「名前を呼んでよ。」
私は「リン」だった。
名字なんて無くてみんなが私を「リン」と呼ぶ。
本名で呼ばれることなんてない。
この町の1人の老人以外には。
この町はみんなあだ名で呼びあっていた。
本名を呼ぶことはなかった。
まるで「名前」なくなったみたいに。
でも、1人名前を呼ぶ老人がいた。
「じぃじ」。彼のあだ名はじぃじ。私が産まれたときから町外れの小さなお家で暮らしていた。
じぃじは。じぃじだけは町の人達の名前を知っていた。
じぃじは私を「鈴」と呼ぶ。
本当にこれが私の名前か、それは分からないけどなんだか名前を呼ばれると胸が暖かくなる。
私の友達にもあだ名と名前がある。
「サク」ちゃんの花。
「セイ」くんの流星。
「シー」ちゃんの紫音。
「ダン」くんの春来。
みんな2つの名前を持っていて、じぃじに名前を呼ばれる時は嬉しそうに笑う。
嬉しい。嬉しい。まだ幼い私達にはそんな事しか
感じなかったけど。
みんなみんなじぃじが大好きだった。
そんなじぃじが亡くなったのはいつの日だっけ。
じぃじが亡くなった。心臓発作だったって。
じぃじが居なくなってからはまた「名前」がなくなった。
じぃじのお葬式にはたくさんの人が参列した。
じぃじは沢山沢山愛されていたみたい。
名前を呼ばれることはなくなった。
私は「リン」として生きていくしかないのだろうか。
ねぇじぃじ私のさ。名前を呼んでよ。
「鈴」が笑って過ごせる日々を私に頂戴。
じぃじが居なくなって改めて実感した。
私は「鈴」なんだって。
呼ばれなくなってから心が痛かった。
誰も私を呼んでくれないと思った。
愛されていないと思った。
私は一つ勇気を持った。
友達の「シーちゃん」に紫音って、名前を呼んだんだ。
紫音は不器用に笑って言った。
「鈴。どぉしたの?」
私の頬が少し火照った。
空は目が痛くなるほど晴れ渡っていた。
ねぇ。名前を呼んでよ。
「逆光」
自分の姿を力強く照らす光がある。
自分を「愛している」と強く言ってくれる貴方がいる。
眩しく輝いていて支えてくれる光があるから歩いていれる。
泣いても、影になって見えないから。
自分の弱さを隠してくれるから。自分の弱さも出していれる。
逆光が自分を隠してくれるのなら。
まだ、まだ少しだけ。
歩いていれる。多分ね。
自分の命を歌えるのなら、誰かを照らしたいって思ってしまうんだ。
悲しい歌。楽しい歌。なにもない歌。
過去の自分を救うように、ただひたすらに自分を肯定する。
そしていつか誰かを救えたらって勝手ながら
思うんだ。
自分で自分を守れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだけど。
貴方が私を隠してくれるのなら。
もう少し。まだ歩いていれるんだ。多分ね。
もう少し貴方の胸の中で泣き疲れて眠る日々を。
私に頂戴。
「貴方の涙が溢れる前に。」
貴方はいつも教室の端の方で泣いていた。
黒くて肩の下程まで伸びた髪の毛が嗚咽に合わせて揺れていた。
貴方の側には誰もいなかった。
あの頃の貴方には肩を優しく掴む友達も背中を優しく擦る友達も、なにも聞かずに側にいてくれる人なんていなかった。
一人きりだと寂しく泣く貴方は暗い顔をしている。
貴方から目が離せなくなったのはいつ頃だっただろう。気がついたら貴方を見つめていた。
僕が貴方の側に居れたのならば貴方も僕も少しは幸せだったかもしれない。
でも、出来なかった。
恥ずかしかったんだ。
貴方に瞳に僕が写ること。
ごめんね。僕が弱かったから。
あの頃から三年が経った。
貴方は幸せにやっているだろうか。
いつかまた会いに行かせてほしい。
胸を張って「大丈夫」だと無責任に言えるようになったら。今はまだ心からの「大丈夫」はでてこなさそうだけど。
「貴方の涙が溢れる前に。」
「椿が落ちた。」
椿が雪の上に落ちた。
ぽとっと呆気なく落ちた。
美しく力強く咲き誇る椿。
私の誇りで大好きな椿。
力無く雪の上に落ちた。
花弁が散った。雪に少しずつ染み込むように。
時は今より遥か昔。
幕府が滅び江戸が終わり新たな時代へと移り変わる
誰にも知られていない静かな時代。
そんな時代にも確かに人々は暮らしていた。
「貴方。またお弁当忘れてるわよ。」
下駄の音を荒々しく響かせ走ったのは私。
「あぁ。すまん忘れていたよ。」
私よりも頭2個分ほど大きな背丈は貴方。
「ありがとう」貴方は言った。私の頭を撫でながら笑う。
貴方はまだ私を幼く思っているみたい。
「いってらっしゃい。」
私は寂しい想いを押し殺して貴方に手を振る。
家庭を背負った貴方の背は大きく見えた。
冬が訪れた。
寒く冷える朝は辛い。
けれど私には貴方がいる。
貴方の大きな胸に抱きついた。こうしておけばいくぶんか暖かい。
雪は降り止むようには見えない。
雪は足の先を埋め込むほどには積もった。
我が家の庭には椿が植わっている。
凍えるなか咲き誇っている。
この椿は私にとって大切で誇りだ。
彼が仕事に行く。
凍えるなか首に布を巻き、帽子を深く被っている。
「気を付けて。いってらっしゃい。」
そう言って見送った。
そういえば最近は人斬りが増えているらしい。
物騒なものだ。昔とたいして変わらないが昔は対抗する手段があった。けれど今は刀を所持することは許されていない。襲われても自らを守る手段は限りなく少ないのだ。
この時代になり少しずつ電報というものが普及されている。遠くはなれていても素早く事を伝えることが出来る。
彼が仕事から帰ってこない。
もう11時を回りそうだ。
心配な気持ちもある。最近は人斬りも増えているのだ。大丈夫なのだろうか。
誰かが家の扉を叩いた。
「貴方?」
「電報であります。」
電報だ。誰が送ってきたのだろうか。
なんだか嫌な予感がするのだ。
「電報。10時47分頃 人斬りが今井橋周辺に出没。
人斬りにより─」
椿が落ちた。
雪の上に。
ぽとっと呆気なく落ちた。
椿が落ちた。
誇りで大切な椿が儚く散った。
花弁が散った。雪に染み込んでいく血液のように。
椿が落ちた。
「閉ざされた事。」
記憶を遡るといつも「誰か」がいました。
暖かくて大好きな人。
けれど上手く思い出せないのです。
「誰か」とは一体私にとってのなんなのでしょうか。
夕日が空に明るく光夜が深まっていく様な不思議な時間。「誰か」は私の肩に触れました。
暖かかった。
夏の日差しが鋭く突き刺さるような猛暑の日。
ベンチで座っている私の頬に冷たく冷えた缶ジュースを当ててきた「誰か」。
幸せだった。
大切で大好きで何にも変えがたい「誰か」。
どうして私は忘れているのでしょうか。
私のお家のお部屋には勉強机があります。
机についた一番したの棚には鍵をかけられました。
私はそこに確かに「何か」を詰め込みました。
鍵はどこにもなくなってしまい開けられません。
閉ざされた棚には一体何が入っているのでしょう。
そこを開けるとなにか思い出せるのでしょう。
例えば「誰か」のこととか。
虚しいですね。
すぐ近くにあるのに触れない。
思い出したくて仕方がない記憶なのに思い出せない。
「貴方」は一体誰なのですか?