「見つめられると」
重苦しい空気が肺に満ちた。
痛々しげなその姿が、自分の眼球を通して脳へと伝わる。どこにあるのか分からない心がジワりと、とろけるように形を崩して行く。滴った歪みは、狂った世界から自分をにべもなく追い出して。
目の前がまるで真っ暗になったように、気骨無い浮遊感に見舞われる。どこか恐ろしくて、どこか心地良かった。
それが正しかった。そんなことは分かっているのになぁ、なんて。心ない言葉が頭をよぎっては消えてを繰り返す。ああ、そうだ。きっと、そうでしかない。
けれど、それを認めたくなかった。ただ、それだけの話。そんな理想は、いつか塵になって消えて行くのだろう。
その言葉すらも、泡のように浮かんで、消えていった。
色の無い景色、諦観。
視界の端に映る雲の流れが世界を巡るように、目まぐるしく大気を移動して行く。建物という空間に入ってしまえば見えなくなるそれは、どこか幼げで、感傷的だった。
重怠げにゆらりと揺れる体をどうにか人並みに保って、彼らのもとへ赴く。そわそわと、期待と喜びしかないその空気感は、自分にはまるで似合わない。
けれど、それが当たり前なのだ。彼らにとっては楽しみでしかない。自分のためのものだから。自分の人生を満たす、その構成要素でしかない。否、そんな風に思っているはずもないのだけれど。
「博物館」。言うまでもなく、物を飾り、物を知る場所。そのためにあると言っても良いし、そのために作られた概念だ。人間的で、苦しいまでに自己顕示の執着心を反映させた施設。永久的な正しさを誇示するための機関。
特段行きたいわけでもなく、むしろ行く気の湧かないものだった。自分には縁もゆかりもない世界。がしかし、同僚から手渡されたチケットと、「何もない」という予定を前にしては、その選択は意味を持たなかった。
嫌でも視界に入るように設置されたのぼりがところ狭しと飾ってある。まるで滑稽だった。特別展示、なんて銘打って集客をする様は、いっそのこと清々しい。
『今回のテーマは虫! 虫の奥深さを体感しよう!』と打ち込まれたそれは記号の配列でしかないのに、心のこもったように見えてしまうのはなぜだろうか。
何のために、などと考えずに、諦めてそれを享受すれば良いはずなのに、自分にそれができないことが悔しいほどで。心のどこかにある諦観が、物哀しさを見出だしていた。
ふと掛かったアナウンスに耳を寄せる。聴きやすいようにと抑揚の付けられた声は機械的で、普遍的だった。その声につられて周囲の人々が動き出す。
特別、をそんなに強調しなくて良かろうに、なんてどうでも良いことか。けれどそれは、自分の心の中で深々と、音を立てずに積もっていく価値のあるものだった。
どうぞ、と手渡されたチケットは、先程からずいぶんと色味を失って見えた。ちぎられた跡、箱に落ちていく切れ端。
一つだった物体が何の因果か二つに分かれ、異なる道を体験し、いつか人間の都合で燃やされ、コロイドのように合一する。否、元々そういうものなのだろう。
示された道を、未だ重たい体を転がすように進んだ。『ようこそ』だなんて、誰に向けて言っているのだか。自分のために言われたとて、なにもその実感はもたらしてくれなかった。
薄暗く作られた照明は、微かに壁を照らし、展示を照らす。嫌、展示に注意を向けられるように、巧妙に加減を変えて。
視線誘導と言えば聞こえは良いのかもしれないが、結局は、作り手の解釈を押し付け、自由だった彼らの感性を奪うための構造だ。
……何でこんなことしか考えられないんだろうな。
頭を振る。いい加減止めるべきだった。そもそもここにはある種の気分転換できたというのに。
そう思って、目の前に飾られた展示品を覗き込んだ。単純なる興味が半分、制作者の意図を読み取ってやろうという挑戦意欲が半分。
カヒュ、という音が、自分の喉から漏れた。手が宙を彷徨い、顔がこわばり、息が止まる。分かっていた。
分かっていた、はずなのに。
痛々しかった。ひび割れるかのように乾いた羽が、限界までに物体を解明した彼らの、造り出した細さに貫かれる。張り付けられた世界は真っ白で、余計にそれを鮮明に映し出す。
見えない面影は、自分達とは違うんだと主張する彼らのエゴにしか感じられなかった。
死化粧とでも言うような、あまりにも外側から着飾られた姿は、なににも耐えがたいぐらいに正しいんだろう。
……そんな姿で、綺麗な様で、暮らしているわけなどないのに。
脳が揺れる。ニューロンが焼き切れてしまったのではないかと思うほどの情報量が、視覚をそれだけに支配していく。
熱かった。ぐわんと音を立てて絆された思考の輪郭は朧気になり、痛みのように、ジリジリと体温を焦がす。息ができなくなって、苦し紛れに酸素を飲み込んだ。
なんで。どうして、こんなことができるんだ。その姿は、その様は、そんなに素晴らしいものなのか?
喉元に手を当てて気がつく。苦しかった。受け入れがたかった。嫌悪感が胸を渦巻く。
でも、それが事実でしかなくて。どこまで行ってもそれが正しい。「当たり前」といって彼らはそこを過ぎ去っていく。
代わり映えのしない日常を観るように、或いはその不可思議を得るちょっとした期待を浮かべるように。
そう。そうなのだ。それが、正しい。それが、歪んだ「人間らしさ」なんだろう? ものを知ること。ものを、理解すること。
それができるのは、"自"と"他"の存在を感覚的でなく了承しているヒトにしかできないことだから。自我を持っている人間だけの、固有の感覚だから。
それでも、どうしても受け入れられないのだ。その人間の理性が。知るためなら彼らの命を無下にしても良いというような、完璧なる人間中心主義。
確かに、理性自体は本能から派生したものだろう。まるで、幼子がアリを踏み潰すことを喜びとして得るように、知識や規範がなくとも、それは存在する。存在してしまう。
例え、「命の授業」なんてものを展開したとして、その本質が変わることはない。自分達の命は、人間の命は、奪われることを悪とするのに、その下に積まれ、踏み倒された存在には目を瞑る。それを、自然選択の末だ、長らえるための手段だ、と理屈を繋げて「善」とする。
しかし、本来性が本能から来ているとして、それを良しとして良いものか。それを人間の根元であるとして、思考停止のまま、享受し続けるだけが、「正しい」のか。
否、使い古された言葉ではあるが、何かの「正しさ」も「正義」もありはしない。その方向性というのが正義で、示されたものが「正しさ」なのだろうけれど。
分からなかった。彼らが、存在を知っているものを、「知識」に留めて社会の規範に唯々諾々と従う意味が。憤りすら感ぜず、不変的で、未来永劫変わらぬこととしてしまう姿が。
正しくない。否、それすらも分からない。解らないのだ。命の重さは皆平等。ならば、なぜこんなことができる? 人間が一番偉いから、枷が外れるのか、それとも解明するためなら犠牲を厭わないだけなのか。
焦点の合わない視界が、ぼやけたまま、世界を映し出す。白く照らされたその姿が、脳裏に跡を付けた。
目を背けたくて、できない苦しさ。遠くで耳鳴りのほどに彼らの声が聞こえる。足音、笑い声、驚愕、歓喜。その全てが嘲笑に換わっていく。
不意に、脳内に像が結ばれた。ガラス越しに映る、おそらく数ヶ月前まで"我"を持っていた物体。それらと目があったような、気がした。
その瞬間、まるで自分がメデューサに見入られてしまったように、思考も、身体も、全てが活動を停止した。それらが、圧倒的な強者としてそこに君臨して。
無論、それにも目は存在するのだ。ただ、眼球に映った自分を伝える術がないだけ。脳と神経とが、もう機能していないだけ。
どこか物憂げで色のないその光は、綺麗だった。もう意思は無いのだと分かっているのに、見つめられると、おののいてしまうその強さは、儚げで。
ああ、そうなのだ。まるで正解だった。正しかった。
解っている。それに見つめるという意思のないことなど。勝手に自分が見つめて、そう錯覚しているだけなのだと。
これから先、変わることも許されないそれは、ずっと誰かに観られ続けられる。それが、「運命」なのだと。
この世の真相など、それでしかないはずなのに。それが、正しいのだと思わなければいけない。彼らの善を理解せねば、生きていけない。
そう、誰かの「正しさ」を、他の誰かの「正しさ」で、認めあい、理解し合う。それが今の社会の形成原理。「正しさ」の全て。
結局、人間社会なんぞ、誰かの「認知」と「許し」の集大成でしかないのだから。そのどちらかにはねのけられたものや思想は、今日もどこかでくたばっている。まるで自分のように。
踊らされた人形たちの喜劇は、きっとそのまま続いていくのだろう。
目を瞑って、焼き付いた光が瞬いて、そしてまた目を開けた。くずおれたように機能しない下半身を、脳の神経が無理に動かすせいで、不格好に、ギグシャグと、かがんだ体が寄り起こされる。
まだ、耳の裏で乾いた笑いは続いていた。ああ、そうなのだ。それが、当たり前。変わらない日常、変わらない、思想。そうやって、皆洗脳されたように生きている。
視界の端に映った彼らが、疎ましくて、羨ましかった。こんなこと、考えなくったって。そのまま、過ごせてしまうその人生観は、一体なにでできているのだろうか。
せせら笑った酸素が窒素に飲み込まれ、愛おしげに吸い込まれた。ハァ、とどうともとれないため息を吐く。
知っている。もう戻ることなんてできやしない。変わらないことを知ってしまえば、その先は生き地獄であろうとなかろうと、その世界に怯えて生きていくだけだ。
壁にかかった時計は、一寸の狂いもないというように、時を刻んでいる。「時間」なんて概念なぞ無いはずなのに、時計の音が嫌に時の流れを示唆してくる。一分一秒に捕らわれたような生活が、苦しいようで、そうでないようで。
そんなことは知る由もないかのように、腕に嵌めたそれに突き動かされて動く大衆。付いていかねばならないという義務感がかしがましい。
されど、それは事実でしかない。"正義"と名の付けられた世界で生きていくことしかできない。
正しさを、変えることはできない。享受することしか、許されない。
ピンポンパン、と外れかかった音が響く。さあ、もう終わりだ。名残惜しくもない、むしろ拒否されえたこの空間に別れを告げれば、それで。
赦しを憶えてしまったその世界に身を隠すのは容易いのだから。
なのに、なぜだろうか。長かったようで短い時間の感覚は、どこか諦念然としていて、優しさを帯びていた。
きっと気のせいだ、と首をゆるゆると振った。何でもない。なんてこともない。
そう、自分が、その世界に同化していくその過程を、心が望んでしまっただけ。
──ただ、それだけのことなのだ。
「凍てつく星空」
ぼんやりと、瞼を開けた。
どうしようもないほどに、広がった世界。茫然と、なすすべもなく。
それすらも、自分が生きる世界なのはわかっていて。それでいて、どこか息苦しい。
……きっとそうなのだ、と。皆、そう思っているのだと、信じていたい。であれば、否、でなければ、自分が孤独に感じてしまうから。
分かりきったことがぐるぐると頭に駆け巡り、自問自答して原点に返る。何の正しさも優良性もなく繰り返して、時間のみが過ぎ去っていく。
そんな薄暗い世界が、自分を取り巻いていた。
カツリ、といささか靴に合わない音が体に響いた。重たい体を前へと動かすたび、脳が揺れるような錯覚に陥る。人間を受け入れてくれるはずの場所はどこか素っ気なくて冷淡で。
真夜中の高速道路、サービスエリア。ありがとうございました、という感謝のような定型句のようなそれが、耳から耳へと過ぎ去っていくのを感じた。同時に、聞きなれた機械音が鳴り、自動ドアが開く。
ドアの空いた途端、凍てつくような風が体を包んだ。小一時間感じていなかった寒さに足が竦む。苦しいほどに、錆びれたように、肺が凍りつくのを白く染まった息が体現している。乾いた空気には、速くなった自分の鼓動すら、響き渡るようだった。
ゆっくりと歩を進める。どうにもこうにも、こうしているわけにはいられないのだ。自身の止めている車のもとへと、不明瞭ながらも、確実に、一歩ずつ。ゆらりと体が揺れるたび、どことなく神秘さを感じた。
なのに、なぜだろうか。色のない街灯が自分を照らし、遠くに光る、眩しいほどに彩られたネオンがまざまざと自己主張を始める。街を騒がすように煌々と。
いつもだったら受け流せるはずのそれが、今はどこか鬱陶しかった。自分の五感に流れる全ての感覚が煩わしかった。
自分の気持ちが不安定なのはわかっている。波風が立ち、心が荒んでいるのが自分自身で感じられるほどに、心底穏やかではいられなかった。
……本当に、気味が悪い。いつから人間は高慢になったのだろうな。そんな、どうでも良い悪態を付いて、苦しくなってため息を吐く。肩が一緒に上がって、下がる。まるで情けなかった。恥ずかしかった。
そんな自分の気持ちとは裏腹に、世界はこのまま巡っていくのが憎らしくて。自分もそれに乗らなければいけないのが、卑屈で、忌まわしい。
ぐちゃぐちゃになった感情を、どうにも抑えきれずに剣呑になっていくのが、それらを助長しているようで。やりきれなさが心を巡り巡る。
ああ、と思うがままに、空を見上げた。辺りを見渡すためだけに作られた電灯が視界に映り、思わず目を細めて。
そして、気づいた。
一つ、星が見える。飛行機ではない。恐らく、ヘリコプターなどの飛行物ではない。確かに、一つの星である。
まるで見えるものではなかった。目を細めなければ見えないような。ただ見ただけではすぐに見落としてしまうような、白く光る星。
その瞬間に、何かがふと、胸のなかに溜まっていたそれらの存在を感じなくさせた。
……そうだった。自分は、星が好きだった。空を見るのが、好きだったのだ。
星をまともに見なくなったのは、いつからだったか。恐らくきっと、自分が、世間的に都会と呼ばれるような街に住み始めてからだろう。
何か特別な時事があったわけではない。ただ周りに押し流されて、適当に生活し始めたあの時から、自分が見えなくなったのだ。
存在自体が必要的に肯定されうる世界。自分たちのために他人を肯定して、それでいて彼らの本質を見ようともせず、まるで道具である風に扱い続ける空虚さ。
それらの中にいる自分という存在が、まるで華々しくも、一瞬で散って行く花火のように感じられた。花火の後もなお残る煙のように、滞留する残り香が自分を空しくさせた。
まるで生きる意味が感じられない現代社会。よく言われることではあろう。でも、それ以上に、自分たちの問題のような気がしてならなかったのだ。自分たちが生み出したもののせいで、そうなった気がして。
あの頃は、星が好きだった。と、まるで何かに感銘を受けた時のようにその言葉を反芻する。好いた理由は単純だ。星が、唯一の自然物であるから。
誰かに言えばまず批判されるであろう思考。「唯一、とまで言えるものか、海や森、川、虫……そういったもの全ては自然ではないか」ときっと言われるのが常だろう。
だがどうか。人間は大地を壊し、木々を、動物を殺し、全てを人工物に置き換えていく。それが当たり前とされた世の中で、星だけはそれがない。星だけには、人の手が届かない。確かに見える空は自然ではないけれど、星そのものだけは、どうにも置き換わることのない絶対的な自然物だ、と言えるのではないだろうか。
誰にも理解してもらえないのも当然だった。理解されるはずもない。されたくもない。そこらに生える木々を「風流だ」などと言って眺めているような人間たちだ。
「自然」とは、そのまま、「おのずからできたもの」を指すはずだ。誰かに助長されず、或いは助け合いながら存在することを目的として生き続ける、それだけの存在のはずだ。
なのに、今の「自然」はどうだろう? 自分達の利益のために、それを繁殖、時には科学技術で変容させ、市場に出す。環境保護などと銘打って、自分達の手で壊したものを、それらで壊れないように置き換え、保全活動を行う。
風流心なんてあるはずがないのだ。あれは、人工的に作られた自然だから。人工的に作られたものたちが人工物を敬愛する。まるでどこかの狂ったおとぎ話。ただの一人芝居でしかない。
それでなお、皆それを正しいと言う。美しいと言う。果たしてそれが本当か? 本当の自然物に触れられないからこそ、正しいと思い込んだだけのような気がしてならなかった。気付かないうちに底に沈んだ澱のように、それが積もり積もって自分を苦しくさせて行く。
だからこそ星が好きだった。何の目的もない。ただ存在することだけを正義としてそこに存在する。それが、綺麗だった。素敵だった。
それすらも汚そうとする人間たちの意図が分からなかった。事実、月や火星は、そういった自己権利欲によって、"整備"されつつある。それすら、正しいと言えるのかどうか。甚だ疑問でしかなかった。
いつの間にか、それを忘れてしまっていた。しんしんと積もっていく澱に、錆び付いて取れなくなったそれに気を取られているうちに、そんな世界など、目にも入らなくなっていたようだった。
それもこれも、自分がこういった場所に来てからだ。こうして、存在を確立してからの話。まるで星の見えない都会では、見ようとする気力さえ、削がれていくようで。
それが淋しさのような悲しみと納得感のような安らぎを携えていた。苦しさの中にある色のない希望のようなもの。自分はこうして考えられているだけましなのかもしれない。なんて。
もう一度、とでも言うように冷たく乾ききった風が吹き、体が震え、両の二の腕に手を当ててさする。まるで寒い。本当に、季節はどこへ行ったのだか。
「これだって、人間のせいなのだけれど」と性懲りもなく言葉が浮かぶ自分に、呆れるようにため息を吐いた。いつの間にかたどり着いた車の屋根の縁に手を当てる。放置していた人工物は思った以上に熱を奪うようにできていて、手の平に痛みが走る。
どうにもなく思うこともなく、車に乗り込んだ。鍵を挿してエンジンを掛けて。いつもと同じ動作をして、いつものようにハンドルに手を置いた。何も変わらない日常。きっとこれからもこれまでと同じように、紡がれては消えていくのだろう。
そして、取り留めもなく、ふと、窓越しに空を見上げた。
凍てつくような寒空に、星が瞬く。吹き荒れる風が、閉め切った窓でも関係ないと威圧的にビウと音を鳴らす。
──ああ、やっぱり、冬空は綺麗だ。
遮るものもなく、人間らしさもなく、ただそこで高々と光り輝いている。誰が為でなく、存在していることが存在意義。その孤高さが、素晴らしかった。
それだけが、どこまでも美しかった。
「夢の断片」
幾らか、ふわふわとした気分だった。
いつからここにいるのか、そもそも自分が誰なのか、はっきりと思い出せない。
存在という重さは感じるのに、なにも分からない。そこにいるのが自分なのか、何なのか。なにも聞こえない。なにも、感じない。
だが、それでも、別に良かった。むしろ、それで良かった。その心地はどこか浮わついて地につかない。闇雲のようでいて、それは微睡みのように優しさを携えている。
──ああ、きっと、自分は何者でもない。
そう思って、軛から解き放たれた。なにもない、なにも始まらないこの世界を、自分一人で闊歩して。
幸せだった。自分が自分でない感覚。その世界が自分のものだという、自分だけのものだという、所有感のような高慢さ。
自分が何をしても怒られることはない。咎められることはない。その自由さが、幸せだった。
ガタリ、と体が揺れる。その感覚で、ふと、自分が誰なのか、どこにいるのか思い出した。
電車の中、帰り道。平日の最終日、夜間電車。
ああ、そうか、と未だ不明瞭な頭で理解する。どうやら自分の体は、電車の中で眠りについていてしまったらしい。嫌に抑揚のついたアナウンスが耳慣れない地名を吐いた。
ゆるりとした風が吹き、前髪が流れるのを感じながら、意識はまたうつらうつらと不鮮明な世界へ染まっていく。
やはり、心地良くて手放しがたい。現実世界にいるようでいないような、存在が確固としないこの感覚。
そんな本能に近い欲動を、ほんの僅かに残る理性が抑止しようと、これ以上は寝ていられないとするように、僕はぼんやりと目を開けた。目を刺すような光が視界を覆って。思わず目を瞑る。
痛かった。活動を始めたばかりの脳では、処理しきれないような情報。外界と自分とを定義付ける全てが痛みとして襲いかかる。
それでも、どうにかその痛みに耐え、もう一度細く目を開ける。人間としての理性か、或いは自分という存在の定義が定まった今、視覚の情報以上に聴覚、触覚などの感覚が正しさを増す。五感全てが感覚として戻ってくる。自分の要素全てが降りしきり、自分を自分足らしめていく。
ぼんやりとした頭を振り払い、まだ少し揺れる視界を瞬かせた。怠い体を伸ばし、大きく息を吸う。
周りには誰もいない。否、当たり前のことだった。外で月や星が綺麗に見えるような時間帯であるし、先程聞いたアナウンスはもうすぐ終点間際の駅。こんな時間に、こんなところに誰もいるはずがない。
誰もいないのを良いことにして、僕はシートに寝転がった。いけないことだ、とは思う。でも、どうにも気力が湧かない。腕を額に乗せて、体で電車の揺れを感じた。
いつもと違う世界。来たこともないような場所で、人間らしくもない。先程まで見ていた幸福が嘘みたいだ。見ていたものなんて、疾うに忘れてしまったけれど。
夢なんて、空虚なものだ、とふと感じた。なにかを思ったわけではない。心のうちが言葉で表せないものでいっぱいになって零れたような、無意識的な考えに過ぎないもので。
天井の蛍光灯が酷いほどに明るく眩しい。どうしても直視できず、目を逸らしつつも、それを感じてしまう矛盾のような現実。
夢も同じようなものだから、だろうか。どうとにも捉えられない、理論の破綻した世界。正しさを自分においた、絶対的な意味のないもの。持ち帰るものもなく、ただ記憶として残っていくだけ。
だが、そこには綺麗な浮遊感がある。人間以外の動物は絶えず感じているであろう、自らとそれ以外の境界が曖昧なあの感覚。あれは、人間が一介の動物であったときの名残であり、それ自体が動物であることの証明だ。
ふぅ、と小さくため息をついた。ああ、何を見ていたのだろうか。こんな短期間で忘れてしまうほどにどうでも良くて、それでいて思い出したいと思う葛藤。夢の断片はつかんでいるはずなのに、その先はいつまでも朧だ。
人間以外の動物は夢を見るのか。まだ上手く働かない頭で必死と考える。なんのディティールもなく、正当性もなく。そういえば、どこかの記事で、実際に見るらしい、ということが書いてあったか。
だが、それは曖昧なものだ。人間のような夢じゃない。確固とした自我を持たない動物が、それを持つ人間と同じ感覚のわけがない。『記憶の整理』を目的とした夢を見る、というのがことの顛末だろう。それを仰々しく書き入れているだけだ。
いっそのこと、動物になってしまえば。時間に捕らわれて、社会に固執して生きる人間を、辞められたなら。こんな夢に心を寄せることも、無いのだろうか。なにも始まらない、終わらない。そんな世界を延々と感じられる彼らを羨むことも、無くなるのか?
わかっている。そんなことなんて、ありはしないだろう。起こるはずもない。解っているんだ。
人間が自我を手に入れたその瞬間から、人間は他の動物とは異なる世界を生きている。生命とは体内に独立した循環系を持つ物質であるはずなのに、その物質であるという根源を否定した存在。だから、わかりあえるはずもない。交われるはずもないのだ。
「でも、そんなの空想の理論でしかない」と一蹴できたらどれだけ良かったか。人間が自我を持っているが故に、それを否定することができない。他の動物とは違うのだと、社会的に、文化的にそういう思想を植え付けられてきたからこそ、自分は孤独だった。
いつの間にか、電車の速度が緩やかになって。人間味を帯びた機械放送が最終地点を指し示す。もう、これすらも終わりだ。倦怠感の残る体を起こし、シートに座り直した。
プシュゥと気の抜けた音と共に乗り降り口が開く。終点、終点と降りるように急ぐ声が改札口に木霊する。僕はゆっくりと、電車と線路、乗り口にある隙間をまたぐ。まるで境界線のようなそれを越えるように、一歩、また一歩と踏み出した。気圧の差からか、吹く鋭い風が頬を切るようで、肺が苦しい。
階段を一つずつ丁寧に登った。脚にかかる自分の体重が重い。最近使っていなかったアキレス腱がキシリと不安な違和感を訴える。
駅のホームを出た。人情の欠片もない街灯の明かりが自分を照らし、影が落ちる。外気の冷たさが頬を刺す。けれども、寒いとは思わなかった。
ああ、こんなにも遅くなってしまった、とどこか他人事のように思う。それもこれも自分のせいなのだけれど。今日中に帰路に着くことはできるだろうか。
けれど、どこか満足感もあった。悲しい嫌悪感と安堵感。まるで諦めのようなそれは、どこか自分を快いものにしていた。
そう、光のない暗い世界すら、綺麗に見えたのは、きっとそのせいなのだ。
「青い青い」
ふと、何かの曲を思い出した。
何だったか、曲名さえ思い出せないようなもの。空っぽの頭のなかを唄い始めた。
なんの憂いもなく、ただポンと言葉だけが、頭を駆け巡る違和感。
でもそれでも、流れるような曲調だけは、僕を時間から弾き出していた。
歌は好きだ。自分の言葉でなくとも、心を映し出してくれるから。
曲が好きだ。なにもない世界に音を紡ぎだしてくれるから。
他の人が考えたからこそ、人の心と共鳴する感覚がある。対面しても繋がりの見えない僕の、唯一の窓だった。
それでも、好き嫌いの分かれる曲はある。僕としては自分の心情を唄う、そんな曲が良い。何もない、外見だけを飾ったような、社会を象ったような唄は好きじゃない。
思い出したのは、前者後者どちらとも似つかない曲。あるのは苦しみと希望だけ。痛みと光を歌い上げた悲しい世界。
少し歌詞を検索して、調べてみようとスマートフォンを手に取る。画面のブルーライトが眩しく目を少し細めた。
検索口に頭で流れた歌詞を入れ込む。いの一番に出てきた題名は『スピカ』。
星の名前だ。春の星座、乙女座の一等星。春の大三角の星だが、そのことすら、知っている人は多くない。
スクロールして、歌詞を目に映しながら、一つ、歌い上げてみる。
『蒼い君の瞳で僕を"殺して" 夜に溶けないか』
――誰も助けてくれない。何でもないように振る舞いはするけれど、居場所がないような違和感は拭えなかった。
家族が愛してくれていることは分かる。自分が幸せなのも、分かる。だけれど、居なくなってしまいたい。悲しまないように消えてしまいたい。
希望があるのは死ぬことか。夜という闇に溶け込んでしまうことか。
どちらにせよ、希望は「君」だけだった。
少し、自分に追い重ねる。居場所があるはずなのに、そんな気がしない。生きた心地がしない。
どうせなら死んでしまいたい。でも、それで悲しむ人が居る。
そういえば、と思考を戻し、画面の真ん中を指で指してみる。誰に見せるでもないけれど。
"蒼い瞳"。なにか意味があるのだろうか。
確かに、スピカは表面温度が太陽の二倍近く高く、青白い。恐らくそこから来ているのだろう。
でも、なぜ"蒼"なのか。"青"ではなく、"蒼"。
蒼い瞳を思い浮かべる。深淵のように深く、それでいて優しさの混じった、瞳。
見えたのは、闇のなかに、光が射し込む世界。暗い世界を基調としながら、明るく優しい色。
ああ、だから"蒼"なのだ。青では、単調な色にしかならないから。世界を、あらわせないから。
こんなの、想像でしかない。けれど、そうであるという答えにたどり着いてみれば、それはちがうように見える。
『止まない雨に哀を刺して 星になれたら許しは要らないから』
――死んでしまえば、許しは要らない。許して欲しいと願う自分は、いなくなるから。
ああ、そうか。なにかが氷解する音がした。だから、僕は。
ずっと苦しい気がした。その気持ちに蓋をして生きてきた。誰にも残らぬよう、普通に、平凡に。
それなりの友人は作って。でも、親友と思えるような人は誰一人とできなかった。
誰からも必要とされない気がした。何をしても、そういう人なんだな、で終わってしまうような。別れを告げたら、確実に僕は彼らの世界から居なくなってしまう。
それが、ずっとずっと続いていくようだった。なにも救われない。けれど、変われない。
曲の中身もそうだった。僕と同じ、溺れたまま。そのまま生きている。
けれど、続きは。果てしなく続くように思われた世界は。「僕」という存在だけを残して、一つの、一つだけの願いを告げる。
ああ、きっと、僕はそう思っていたのだろうなと。考えながらその言葉を胸に刻んだ。
だから、誰も。
『忘れないで』
引用:『スピカ』 Rig/feat.flower
「透明」
どこか、苦しい気がした。
誰も彼も、何にも気づかずに通りすぎていく。
ビルが並び立って、車が、人が、流れるのを見下げた。
相も変わらず、無気力な様を映し出す。
きっと、どこかに目標をもって。変化を求めて。
こんなにも過ごしやすい、生と死が重ならない世界を生きているのに、どうにも喉の奥に突っかかりを覚える。
否、だからだろう。誰も、知らない。気づかない。分からない。だから、苦しい。
そこに生きるという選択。知るという選択。おぼろながら分かっていたことへの完全な自覚。
自嘲的に溜め息を吐く。見えないことだから、分かち合えない。まるで溺れているようだった。
透明みたいだ、と思ったのはいつからか。
自分が社会の歯車であることは理解している。社会に貢献している、という自尊心ではなく、社会をつくる上で、土台とされている有象無象である、というだけのこと。
空気のように無下にされて、適当に扱われている、と社会を告発したいわけではない。塵のように、蹴落とされているわけでもない。
ただ、自分がいなくても社会は回るのだと、世界はなにも考えずに過ぎるのだと、意識してしまった、だけ。
テレビの奥でやっている、「自分一人じゃ、なにも変わんない!」と叫び、変革を求めるような、ドラマの理想の世界とは違う。というよりも、あの世界観は理解ができなかった。
生きるために必要な、その世界は自分がいなくとも、は分かる。だが、それが何万人、何億人といたらどうだろう。
勿論そんなことはないけれど、誰しも持ったことのある疑問が故に、世界は変わらない。変革は求められても、恐らくそれは理想じゃない。
まるで透明だ。改めて自分を自覚する。この社会はおかしい。否、この世界がおかしい。
ヒトが生物種の代表として、闊歩している。なぜ? ヒトが多くのところで生息しているから? であれば植物でもいい。植物らの方が、ヒトよりも前に、多くの場所で生きている。
知能指数が高いから? だから生き残る訳じゃない。
まず、基本的に能動的な、受動してきた他の生命たちを無意味に壊すような生物に、生きるだのなんだのと言えない。
最後には受動的な生物が、残ってきたのが、自然の摂理であるように。
だからこそ、この事実を理解していない人々は、どこか奇態的という他ない。いつも歩くたび、懐疑の念が頭の中を駆け巡る。
空気のように、見えない世界。でも、その透明は、僕にだけ、見えているようで。
だれも、分からない。理解なぞ、してくれない。
人間が生きる世界が。生きざるを得ない世界が、おかしいことなど。
別にそれでいいのだ。自分が苦しんで、それで終わり。人間という種が断たれようが得まいが、関係ない。それが普通であると、思ってしまっているから。
まるでいい加減だが、仕方がない。世界はそれを普遍とした。外からなんと言われようとも、先に挙手した者が有利になるのだ。
遠い昔の、クラス委員選挙と同じ。先に率先して手を上げる人の方が、選ばれる。他のクラスから非難されようと、先に手を上げた者が二人いれば、それが真実なのだから。
ビルの上から、遠い世界を見下げる。人が入って、流れ出てを繰り返していく。
きっと、明日も変わらない。透明ななにかに、僕は明日も苦しみを抱えて。
生きることを選んだわけでなくても、全うしなければならない。それが、自分に課した枷。
世界は、明日を目指して、延びていく。