「凍てつく星空」
ぼんやりと、瞼を開けた。
どうしようもないほどに、広がった世界。茫然と、なすすべもなく。
それすらも、自分が生きる世界なのはわかっていて。それでいて、どこか息苦しい。
……きっとそうなのだ、と。皆、そう思っているのだと、信じていたい。であれば、否、でなければ、自分が孤独に感じてしまうから。
分かりきったことがぐるぐると頭に駆け巡り、自問自答して原点に返る。何の正しさも優良性もなく繰り返して、時間のみが過ぎ去っていく。
そんな薄暗い世界が、自分を取り巻いていた。
カツリ、といささか靴に合わない音が体に響いた。重たい体を前へと動かすたび、脳が揺れるような錯覚に陥る。人間を受け入れてくれるはずの場所はどこか素っ気なくて冷淡で。
真夜中の高速道路、サービスエリア。ありがとうございました、という感謝のような定型句のようなそれが、耳から耳へと過ぎ去っていくのを感じた。同時に、聞きなれた機械音が鳴り、自動ドアが開く。
ドアの空いた途端、凍てつくような風が体を包んだ。小一時間感じていなかった寒さに足が竦む。苦しいほどに、錆びれたように、肺が凍りつくのを白く染まった息が体現している。乾いた空気には、速くなった自分の鼓動すら、響き渡るようだった。
ゆっくりと歩を進める。どうにもこうにも、こうしているわけにはいられないのだ。自身の止めている車のもとへと、不明瞭ながらも、確実に、一歩ずつ。ゆらりと体が揺れるたび、どことなく神秘さを感じた。
なのに、なぜだろうか。色のない街灯が自分を照らし、遠くに光る、眩しいほどに彩られたネオンがまざまざと自己主張を始める。街を騒がすように煌々と。
いつもだったら受け流せるはずのそれが、今はどこか鬱陶しかった。自分の五感に流れる全ての感覚が煩わしかった。
自分の気持ちが不安定なのはわかっている。波風が立ち、心が荒んでいるのが自分自身で感じられるほどに、心底穏やかではいられなかった。
……本当に、気味が悪い。いつから人間は高慢になったのだろうな。そんな、どうでも良い悪態を付いて、苦しくなってため息を吐く。肩が一緒に上がって、下がる。まるで情けなかった。恥ずかしかった。
そんな自分の気持ちとは裏腹に、世界はこのまま巡っていくのが憎らしくて。自分もそれに乗らなければいけないのが、卑屈で、忌まわしい。
ぐちゃぐちゃになった感情を、どうにも抑えきれずに剣呑になっていくのが、それらを助長しているようで。やりきれなさが心を巡り巡る。
ああ、と思うがままに、空を見上げた。辺りを見渡すためだけに作られた電灯が視界に映り、思わず目を細めて。
そして、気づいた。
一つ、星が見える。飛行機ではない。恐らく、ヘリコプターなどの飛行物ではない。確かに、一つの星である。
まるで見えるものではなかった。目を細めなければ見えないような。ただ見ただけではすぐに見落としてしまうような、白く光る星。
その瞬間に、何かがふと、胸のなかに溜まっていたそれらの存在を感じなくさせた。
……そうだった。自分は、星が好きだった。空を見るのが、好きだったのだ。
星をまともに見なくなったのは、いつからだったか。恐らくきっと、自分が、世間的に都会と呼ばれるような街に住み始めてからだろう。
何か特別な時事があったわけではない。ただ周りに押し流されて、適当に生活し始めたあの時から、自分が見えなくなったのだ。
存在自体が必要的に肯定されうる世界。自分たちのために他人を肯定して、それでいて彼らの本質を見ようともせず、まるで道具である風に扱い続ける空虚さ。
それらの中にいる自分という存在が、まるで華々しくも、一瞬で散って行く花火のように感じられた。花火の後もなお残る煙のように、滞留する残り香が自分を空しくさせた。
まるで生きる意味が感じられない現代社会。よく言われることではあろう。でも、それ以上に、自分たちの問題のような気がしてならなかったのだ。自分たちが生み出したもののせいで、そうなった気がして。
あの頃は、星が好きだった。と、まるで何かに感銘を受けた時のようにその言葉を反芻する。好いた理由は単純だ。星が、唯一の自然物であるから。
誰かに言えばまず批判されるであろう思考。「唯一、とまで言えるものか、海や森、川、虫……そういったもの全ては自然ではないか」ときっと言われるのが常だろう。
だがどうか。人間は大地を壊し、木々を、動物を殺し、全てを人工物に置き換えていく。それが当たり前とされた世の中で、星だけはそれがない。星だけには、人の手が届かない。確かに見える空は自然ではないけれど、星そのものだけは、どうにも置き換わることのない絶対的な自然物だ、と言えるのではないだろうか。
誰にも理解してもらえないのも当然だった。理解されるはずもない。されたくもない。そこらに生える木々を「風流だ」などと言って眺めているような人間たちだ。
「自然」とは、そのまま、「おのずからできたもの」を指すはずだ。誰かに助長されず、或いは助け合いながら存在することを目的として生き続ける、それだけの存在のはずだ。
なのに、今の「自然」はどうだろう? 自分達の利益のために、それを繁殖、時には科学技術で変容させ、市場に出す。環境保護などと銘打って、自分達の手で壊したものを、それらで壊れないように置き換え、保全活動を行う。
風流心なんてあるはずがないのだ。あれは、人工的に作られた自然だから。人工的に作られたものたちが人工物を敬愛する。まるでどこかの狂ったおとぎ話。ただの一人芝居でしかない。
それでなお、皆それを正しいと言う。美しいと言う。果たしてそれが本当か? 本当の自然物に触れられないからこそ、正しいと思い込んだだけのような気がしてならなかった。気付かないうちに底に沈んだ澱のように、それが積もり積もって自分を苦しくさせて行く。
だからこそ星が好きだった。何の目的もない。ただ存在することだけを正義としてそこに存在する。それが、綺麗だった。素敵だった。
それすらも汚そうとする人間たちの意図が分からなかった。事実、月や火星は、そういった自己権利欲によって、"整備"されつつある。それすら、正しいと言えるのかどうか。甚だ疑問でしかなかった。
いつの間にか、それを忘れてしまっていた。しんしんと積もっていく澱に、錆び付いて取れなくなったそれに気を取られているうちに、そんな世界など、目にも入らなくなっていたようだった。
それもこれも、自分がこういった場所に来てからだ。こうして、存在を確立してからの話。まるで星の見えない都会では、見ようとする気力さえ、削がれていくようで。
それが淋しさのような悲しみと納得感のような安らぎを携えていた。苦しさの中にある色のない希望のようなもの。自分はこうして考えられているだけましなのかもしれない。なんて。
もう一度、とでも言うように冷たく乾ききった風が吹き、体が震え、両の二の腕に手を当ててさする。まるで寒い。本当に、季節はどこへ行ったのだか。
「これだって、人間のせいなのだけれど」と性懲りもなく言葉が浮かぶ自分に、呆れるようにため息を吐いた。いつの間にかたどり着いた車の屋根の縁に手を当てる。放置していた人工物は思った以上に熱を奪うようにできていて、手の平に痛みが走る。
どうにもなく思うこともなく、車に乗り込んだ。鍵を挿してエンジンを掛けて。いつもと同じ動作をして、いつものようにハンドルに手を置いた。何も変わらない日常。きっとこれからもこれまでと同じように、紡がれては消えていくのだろう。
そして、取り留めもなく、ふと、窓越しに空を見上げた。
凍てつくような寒空に、星が瞬く。吹き荒れる風が、閉め切った窓でも関係ないと威圧的にビウと音を鳴らす。
──ああ、やっぱり、冬空は綺麗だ。
遮るものもなく、人間らしさもなく、ただそこで高々と光り輝いている。誰が為でなく、存在していることが存在意義。その孤高さが、素晴らしかった。
それだけが、どこまでも美しかった。
「夢の断片」
幾らか、ふわふわとした気分だった。
いつからここにいるのか、そもそも自分が誰なのか、はっきりと思い出せない。
存在という重さは感じるのに、なにも分からない。そこにいるのが自分なのか、何なのか。なにも聞こえない。なにも、感じない。
だが、それでも、別に良かった。むしろ、それで良かった。その心地はどこか浮わついて地につかない。闇雲のようでいて、それは微睡みのように優しさを携えている。
──ああ、きっと、自分は何者でもない。
そう思って、軛から解き放たれた。なにもない、なにも始まらないこの世界を、自分一人で闊歩して。
幸せだった。自分が自分でない感覚。その世界が自分のものだという、自分だけのものだという、所有感のような高慢さ。
自分が何をしても怒られることはない。咎められることはない。その自由さが、幸せだった。
ガタリ、と体が揺れる。その感覚で、ふと、自分が誰なのか、どこにいるのか思い出した。
電車の中、帰り道。平日の最終日、夜間電車。
ああ、そうか、と未だ不明瞭な頭で理解する。どうやら自分の体は、電車の中で眠りについていてしまったらしい。嫌に抑揚のついたアナウンスが耳慣れない地名を吐いた。
ゆるりとした風が吹き、前髪が流れるのを感じながら、意識はまたうつらうつらと不鮮明な世界へ染まっていく。
やはり、心地良くて手放しがたい。現実世界にいるようでいないような、存在が確固としないこの感覚。
そんな本能に近い欲動を、ほんの僅かに残る理性が抑止しようと、これ以上は寝ていられないとするように、僕はぼんやりと目を開けた。目を刺すような光が視界を覆って。思わず目を瞑る。
痛かった。活動を始めたばかりの脳では、処理しきれないような情報。外界と自分とを定義付ける全てが痛みとして襲いかかる。
それでも、どうにかその痛みに耐え、もう一度細く目を開ける。人間としての理性か、或いは自分という存在の定義が定まった今、視覚の情報以上に聴覚、触覚などの感覚が正しさを増す。五感全てが感覚として戻ってくる。自分の要素全てが降りしきり、自分を自分足らしめていく。
ぼんやりとした頭を振り払い、まだ少し揺れる視界を瞬かせた。怠い体を伸ばし、大きく息を吸う。
周りには誰もいない。否、当たり前のことだった。外で月や星が綺麗に見えるような時間帯であるし、先程聞いたアナウンスはもうすぐ終点間際の駅。こんな時間に、こんなところに誰もいるはずがない。
誰もいないのを良いことにして、僕はシートに寝転がった。いけないことだ、とは思う。でも、どうにも気力が湧かない。腕を額に乗せて、体で電車の揺れを感じた。
いつもと違う世界。来たこともないような場所で、人間らしくもない。先程まで見ていた幸福が嘘みたいだ。見ていたものなんて、疾うに忘れてしまったけれど。
夢なんて、空虚なものだ、とふと感じた。なにかを思ったわけではない。心のうちが言葉で表せないものでいっぱいになって零れたような、無意識的な考えに過ぎないもので。
天井の蛍光灯が酷いほどに明るく眩しい。どうしても直視できず、目を逸らしつつも、それを感じてしまう矛盾のような現実。
夢も同じようなものだから、だろうか。どうとにも捉えられない、理論の破綻した世界。正しさを自分においた、絶対的な意味のないもの。持ち帰るものもなく、ただ記憶として残っていくだけ。
だが、そこには綺麗な浮遊感がある。人間以外の動物は絶えず感じているであろう、自らとそれ以外の境界が曖昧なあの感覚。あれは、人間が一介の動物であったときの名残であり、それ自体が動物であることの証明だ。
ふぅ、と小さくため息をついた。ああ、何を見ていたのだろうか。こんな短期間で忘れてしまうほどにどうでも良くて、それでいて思い出したいと思う葛藤。夢の断片はつかんでいるはずなのに、その先はいつまでも朧だ。
人間以外の動物は夢を見るのか。まだ上手く働かない頭で必死と考える。なんのディティールもなく、正当性もなく。そういえば、どこかの記事で、実際に見るらしい、ということが書いてあったか。
だが、それは曖昧なものだ。人間のような夢じゃない。確固とした自我を持たない動物が、それを持つ人間と同じ感覚のわけがない。『記憶の整理』を目的とした夢を見る、というのがことの顛末だろう。それを仰々しく書き入れているだけだ。
いっそのこと、動物になってしまえば。時間に捕らわれて、社会に固執して生きる人間を、辞められたなら。こんな夢に心を寄せることも、無いのだろうか。なにも始まらない、終わらない。そんな世界を延々と感じられる彼らを羨むことも、無くなるのか?
わかっている。そんなことなんて、ありはしないだろう。起こるはずもない。解っているんだ。
人間が自我を手に入れたその瞬間から、人間は他の動物とは異なる世界を生きている。生命とは体内に独立した循環系を持つ物質であるはずなのに、その物質であるという根源を否定した存在。だから、わかりあえるはずもない。交われるはずもないのだ。
「でも、そんなの空想の理論でしかない」と一蹴できたらどれだけ良かったか。人間が自我を持っているが故に、それを否定することができない。他の動物とは違うのだと、社会的に、文化的にそういう思想を植え付けられてきたからこそ、自分は孤独だった。
いつの間にか、電車の速度が緩やかになって。人間味を帯びた機械放送が最終地点を指し示す。もう、これすらも終わりだ。倦怠感の残る体を起こし、シートに座り直した。
プシュゥと気の抜けた音と共に乗り降り口が開く。終点、終点と降りるように急ぐ声が改札口に木霊する。僕はゆっくりと、電車と線路、乗り口にある隙間をまたぐ。まるで境界線のようなそれを越えるように、一歩、また一歩と踏み出した。気圧の差からか、吹く鋭い風が頬を切るようで、肺が苦しい。
階段を一つづつ丁寧に登った。脚にかかる自分の体重が重い。最近使っていなかったアキレス腱がキシリと不安な違和感を訴える。
駅のホームを出た。人情の欠片もない街灯の明かりが自分を照らし、影が落ちる。外気の冷たさが頬を刺す。けれども、寒いとは思わなかった。
ああ、こんなにも遅くなってしまった、とどこか他人事のように思う。それもこれも自分のせいなのだけれど。今日中に帰路に着くことはできるだろうか。
けれど、どこか満足感もあった。悲しい嫌悪感と安堵感。まるで諦めのようなそれは、どこか自分を快いものにしていた。
そう、光のない暗い世界すら、綺麗に見えたのは、きっとそのせいなのだ。
「青い青い」
ふと、何かの曲を思い出した。
何だったか、曲名さえ思い出せないようなもの。空っぽの頭のなかを唄い始めた。
なんの憂いもなく、ただポンと言葉だけが、頭を駆け巡る違和感。
でもそれでも、流れるような曲調だけは、僕を時間から弾き出していた。
歌は好きだ。自分の言葉でなくとも、心を映し出してくれるから。
曲が好きだ。なにもない世界に音を紡ぎだしてくれるから。
他の人が考えたからこそ、人の心と共鳴する感覚がある。対面しても繋がりの見えない僕の、唯一の窓だった。
それでも、好き嫌いの分かれる曲はある。僕としては自分の心情を唄う、そんな曲が良い。何もない、外見だけを飾ったような、社会を象ったような唄は好きじゃない。
思い出したのは、前者後者どちらとも似つかない曲。あるのは苦しみと希望だけ。痛みと光を歌い上げた悲しい世界。
少し歌詞を検索して、調べてみようとスマートフォンを手に取る。画面のブルーライトが眩しく目を少し細めた。
検索口に頭で流れた歌詞を入れ込む。いの一番に出てきた題名は『スピカ』。
星の名前だ。春の星座、乙女座の一等星。春の大三角の星だが、そのことすら、知っている人は多くない。
スクロールして、歌詞を目に映しながら、一つ、歌い上げてみる。
『蒼い君の瞳で僕を"殺して" 夜に溶けないか』
――誰も助けてくれない。何でもないように振る舞いはするけれど、居場所がないような違和感は拭えなかった。
家族が愛してくれていることは分かる。自分が幸せなのも、分かる。だけれど、居なくなってしまいたい。悲しまないように消えてしまいたい。
希望があるのは死ぬことか。夜という闇に溶け込んでしまうことか。
どちらにせよ、希望は「君」だけだった。
少し、自分に追い重ねる。居場所があるはずなのに、そんな気がしない。生きた心地がしない。
どうせなら死んでしまいたい。でも、それで悲しむ人が居る。
そういえば、と思考を戻し、画面の真ん中を指で指してみる。誰に見せるでもないけれど。
"蒼い瞳"。なにか意味があるのだろうか。
確かに、スピカは表面温度が太陽の二倍近く高く、青白い。恐らくそこから来ているのだろう。
でも、なぜ"蒼"なのか。"青"ではなく、"蒼"。
蒼い瞳を思い浮かべる。深淵のように深く、それでいて優しさの混じった、瞳。
見えたのは、闇のなかに、光が射し込む世界。暗い世界を基調としながら、明るく優しい色。
ああ、だから"蒼"なのだ。青では、単調な色にしかならないから。世界を、あらわせないから。
こんなの、想像でしかない。けれど、そうであるという答えにたどり着いてみれば、それはちがうように見える。
『止まない雨に哀を刺して 星になれたら許しは要らないから』
――死んでしまえば、許しは要らない。許して欲しいと願う自分は、いなくなるから。
ああ、そうか。なにかが氷解する音がした。だから、僕は。
ずっと苦しい気がした。その気持ちに蓋をして生きてきた。誰にも残らぬよう、普通に、平凡に。
それなりの友人は作って。でも、親友と思えるような人は誰一人とできなかった。
誰からも必要とされない気がした。何をしても、そういう人なんだな、で終わってしまうような。別れを告げたら、確実に僕は彼らの世界から居なくなってしまう。
それが、ずっとずっと続いていくようだった。なにも救われない。けれど、変われない。
曲の中身もそうだった。僕と同じ、溺れたまま。そのまま生きている。
けれど、続きは。果てしなく続くように思われた世界は。「僕」という存在だけを残して、一つの、一つだけの願いを告げる。
ああ、きっと、僕はそう思っていたのだろうなと。考えながらその言葉を胸に刻んだ。
だから、誰も。
『忘れないで』
引用:『スピカ』 Rig/feat.flower
「透明」
どこか、苦しい気がした。
誰も彼も、何にも気づかずに通りすぎていく。
ビルが並び立って、車が、人が、流れるのを見下げた。
相も変わらず、無気力な様を映し出す。
きっと、どこかに目標をもって。変化を求めて。
こんなにも過ごしやすい、生と死が重ならない世界を生きているのに、どうにも喉の奥に突っかかりを覚える。
否、だからだろう。誰も、知らない。気づかない。分からない。だから、苦しい。
そこに生きるという選択。知るという選択。おぼろながら分かっていたことへの完全な自覚。
自嘲的に溜め息を吐く。見えないことだから、分かち合えない。まるで溺れているようだった。
透明みたいだ、と思ったのはいつからか。
自分が社会の歯車であることは理解している。社会に貢献している、という自尊心ではなく、社会をつくる上で、土台とされている有象無象である、というだけのこと。
空気のように無下にされて、適当に扱われている、と社会を告発したいわけではない。塵のように、蹴落とされているわけでもない。
ただ、自分がいなくても社会は回るのだと、世界はなにも考えずに過ぎるのだと、意識してしまった、だけ。
テレビの奥でやっている、「自分一人じゃ、なにも変わんない!」と叫び、変革を求めるような、ドラマの理想の世界とは違う。というよりも、あの世界観は理解ができなかった。
生きるために必要な、その世界は自分がいなくとも、は分かる。だが、それが何万人、何億人といたらどうだろう。
勿論そんなことはないけれど、誰しも持ったことのある疑問が故に、世界は変わらない。変革は求められても、恐らくそれは理想じゃない。
まるで透明だ。改めて自分を自覚する。この社会はおかしい。否、この世界がおかしい。
ヒトが生物種の代表として、闊歩している。なぜ? ヒトが多くのところで生息しているから? であれば植物でもいい。植物らの方が、ヒトよりも前に、多くの場所で生きている。
知能指数が高いから? だから生き残る訳じゃない。
まず、基本的に能動的な、受動してきた他の生命たちを無意味に壊すような生物に、生きるだのなんだのと言えない。
最後には受動的な生物が、残ってきたのが、自然の摂理であるように。
だからこそ、この事実を理解していない人々は、どこか奇態的という他ない。いつも歩くたび、懐疑の念が頭の中を駆け巡る。
空気のように、見えない世界。でも、その透明は、僕にだけ、見えているようで。
だれも、分からない。理解なぞ、してくれない。
人間が生きる世界が。生きざるを得ない世界が、おかしいことなど。
別にそれでいいのだ。自分が苦しんで、それで終わり。人間という種が断たれようが得まいが、関係ない。それが普通であると、思ってしまっているから。
まるでいい加減だが、仕方がない。世界はそれを普遍とした。外からなんと言われようとも、先に挙手した者が有利になるのだ。
遠い昔の、クラス委員選挙と同じ。先に率先して手を上げる人の方が、選ばれる。他のクラスから非難されようと、先に手を上げた者が二人いれば、それが真実なのだから。
ビルの上から、遠い世界を見下げる。人が入って、流れ出てを繰り返していく。
きっと、明日も変わらない。透明ななにかに、僕は明日も苦しみを抱えて。
生きることを選んだわけでなくても、全うしなければならない。それが、自分に課した枷。
世界は、明日を目指して、延びていく。
「過ぎた日を想う」
まるで夢を見ていたようだった。
どこかふんわりとして実感がない。しかし、これは紛れもない現実なのだ。
なんで、と思わなくもない。自分自身、過去に縋りたくもなってしまう。
雲を掴む、なんて表現がある。漠然とした、捉えられないことを指すらしい。
けれど、それは掴めないものではなく手に取れるものに使うべきだ、と思う。実態があるのだから。まだ、存在するんだから。
ただ、自分たちが空想を広げて、ふわふわと白いものを想像しただけなのだ。ありはしない妄想。けれど、「無い」なんて言葉で一蹴するのは、どうなのだろう。
ああ、世界は世知辛い。言葉ですら、まるで社会を表すことなどできない。たくさんあったとしても、それは本当は必要性のないものなのだから。
いつか、何かが変わる日は来るのだろうか。それとも、「日」なんて、時間を限定した我々のもとになど、存在しないのだろうか。
ある日の昼下がり。何もない、退屈な日々の現在版。
つまりは何も変わらない日だ。こうして考える間も時間は過ぎ去り、過去と記憶に捕らわれた生物だけが世界を動かしている。
信号が赤になる。ただ街中を歩いているだけで、静寂とは無縁になる。周りが動きを止めると同時に僕も歩みを止めた。
風が吹いた。こんなにも歩道は狭いのに、人々の合間を縫って風は入り込んでくる。夏よりかは幾らか涼しくなった風は自分からどこに分かれていくのか。
変わり映えしない空。街中。人が動き去り、そこに自分がいるだけの孤独。
なぜ、こんなにもなってしまったのだろうな。この世界は何を考えているのだろうか。
そう思いながら、僕の意識は思考へと沈んでいく。
思考をするのが好きだった。これがなにで、なぜ、そうなるのか。
必要さを深掘りするのが得意だった。これは本当に、必要なものであるのか、否か。
誰かの言葉から考えを発展させるのが楽しかった。どうしてこの人はそう考えて、自分はどう思うのか。
耳を澄ます。
風の音、街の騒音。信号の音、人々の話声。全てが耳に入り、一つずつ情報が流れていく。
『今日も暑いね~』『ね~』
一つ、そんな声が聞こえた。
暑さ。なんで、そんなにも簡単に言葉にできるのだろう。軽々しく、まるで当たり前の社交辞令のように。
まず前提として、地球が暑くなったのは人間のせいだということ。
もともと地球は人間のものでもないのに、世界なんてものを征服して。
経済発展だかなんだかで、オゾン層を破壊して、しまって。
その後、それが分かっていながらも便利な生活が板についたからか、本格的な取り組みを実施しようとはしない。
――それが、暑くなった原因だ。
そもそもの話、今の時期は普通に地球が回っていたら氷河期になっているはずだった。
だから、本当は、寒いはずなのだ。なのに、今年の夏は猛暑日が続いた。
結論としてそれは……。もう、分かっていて当然のはずなんだ。
――人間が悪いのだ、と。
はあ、と感嘆にも満たない溜息を吐く。
人間が悪なのだ、という紛れもない事実を更に突き付けた憎しみ。そして自分がそうなのだと言う圧倒的な苦しさ。全てがごちゃ混ぜになって、溜息とともにぽいと吐き出す。
きっと誰も拾っては、くれないだろう。
ふと歩道の端にある木に目が行った。誰もが一度は見て、知らぬ間に通り過ぎる自然を。
……自然?
自分の言葉にふと違和感を覚えた。
自然。それは人間の手を出してはいけない領域だったはずの場所だ。
自我に気づいた人間という種は、自然を破壊して新たな世界を作り上げた。それが今の社会で。
つまりは自然と社会は対になるもの。いや、対にしたもの、というべきか。
だからこそ、社会に自然なんてものがあるわけがない。共存なんて、できるわけがないのだから。
だから、あの木は、自然なんて呼んではいけない。あれはただの人工的自然であって、自然ではない。ただの偽物。
森林公園、だとかそういう類いのものもそうだ。自然を感じる、なんて。あれはただ、自然を壊しつくした人間が、単に自然が恋しくなって造った自然破壊の為の存在なのだから。
自然と共に生きる? 無理に決まっている。地球を現在進行形で壊している、いわばがん細胞。地球から生まれながらも、母を殺した子供。
もちろん、木々に生物に悪だ、と言っているわけでは無い。そこに造ろうと思ったすべて人間のせいなのだ。すべて。すべて。
ああ、と心の中で乱暴に考えを振り払う。どうしてこうなってしまうのだろう。自分だって人間の癖に。それが分かっていて、こういう風に考えてしまう自分に悲しくなる。ああ、なぜ。
誰もが、軽々しく言葉を使っている。自分だってそうだ。人間が自分たちでしてきたことを棚上げにして、そのくせまるでそれが悪いかのように話し出す。
さっきの暑さのように。
できる事ならば、この考えを誰かに言いたい。別に人間が殺したい程憎んでいるわけじゃ、ないから。それだったら、自分も同罪なのだから。
もちろん、この考えが正しいと言っているわけじゃない。でも、知ってほしいのだ。自分なりに考えたこの言葉を。どうして彼らは分からないのだろう。なんで、知らぬ存ぜぬで過ごせるのだ?
ああ、でも。無理だろうか。聞いてもらったとしても、世間一般は理解なぞしないのだ。自分たち人間の世界が普遍的なものだと思ってしまっているから。これが当たり前だと、考えてしまっているから。
解かって、いるのだ。そんなこと。分かっているはずなんだ。誰も本当の理解なんてしてくれないのだと。ただの頭のおかしい人だと思われることを。
だからこそ、言い出せない。自分の考えが、社会から弾圧されるべき思考だとわかってしまっているから。心の奥に爆弾を抱えて生きるしかないのだ。それが心の中で幾度爆発しようとも。
ああ、と心の中で感嘆を叫ぶ。どうにかできる事なら、子供の頃にでも戻りたい。世界の狂気を知る前の自分に。純粋無垢で、社会の全てをどうとでも受け止められていた、あの時代に。
でもそれと同時に、きっと理性は言うのだろう。「知ってしまった心は、もう元には戻らないのだ」と。「過ぎた日はもう戻ってこないのだ」と。
わかっている。でも、少しぐらい望みが欲しかった。明日にはこの考え方が変わって、社会で生きることになんの苦しみも抱かなくなるかもしれない。人間の世界で生きることが、普通だと思えるようになっているかもしれない。
そんな世界を。
ああ、でも、どれだけ邪険しようとも。僕には、子供の頃のような過ぎた日を想うことしか、できないのだ。
――もう、普通へは、戻れないのだから。
信号が青に切り替わり、周りが一斉に動き始める。僕も、一緒に。
風が吹く。どこか心地の悪い風は、僕の心情を表すようだった。
僕のように、普通に見えていても、心の中ではこんなことを考えている人が居たりするだろうか、なんて。
そんなこと、希望の欠片もあるわけないのに。
自嘲的に、はあ、とため息を吐く。
きっと、この空の向こうには。なんてないんだろうな、と。
――空を見上げた。