【誰かのためになるならば】
「身を削るほどの奉仕は美徳だから」
と、信じていたのはいつの頃からだっただろうか。
川に流された子を命と引き換えに助けた親の話。
怪我した恋人を寝ずに看病した女性の話。
あれは良い事ですと刷り込まれた自分は、愚かにも真似した結果、体を壊してしまったのだから恥ずかしい。
3日目になる白い天井を眺めていると、看護師が点滴を取り替えに顔を出すのに気づいた。
「体調いかがですか?」
若い男の看護師さんだ。
男もいるんだな、いや当たり前か。などと思いながら僕は小さく縮こまった。
「体調は、変わらないです。すいません、色々やってもらって」
「構いませんよ。仕事ですから。それよりあまり動かないでくださいね、まだ腰の骨がくっ付いてませんから。……トラックに跳ねられたそうですね」
「はい……」
子供を助けようとして、トラックに跳ねられた。
それが僕の犯した事だった。
見通しの悪い十字路。帰宅途中の子供が信号無視のトラックに轢かれそうになったのだ。
慌てて走り出し、子どもを迫る車の前から突き飛ばしたが、僕はトラックを避けきれなかった。
その後鈍い音がしてーー何が起きたか、実はよく覚えていない。跳ねられたんだと思う。あまりの痛さで記憶が麻痺したんだ。
でも目が覚めた時は救急車に運び込まれる時で。
ーー助けた、と思った子どもが、遠くから顔面蒼白で僕を見ていたのに気づいた時。僕は間違ったことをしたのに気がついた。
人助け、出来てなかったのかも。
……と。
「そうですね、恩の押し売りかもしれませんね」
「はは、は、すいません」
点滴を調節しながら看護師は言った。
そうかもしれない。と僕は思う。グサリと刺さる言葉を乾いた笑顔で隠そうとしたが無理だった。
「でも、どうしたらいいか、僕にはわからないです」
わからないんだ。
だって人助けは美徳だと教わって生きてきたから。家族だって素晴らしいと讃えてくれた。
でも脳裏にこびりつく。あの子供の顔。
助けたことは後悔してないけど、あの時どうしたらよかったのか、答えが出ずにいる。
「あなたも助かればよかったんですよ」
看護師は当たり前のように言った。気がつけば点滴の交換はもう終わっている。
え? と顔をあげる僕に差し出されたのは封筒だ。
それも束になっている。
なんだろう、これ?
「君が助けた女の子が、毎日来るんです。『私を助けてくれた人は直りましたか』って尋ねて、手紙を置いてくんですよ。子供は病棟に入れないので」
「毎日?」
「そう、毎日。あなたが怪我をしたのは自分のせいだと思っているのでしょう」
看護師はそう言うと、機材を片付けながら独り言のように言う。
「私たち看護師もいつも誰かのために働いています。でも、無理はしません。する時もありますが、私たちが倒れたら悲しむ人がいるのを知っているので無理しないんです」
ーー誰かを助ける為には、自分も助けなければいけない。
だから難しい、と言って看護師は苦笑した。
僕は目から鱗で、唖然としてしまった。自分も助かると言う発想がなかったのだ。
当たり前のことなのに。気づかなかった。
そうか、あの子は僕が怪我をしたから、あの時泣いたのか。青い顔をして。
「僕、無駄なことしちゃいましたかね」
「あなたの活躍も、人を助けたんです。無駄ではありませんよ」
「ははは、だといいな」
でもやる事は……学ぶ事はあったんだ。
病室を後にする看護師に、すいませんとまた苦笑する。
手紙の封を開けようとすれば、腕の点滴の針で痛んだ。
生きてる証のチクリとした痛みが、僕の心の中の小さな黒を蹴飛ばそうとしているみたいだった。
7/27/2023, 3:11:45 AM