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10/6/2024, 3:13:56 PM

「過ぎた日を想う」

 まるで夢を見ていたようだった。
 どこかふんわりとして実感がない。しかし、これは紛れもない現実なのだ。
 なんで、と思わなくもない。自分自身、過去に縋りたくもなってしまう。

 雲を掴む、なんて表現がある。漠然とした、捉えられないことを指すらしい。
 けれど、それは掴めないものではなく手に取れるものに使うべきだ、と思う。実態があるのだから。まだ、存在するんだから。
 ただ、自分たちが空想を広げて、ふわふわと白いものを想像しただけなのだ。ありもしない妄想を、「無い」なんて言葉で一蹴するのは、どうなのだろう。

 ああ、世界は世知辛い。言葉ですら、まるで社会を表すことなどできない。たくさんあったとしても、それは本当は必要性のないものなのだから。

 いつか、何かが変わる日は来るのだろうか。それとも、「日」なんて、時間を限定した我々のもとになど、存在しないのだろうか。


 ある日の昼下がり。何もない、退屈な日々の現在版。
 つまりは何も変わらない日だ。こうして考える間も時間は過ぎ去り、過去と記憶に捕らわれた生物だけが世界を動かしている。
 信号が赤になる。ただ街中を歩いているだけで、静寂とは無縁になる。周りが動きを止めると同時に僕も歩みを止めた。
 風が吹いた。こんなにも歩道は狭いのに、人々の合間を縫って風は入り込んでくる。夏よりかは幾らか涼しくなった風は自分からどこに分かれていくのか。

 変わり映えしない空。街中。人が動き去り、そこに自分がいるだけの孤独。
なぜ、こんなにもなってしまったのだろうな。この世界は何を考えているのだろうか。
 そう思いながら、僕の意識は思考へと沈んでいく。


 思考をするのが好きだった。これがなにで、なぜ、そうなるのか。
 必要さを深掘りするのが得意だった。これは本当に、必要なものであるのか、と。
 誰かの言葉から考えを発展させるのが楽しかった。どうしてこの人はそう考えて、自分はどう思うのか。


 耳を澄ます。
 風の音、街の騒音。信号の音、人々の話声。全てが耳に入り、一つずつ情報が整理されていく。
『今日も暑いね~』『ね~』
 一つ、そんな声が聞こえた。

 暑さ。なんで、そんなにも簡単に言葉にできるのだろう。軽々しく、まるで当たり前の社交辞令のように。
 まず前提として、地球が暑くなったのは人間のせいだ。
 もともと地球は人間のものでもないのに、世界を征服して。
 経済発展だかなんだかで、オゾン層を破壊して。
 その後、それが分かっていながらも便利な生活が板についたからか、本格的な取り組みを実施しようとはしない。
――それが、暑くなった原因だ。

 そもそもの話、今の時期は普通に地球が回っていたら氷河期になっているはずだった。
 だから、本当は寒いはずなのだ。なのに、今年の夏は猛暑日が続いた。
 結論としてそれは……。もう、分かっていて当然のはずなんだ。
――人間が悪いのだ、と。


 はあ、と感嘆にも満たない溜息を吐く。
 人間が悪なのだ、という紛れもない事実を更に突き付けた憎しみ。そして自分がそうなのだと言う圧倒的な苦しさ。全てがごちゃ混ぜになって、溜息とともにぽいと吐き出す。
 きっと誰も拾っては、くれないだろう。


 ふと歩道の端にある木に目が行った。誰もが一度は見て、知らぬ間に通り過ぎる自然を。
……自然?
 自分の言葉にふと違和感を覚えた。

 自然。それは人間の手を出してはいけない領域だったはずの場所だ。
 自我に気づいた人間という種は、自然を破壊して新たな世界を作り上げた。それが今の社会で。

 つまりは自然と社会は対になるもの。いや、対にしたもの、というべきか。
 だからこそ、社会に自然なんてものがあるわけがない。共存なんて、できるわけがないのだから。

 だから、あの木は、自然なんて呼んではいけない。あれはただの人工的自然であって、自然ではない。ただの偽物。
 森林公園、だとかそういう類いのものもそうだ。自然を感じる、なんて。あれはただ、自然を壊しつくした人間が、単に自然が恋しくなって造った自然破壊の為の存在なのだから。

 自然と共に生きる? 無理に決まっている。地球を現在進行形で壊している、いわばがん細胞。地球から生まれながらも、母を殺した子供。

 もちろん、木々に生物に悪だ、と言っているわけでは無い。そこに造ろうと思ったすべて人間のせいなのだ。すべて。すべて。


 ああ、と心の中で乱暴に考えを振り払う。どうしてこうなってしまうのだろう。自分だって人間の癖に。それが分かっていて、こういう風に考えてしまう自分に悲しくなる。ああ、なぜ。

 誰もが、軽々しく言葉を使っている。自分だってそうだ。人間が自分たちでしてきたことを棚上げにして、そのくせまるでそれが悪いかのように話し出す。
さっきの暑さのように。


 できる事ならば、この考えを誰かに言いたい。別に人間が殺したい程憎んでいるわけじゃ、ないから。それだったら、自分も同罪なのだから。
 もちろん、この考えが正しいと言っているわけじゃない。でも、知ってほしいのだ。自分なりに考えたこの言葉を。どうして彼らは分からないのだろう。なんで、知らぬ存ぜぬで過ごせるのだ?

 ああ、でも。無理だろうか。聞いてもらったとしても、世間一般は理解なぞしない。自分たち人間の世界が普遍的なものだと思ってしまっているから。これが当たり前だと、考えてしまっているから。

 解かって、いるのだ。そんなこと。分かっているはずなんだ。誰も本当に理解なんてしてくれないのだと。ただの頭のおかしい人だと思われることを。
 だからこそ、言い出せない。自分の考えが、社会から弾圧されるべき思考だとわかってしまっているから。心の奥に爆弾を抱えて生きるしかないのだ。それが心の中で幾度も爆発しようとも。


 ああ、と心の中で感嘆を叫ぶ。どうにかできる事なら、子供の頃にでも戻りたい。世界の狂気を知る前の自分に。純粋無垢で、社会の全てをどうとでも受け止められていた、あの時代に。
 でもそれと同時に、きっと理性は言うのだろう。「知ってしまった心は、もう元には戻らないのだ」と。「過ぎた日はもう戻ってこないのだ」と。

 わかっている。でも、少しぐらい望みが欲しかった。明日にはこの考え方が変わって、社会で生きることになんの苦しみも抱かなくなるかもしれない。人間の世界で生きることが、普通だと思えるようになっているかもしれない。
そんな世界を。

 ああ、でも、どれだけ邪険しようとも。僕には、子供の頃のような過ぎた日を想うことしか、できないのだ。
――もう、普通へは、戻れないのだから。


 信号が青に切り替わり、周りが一斉に動き始める。僕も、一緒に。
 風が吹く。どこか心地の悪い風は、僕の心情を表すようだった。
 僕のように、普通に見えていても、心の中ではこんなことを考えている人が居たりするだろうか、なんて。
 そんなこと、希望の欠片もあるわけないのに。

 自嘲的に、はあ、とため息を吐く。
 きっと、この空の向こうには。なんてないんだろうな、と。
――空を見上げた。

8/16/2024, 1:39:13 AM

「夜の海」

いつから、ここにいただろう。
時間と言う概念を忘れるほど、ここにいた気もするし、そこまで時は経っていない気もする。
ああ、音と言う概念すらないこの世界では、それすら分からなくなる。
まあ、でもいいだろう。時間なんて、関係ない。
――僕は時間と言う枠に囚われた世界にいるために、ここにいるわけではないのだから。

顔を上げる。
目の前には、さざ波が音を立てる、大きな水の塊が広がっていた。


夜の海が好きだ。静かで誰もいない、なにもない海が好きだ。
そこには時間と言うものがないから。
光と音に溢れた、うるさいほど眩しい昼間の海の面影は、どこにもない。
一人一人の個性の尊重といいながら、一定のリズムを強要する、社会の時間は存在しない。

いつか、初めてここに来たとき、それがとても美しく思えた。
ここしかない。自分を解放できるところだ、と。
何気ないことが、容易に思い浮かぶ。自分のしたいこと、思っていること。
次々に浮かんでまとまらない考えが、くくりつけられるのだ。


いつしか、ここで、想いを馳せるのが日課になっていた。
――想いを馳せる、というと、幻想的に聴こえるかもしれないが、単純なことだ。なんで生きているのか、人と生きるとはなにか。
瞑想して、哲学する。自分に必要な答えを、自分でつくる。楽しみではない、日々の疑問をただ解消するだけ。
それが習慣化したと言うこと、それだけなのだ。


海から光が見える。白い波、海が月を乱反射する。それを見いて、今日もまた考える。

ああ、なぜ、僕は社会に縛られているのだろう。
社会とは、人間を統一するためのものだ。統一することは、複数のものを単純化することだから。

でも、ヒトは、社会でいきることを、なぜ選んだのだろう。「ヒト」というのは元々生物のはずで、海にいる生き物たちと、何らかわりもないのに。

海の動物で、一緒に行動をするものもいる。でも、それは単純だからだ。一緒に行動した方が、生きるため、命を循環するための効率がいいからだ。

社会は違う。人間がバラバラに行動して、社会と言うものを成立させている。分担しているというと聞こえはいいが、『人間が勝手に』陸に、海に、果てには宇宙にと、場所を広げていっているだけ。『人間のために』過ごすためのものを作り替えていっているだけなのだ。


ふと、パチン、と音が聞こえた。辺りを見渡すと、蟹のような、そうでないような生き物が近くで動いている。
海では、魚のひれが波をたてた。

――そうなのだ。ヒトだって、これと同じように、循環することを目的として生きた、生命だったのだ。

それを忘れてはいけない。自分たちが、生造元を壊しては、いけないのだ。人間が神を殺すことを反逆とするように。

だからこそ、伝えてかなければならない。生きていることを。普段社会のなかで食べる生物は、最初からあの形な訳がないのだから。


海の背景が明るくなっていく。日の出だ。水が光を反射し、世界を白に包み込んでいく。
これでなにかが変わる訳じゃない。自分一人がなにかを考えたところで、社会に与える影響は微々たるものだ。

でも、それを伝えることができる。考えをまとめて、誰かに話すことはできる。
微々たるものでも、失くなるではなく、積もるものなのだから。生きてる限り消えるものなど存在しない。

いつの間にか、空は真っ青になっていた。
あの青だって人間が作ったものじゃない。変えるべきじゃ、壊すべきじゃない。

昨日夢見た明日は、思っていたよりも明るいものであるものだな、と感じる。


歩く度に砂の音が鳴る。でも、夢はもう遠ざからない。
――ああ、今日もまた一日を過ごそう。
そして、また恋い焦がれるように、光へと手を延ばすのだ。

海は、いつまでも光を照らしていた。

2/23/2024, 5:36:14 AM

「太陽のような」

 満天、といっていいほどの、星空だった。
 静かで、それでいてうるさいほどの光。明るく、地を光で染め上げるような。
 緩やかに、それでいて速やかに見せる角度を変えていく。暗闇にいるような、それでも、どこか明るいような。そんな不思議さを、物語っている。
 ……また、星がひとつ、出る。それは地平線から姿を現し、遥か彼方まで照らし出す。
 そんな、ただただ明るい夜を、僕はずっと眺めていた。


 星が好きだった。自分よりずっとずっと昔に生まれた光が、今現在、自分に届いている。そんな不思議さと奇怪さが好きだった。
 新しいはずなのに、新しくない。自分が生きているのに、あの星は? 自分自身の存在と、感覚がわからなくなっていく、そんな夜が、好きだった。

 屋根の上から、今日も星を見上げる。屋根に登るのは好きだ。一番、天に近くなった、気がするから。
 手が届きそう、何てことはなくても、一番近くで観れている気がするのだ。
 風がビゥ、と耳元を掠めた。少し鳥肌が立って、ブルリ、と震えた。
 今は冬。真冬、といっていいぐらいの時期である。太陽が、四季のなかで一番遠くにある時期は過ぎたといえど、それでもまだ灯火は遠かった。


 星を見上げる。今は冬の星が見頃だ。いつもよりも明るい星が、僕を照らした。
 あれは、オリオン座。一番見つけやすい、といっても過言ではない。ベテルギウス、リゲル、という一等星が二つあり、そのうえ赤と青という、反対の色をもつ。見つけやすいに他ならない。

 四角の中に、三ッ星があり、そこが、ベルトを形作る。形としても有名で、どこがどうして有名になったのかは、気になるところだ。……やはり色か、形だろうか。

「なーがーしかくにてん、てん、てん」

 いつか誰かに教えてもらった言葉が、自然と口に出る。呟きに近かったが、夜の空はシン、としていて、思っていた以上に虚空に響いた。

 その左と下にあるのが、おおいぬ座と、こいぬ座だ。きっと、犬好きの人間は喜ぶに違いない。……ねこ座はないのにな、なんて。
 こいぬ座は、プロキオン、という一等星をもつ。星の数が少ない星座といえど、小ぶりで輝く姿は、美しい。

 おおいぬ座は、シリウスと呼ばれる一等星をもつ。全天のなかで、一番明るく光る、夜の恒星だ。青白く輝く姿は、スポットライトなど要らないという、主役級の光だった。


 そして、その真下にあるのが……『アダラ』という星である。
 多くの人は聞いたことすらないだろう。当然だ。そこまで有名でもない、そんな星なのだから。
 この星……アダラは、2等星のなかでは最大の明るさを誇る。言うなれば、「2等星の中で一番明るい星」である。
 へー、そうなんだ。普通ならそれで済まされてしまうだろう。そんな、目立たない星。

 でも目立たないのは、あの、シリウスのせいなんじゃないか、と思う。真上にいる、明るすぎる、シリウスの。
 彼が目立っている間は、アダラは光っていても、見つからない。見落とされてしまうのだ。シリウスのことがわかっても、自分のことは見つけられない。

 周りに一等星が居すぎるのも酷だ。
 冬の星は、一等星が多い。全天で20個ほどしかない1等星のうち、冬の星座の中には7つの星が該当する。
 紹介した「ベテルギウス」「リゲル」「プロキオン」「シリウス」のほかにも、ぎょしゃ座の「カペラ」、おうし座の「アルデバラン」、ふたご座の「ポルックス」といった風だ。ふたご座に関しては、ポルックスのとなりにも、「カストル」という見つけやすく、明るい二等星が存在する。


 アダラが見つからない。それはそうだろう。こんなにも全天が明るいのだから。
 1等星に一番近い、明るさを持っているはずなのに。1等星で一番明るいシリウスが近くにいるから、ひっそり煌めくしかない。

 そんなアダラが、僕は一番好きだった。


 どうして、周りと比べるの?
 ……別に比べてなんかいないよ。ただ、君は他の人に目を向けてないだけだ。その人を知れば、自分をどう思っているか、わかるよ。
 ……そんなの、社会はそういうものなのだからしょうがないだろう? 一番目立つ、一番良いやつが選ばれる、そういう世界なんだ。

 なんで、誰も遊んでくれないの?
 ……え? ああ、そうだったんだ。君は忙しいのか、遊びたくないのか、そんな風に思ってた。
 ……しょうがないんだ。アピールしてくるやつの方がわかりやすい。自分だって、遊びたい、と思うだろう? なぁ?

 なぜ、話しかけてくれないの?
 ……いつも話しかけてるつもりだよ。なんというか、話さないかなぁ、と思って。話題とか、合わないかな、ってさ。
 ……話しかけてきた方が、楽だろう? 自分から話しかけに行くよりも。というか、難しそうな本とか読んでいて、話しかけづらい雰囲気を出しているのは、君の方だろうに。


 分かっている。皆から嫌われていることは。皆から疎われていることは。
 誰かに、自分から話しかけに行かなければ、誰かが話してくれることがない、なんていうのは。

 それができなければ、友達を作ることすら、難しいこと、なんて。
 分かっている。解っている、はずなんだ。自分がそういう人間だっていうのは。

 解っている、はず、だというのに。なんで、そんなことしなくちゃ行けないの? なんで? なぜ? どうして?
 他の人はそんなことしなくっても、自然と周りに友達が集まる。休み時間なんて、友達に囲まれている。

 確かに、僕は、物事を考えすぎる。考え始めると、止まらなくなる。哲学が好きで、天体を観て考えることが趣味の、そんな人間。

 でも、でも。それは違うんじゃないか? 周りと比べて、ああ、こっちの人の方が付き合いやすそうだな、ていうのはある。それぐらいは、僕にだって。

 でも、話しかけにも来ないくせに、はじめからやめよう、って。話しかけに行かないといけない状況を無理矢理に作るのは。遊んでくれない、なんて状況を作り出すのは。

 いつも、苦しかった。辛かった。教室に居場所なんてないように感じて。どこにいたって、自分は見つけてもらえないような気がして。

 そんな時に、見つけた星が、アダラだった。
 主役級の光が近くにいて、それでも負けじと光る。2等星と判断されたって、その中の一番になる、そんなアダラが。

 もちろん、星にそんな意思があるわけがない。でも、そう思っていると、考えてしまう。そう思っていて欲しいと、押し付けてしまう。

 ただただ、光っているだけのその星……アダラが、僕にとっての希望の星だった。

 ただ、それだけのことなのだ。


 星はまだまだ光っている。もうすぐ、朝日が昇ってしまうというのに。田舎ではなくとも、周りに人工の光がないからか、とてもきれいな、満天の星だった。

 月は細い。前日が新月であったためか、否か。そのためか、月よりも、星の方が大きく見えた。
 光が世界に降り注いでいるように。


 別に、太陽のようなんかじゃない。太陽が出てしまえば見えなくなってしまうほどに、弱くて、小さい。
 でも、それでもいいんじゃないか?明るくなくたって、見えなくたって。

 気づかれなくても、そこで、一生懸命に、生きていれば。周りにきらびやかな星があろうと、存在さえ、していれば。

 羨まなくたっていい。望まなくたっていい。「居る」ことの存在証明さえ、あれば。

 その周りに誰がいようと、自分が居る、そのことが。
 

 うっすらと、東の空が明るくなる。そこにあるのは、明日だ。赤く、白く、朝日が世界を照らす。

 ああ、きっと、星は見えなくなる。朝日は、全てを惑わせるほどの光だった。
 シリウスなんかよりも明るい、全てを隠す、その光。


 もう、アダラは見えない。僕のような星は。でも、きっと、きっと。
 明日も見える。明日も、そこで輝いているに、違いない。


 今日は、一番に輝く星じゃない。小さくとも儚げに輝く、アダラのような星を、見つけよう。

 自分にしか見えない世界で、シリウスよりも先に、アダラを見つけ出そう。

9/28/2023, 9:45:10 AM

「通り雨」

それは、水溜まりのようだった。
薄く、水面が広がり、透明さを活かし、世界を反射する。
四つん這いになり、水面を触る。
すればさざ波が立ち、ゆらゆらとその世界は揺れた。
きれいだと思った。素直にきれいに見えた。
変わりげのない、世界に見えた。
普通だった。ただの水のように思えた。"思いたかった"。

なにもない。『普通の光景だ』と。
でも。どれだけ嘘を本物だと思っても。
どれだけ事実を否定しても。
それは、所詮、夢幻だ。
じわじわと現実は牙を剥く。
だんだんと、色が鮮明になる。
その水は、否、水"だった"ものは、どす黒い色を帯びて。
"赤く″染まった。
気づけば、その朱は自らに絡まり付くように。
或いは、変わらない現実を見せつけるように。
自分の方へ流れてきて。
手は赤く濡れ、体を貪るように侵食していく。恐怖が体を支配する。

ふと、前を見てみれば。
そこには、君の倒れた体があった。


夢のようだった。
辺りは薄く、暗く、闇しかないような。
異常なくらい静かで、なにもない。
紺色に、包まれたような世界。
でも、どこかから、希望のように。
一つの光が目の前を照らす。
だんだんとそれは大きく、強くなっていく。
目を瞑る。開けたところで見える気はしない。
でも、何か、とても知りたいものが、見たいものが見えた気がして。
それがどうしても、気になって。
薄ら目を開けた。
ぼんやりと、情報は頭に回る。
なにも見えない。でも。
あの中には、何かがある。
そう、確信した。
でも、手は延ばせど届かなくて。
何がある? どこにある?
好奇心だけが膨らんでいく。
だが、その世界はだんだんと、白くぼんやりと霧のように。
薄く黄色く視界は染まる。
まるで、見せたくないかのように。
でも、一瞬だけ見えたんだ。
あの姿。あの、顔。

緩やかに背景との境目がどこかぼやけて。
いつしかそれは、消えてしまった。


なんの夢を見ていたのだろう。
ボーッとした頭を起こす。今は何時だろうか。
掛けていた布団をずらし、ベッドから降りる。朝、5時。
早く起きすぎたかな、なんて独り言を呟きながら、部屋に電気を付けようとして。止めた。

急に何かが覚醒したようだった。
何かを思い出しそうな、予兆。予感。
頭のなかを巡らせる。そういえば、どんな夢を見た?
見えそうで見えない、霧のような。
どこかで感じたものに似たような感覚。
ぼんやりと、頭が晴れていく。否、目が醒めた、と言う方が正しいか。

ああ、そうか。と、心のなかで納得する。全てが繋がった連鎖。心を圧迫もののない解放感。
そうだ。どうして忘れていたのだろう。
今日は、君が死んだ日だというのに。


二年前、君はいなくなった。公園で、血を流して。
一角に血溜まりを残し、君はどこかへ行ってしまった。まるで、幻想のように。
僕は、その死体を見た。体が、震えた。
撹乱して、おかしくなって。
まるで、血溜まりが、水のように見えた。
周りが霧のように、消えていた。まるで、雲の上みたいに。
気づけば、ベッドの上だ。どうなったのかさえ知らない。
通り魔なのか、自殺なのか。わからない。
ただ、死体を見ただけの、人間。
ただ、君を見た人間の、一人だ。


ふと気づけば、身体は力が抜けていて。
ああ、君を見たあの日もこうだったなと、思い出す。

二年前の今日。僕は君を見れなくなった。
何もかも、わからなくなった。
知らず知らずの内に君を忘れて。
何にも気づかずに前を向いた。背を向けた。

でも、それでいいのだろう。
きっと、君も前を向くことを望んでいる。
忘れてしまうことではない。背を向けることじゃない。責任を背負っていくこと。
僕に、歩んでいってもらうこと。
そう思う。
もう忘れはしないだろう。
責任をもって、向き合っていく。
でもきっと。
いつかは、通り雨のように、過ぎ去る過去として存在するようになる。
君だって、僕だってそうだ。
一つの思い出として、存在するようなる。
そうなっていく。


もう、朝日が上っていた。朝、6時。
君は、この太陽を見てどう思う?
心にそう語り掛けて。
これからだ。これからずっと。
僕は、君と一緒にいよう。心の中で、問いかけていこう。

窓を開ける。差し込む朝日が眩しい。
この朝日を、君も、見ているだろうか。否、きっと、見ている。

緩やかな風が吹く。少し、冷たい。
「ありがとう」
そんな言葉が聴こえた気がした。

9/25/2023, 7:54:47 AM

「形のないもの」

静かに雨が降っていた。
なでるように、音もなく。
ゆるゆると雲を絞るかのように降る。
しとしとと、葉を濡らし、脈を伝って地に雨跡をつけた。
それはまるで、木漏れ日のようで。
落ちた雨は斜面を伝い、水同士がくっついていく。
それは同心円状に広がって。
何もない日々に、鮮やかな色を付けていた。


雨が降っていた。
雲は黒くなく、ただ普通の白い雲に見えている。
それはまるで、ぞうきんを絞って、水を滴らせるような。
重さで、重力で、落ちてしまったというような。
そんな雨だった。
頬に、水が当たる。
部屋にいたというのに、窓から雨が粒となって濡れた。
ツーっと伝って、首筋に当たる。
涙に様になってしまったな、と苦笑する。
でもそれは的を射ていて。
自分の心を再現しているようだった。


「存在って何だろう」
そう、君に聞いたことがあったか。
何年前だろう。分からない。
君はどう答えたんだったか。
考えていくうちに、その記憶は徐々に鮮明化してきて。
まるで目の前に君がいるかのように。

「存在は、概念としてあるもの、だよ」
君は薄い笑みを浮かべた。優しい笑みだった。
「概念として、考えるもの。考えられるもの」
僕は考え込むように下を向き、手を口に当てた。
存在の意味は分かる。そこにあるもの。そして、こと。
でも君の答えが知りたかった。
哲学的なことを言ってくれる君の答えを。
でも今回は。
「……どういうこと?」
意味が分からなかったのだ。
概念。考えられるもの。どういう意味か、分からなかった。知りたかった。

君は静かに、口に弧を描く。
「存在は、私たちが考えることのできるものを指すと思う」
「考えられうるもの。想像できるものも含めて、全部」
その笑みは、まるで慈しむようで。
「見えるもの全てじゃあない。感じるもの全てじゃあない」
そう、断言する。
「それを、存在と言うんだよ」
子供に言い聞かせるような、まじめな顔だった。
でも、それを言った瞬間に、頬が緩んで。
「ね?」
どう? 分かった? そう確かめるかのように君は聞いた。
その言葉に僕も笑みを浮かべる。
その笑みはずっと見ていたかった。
「うん」
そう、言い切った。


何年前のことだっただろう。
あの頃から、君に随分と会っていない。
何もない無機質な生活を永遠に送っているようだった。
変わらない生活がこれからも続くと思っていた。
でも、君のことを思い出して。
僕はやっぱり君に会いたいのだと実感する。

君との記憶は、頭にこびりついたように、離れない。離さない。
僕からしたら、君こそ永遠に変わらない存在で。
形のない、想像でしかなくても、それは存在で。
ただ、夢のような幻でも、会いたかったんだ。
そんな気持ちがずっと渦巻いている。

雨はまだ、絞り込むように、降っていた。

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