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「透明」

 どこか、苦しい気がした。
 誰も彼も、何にも気づかずに通りすぎていく。
 ビルが並び立って、車が、人が、流れるのを見下げた。
 相も変わらず、無気力な様を映し出す。
 きっと、どこかに目標をもって。変化を求めて。

 こんなにも過ごしやすい、生と死が重ならない世界を生きているのに、どうにも喉の奥に突っかかりを覚える。
 否、だからだろう。誰も、知らない。気づかない。分からない。だから、苦しい。
 そこに生きるという選択。知るという選択。おぼろながら分かっていたことへの完全な自覚。

 自嘲的に溜め息を吐く。見えないことだから、分かち合えない。まるで溺れているようだった。


 透明みたいだ、と思ったのはいつからか。
 自分が社会の歯車であることは理解している。社会に貢献している、という自尊心ではなく、社会をつくる上で、土台とされている有象無象である、というだけのこと。

 空気のように無下にされて、適当に扱われている、と社会を告発したいわけではない。塵のように、蹴落とされているわけでもない。
 ただ、自分がいなくても社会は回るのだと、世界はなにも考えずに過ぎるのだと、意識してしまった、だけ。

 テレビの奥でやっている、「自分一人じゃ、なにも変わんない!」と叫び、変革を求めるような、ドラマの理想の世界とは違う。というよりも、あの世界観は理解ができなかった。
 生きるために必要な、その世界は自分がいなくとも、は分かる。だが、それが何万人、何億人といたらどうだろう。
 勿論そんなことはないけれど、誰しも持ったことのある疑問が故に、世界は変わらない。変革は求められても、恐らくそれは理想じゃない。


 まるで透明だ。改めて自分を自覚する。この社会はおかしい。否、この世界がおかしい。
 ヒトが生物種の代表として、闊歩している。なぜ? ヒトが多くのところで生息しているから? であれば植物でもいい。植物らの方が、ヒトよりも前に、多くの場所で生きている。

 知能指数が高いから? だから生き残る訳じゃない。
 まず、基本的に能動的な、受動してきた他の生命たちを無意味に壊すような生物に、生きるだのなんだのと言えない。
 最後には受動的な生物が、残ってきたのが、自然の摂理であるように。

 だからこそ、この事実を理解していない人々は、どこか奇態的という他ない。いつも歩くたび、懐疑の念が頭の中を駆け巡る。


 空気のように、見えない世界。でも、その透明は、僕にだけ、見えているようで。
 だれも、分からない。理解なぞ、してくれない。
 人間が生きる世界が。生きざるを得ない世界が、おかしいことなど。

 別にそれでいいのだ。自分が苦しんで、それで終わり。人間という種が断たれようが得まいが、関係ない。それが普通であると、思ってしまっているから。

 まるでいい加減だが、仕方がない。世界はそれを普遍とした。外からなんと言われようとも、先に挙手した者が有利になるのだ。
 遠い昔の、クラス委員選挙と同じ。先に率先して手を上げる人の方が、選ばれる。他のクラスから非難されようと、先に手を上げた者が二人いれば、それが真実なのだから。


 ビルの上から、遠い世界を見下げる。人が入って、流れ出てを繰り返していく。
 きっと、明日も変わらない。透明ななにかに、僕は明日も苦しみを抱えて。
 生きることを選んだわけでなくても、全うしなければならない。それが、自分に課した枷。

 世界は、明日を目指して、延びていく。

3/14/2025, 2:06:07 AM