
「私たち看護師もいつも誰かのために働いています。でも、無理はしません。する時もありますが、私たちが倒れたら悲しむ人がいるのを知っているので無理しないんです」
ーー誰かを助ける為には、自分も助けなければいけない。
だから難しい、と言って看護師は苦笑した。
僕は目から鱗で、唖然としてしまった。自分も助かると言う発想がなかったのだ。
当たり前のことなのに。気づかなかった。
そうか、あの子は僕が怪我をしたから、あの時泣いたのか。青い顔をして。
「僕、無駄なことしちゃいましたかね」
「あなたの活躍も、人を助けたんです。無駄ではありませんよ」
「ははは、だといいな」
でもやる事は……学ぶ事はあったんだ。
病室を後にする看護師に、すいませんとまた苦笑する。
手紙の封を開けようとすれば、腕の点滴の針で痛んだ。
生きてる証のチクリとした痛みが、僕の心の中の小さな黒を蹴飛ばそうとしているみたいだった。
【今一番欲しいもの】
熱を出したのは、夏祭りの朝だった。
「ごめん、みんなで行ってきて」
平気だからと嘘をつくスマホ。
本当は、何でこんな日に、と唇を噛んだ。
私も行きたかったんだ。同級生と最後の夏休みだから。
悔やんでも熱は上がるばかりで、熱に潤む視界を布団で隠した。
両親が不在でよかった。夜迄に、きっと気分は落ち着くから。
なのに。
君の鳴らしたインターホンで私は叩き起こされた。
空はやっと夕暮れを終えた頃だ。
「お見舞い。祭り抜けてきたんだ」
扉を開けると、ぶっきらぼうな顔で言われる。
「何だ、気にしなくて良いのに」
愛想笑いでご対応。嬉しいのに素直じゃないところは私の悪い癖だ。
「あんま強がるなよ。一番楽しみにしていたのお前だろ」
それでも見透かしたように彼が話すから、少し熱が上がる。
君のそう言うとこ、好きだよ。
私の性格じゃ言えないけどさ。
部屋に招くと、彼はガサゴソと袋を漁った。お土産に屋台の料理を買ってきてくれたのだ。
「たこ焼きや焼きそばは元気になったら食べてくれ。あと果物も買ってきてて……」
「そんなに食べれないよ」
苦笑しながら言えば、そうか、と真面目にうなづく君。見ればリンゴ飴だけ一口齧られた跡があった。
「あ、それは俺の。ユキちゃんから貰ってさ」
ーーぁ。
つん、と小さく心臓を針が突く。
彼に想いを寄せるユキの笑顔が脳裏をよぎった。……彼女も祭りに来てたんだ。
並んで歩いたのかな。
腕を組んだりもしたのかな。
温まった気持ちが急に冷めてゆく。身体は熱いのに心だけが深海に沈むようで、落ち着かない。変な息苦しさがあった。
「それで、何か食べたいものある? 夕飯食べてないんだろ?」
彼が私を振り向いた。優しい言葉が遠く聞こえる。
私、今、どんな顔してんのかな。
「……どうした?」
「私、りんご飴、食べたい」
「え?」
言葉にして、彼が困ったのが見えた。
「ごめん、りんご飴は俺が齧ってて」
「君が食べたやつだから、欲しいの」
困惑しながらりんご飴を差し出す君が、あの、でも、と何かを口籠る。
それを聞こえないふりして、彼の噛み跡に私は黙って唇を寄せた。
叶わないなら、せめて。
夏に忘れたくない思い出を。
それが、私の欲しいもの。
ファーストキスは、甘くて切ない味がした。