「椿が落ちた。」
椿が雪の上に落ちた。
ぽとっと呆気なく落ちた。
美しく力強く咲き誇る椿。
私の誇りで大好きな椿。
力無く雪の上に落ちた。
花弁が散った。雪に少しずつ染み込むように。
時は今より遥か昔。
幕府が滅び江戸が終わり新たな時代へと移り変わる
誰にも知られていない静かな時代。
そんな時代にも確かに人々は暮らしていた。
「貴方。またお弁当忘れてるわよ。」
下駄の音を荒々しく響かせ走ったのは私。
「あぁ。すまん忘れていたよ。」
私よりも頭2個分ほど大きな背丈は貴方。
「ありがとう」貴方は言った。私の頭を撫でながら笑う。
貴方はまだ私を幼く思っているみたい。
「いってらっしゃい。」
私は寂しい想いを押し殺して貴方に手を振る。
家庭を背負った貴方の背は大きく見えた。
冬が訪れた。
寒く冷える朝は辛い。
けれど私には貴方がいる。
貴方の大きな胸に抱きついた。こうしておけばいくぶんか暖かい。
雪は降り止むようには見えない。
雪は足の先を埋め込むほどには積もった。
我が家の庭には椿が植わっている。
凍えるなか咲き誇っている。
この椿は私にとって大切で誇りだ。
彼が仕事に行く。
凍えるなか首に布を巻き、帽子を深く被っている。
「気を付けて。いってらっしゃい。」
そう言って見送った。
そういえば最近は人斬りが増えているらしい。
物騒なものだ。昔とたいして変わらないが昔は対抗する手段があった。けれど今は刀を所持することは許されていない。襲われても自らを守る手段は限りなく少ないのだ。
この時代になり少しずつ電報というものが普及されている。遠くはなれていても素早く事を伝えることが出来る。
彼が仕事から帰ってこない。
もう11時を回りそうだ。
心配な気持ちもある。最近は人斬りも増えているのだ。大丈夫なのだろうか。
誰かが家の扉を叩いた。
「貴方?」
「電報であります。」
電報だ。誰が送ってきたのだろうか。
なんだか嫌な予感がするのだ。
「電報。10時47分頃 人斬りが今井橋周辺に出没。
人斬りにより─」
椿が落ちた。
雪の上に。
ぽとっと呆気なく落ちた。
椿が落ちた。
誇りで大切な椿が儚く散った。
花弁が散った。雪に染み込んでいく血液のように。
椿が落ちた。
1/20/2026, 10:26:27 AM