仕事場の窓からは、川が見えていた。
いかにも街中のといったような、あまりきれいとは言えない川だ。舟のエンジン音がブーンと通り過ぎる以外は、特に音もなく、流れているのかも分からなかった。
いま、小さな島のキャンプで、ちゃぷんちゃぷんといった波の音を聞きながら眠りに落ちようとしている。
海の音は、もっと大きいものだと思っていた。
昼の海は魚が泳ぎ回るのも見えるくらい澄んでいて、夏の太陽をキラキラと反射して、潮の香りも香ばしく、活動的に見えた。
いまは、押し黙るというよりも、もっと静かで、何もかもをその内に取り込んで離さないような、大きな引力があるような、不思議な感じだ。
あの川は、やがてこの海に辿り着くのだろう。
街の灰や塵を黙って飲み込んで、夜の海に引き寄せられる。そうして朝になれば、何食わぬ顔で空を反射してキラキラと輝くのだ。
けれど、皆、それを承知で海に出ていく。
『夜の海』
高校生ともなれば、自転車である程度の距離を移動できるようになる。
学校はもちろん、じいちゃんちも余裕で行き来できる。
電車で数駅分の距離なんて余裕だ。
自力で自由に動ける距離は、行きたい場所に行きたいと思う気持ちに比例するかもしれない。
いま、彼女にひと目会いたいと思えば、彼女のもとに向かうことができる。
冬の風を切りさいて進んでいるのに、寒さは全く感じない。
ペダルを漕ぐ足が何に突き動かされてるのか、今は分からなくていい。
早く、速く。
日が昇る前に。
『自転車に乗って』
落ち込んだとき、頭がぐちゃぐちゃのとき、ふと「あそこに行きたい」とか「あの人に会いたい」と思うことが誰しもあるだろう。
私もそういうときに会いたい人がいた。
心の奥をのぞき込んで、優しく背中を撫でるような、深い森のような瞳。木立が永遠に並ぶようなそれを、傷がついたと人はいうけれど、そんなことは全く思わない。
彼はずっと恋人を待っていのだという。
現実的には再会は叶わないのだと誰もが、彼自身も心のどこかでは思っているだろう。
静かに私を慰める彼でも、諦めきれないものがあるということ。
そのことが、私を癒やし、奮い立たせるのだ。
『心の健康』
夏の代名詞のような麦わら帽子だが、少女は雪のちらつく季節でもかぶりたがった。
姉が、どうにかなだめすかして、毛糸のぽんぽんのついたニット帽をかぶせたものだ。
春になって外で遊べるようになると、少女は毎日麦わら帽子をかぶって外に出た。
なんなら、家の中でもかぶっていた。
その日は、そんな麦わら帽子を落としたのも気づかずに遊んでいたという。
どんなにわくわくすることがことが起きたのだろうか。
家族は、楽しい夕食の想像をしながら、少女を食卓に呼んだ。
『麦わら帽子』
薄暗く広い間である。石、なのだろうか、床はひやりと冷たく、体温を奪っていく。だというのに空気は大雨の直前のように生ぬるくしめっぽい。息苦しさを感じないのが不思議だ。
何ともつかない、奇妙な石像がいくつも壁側に座する。
何かを守っているのだろうか。動き出しそうな気配すら感じる。
その壁には、植物の根がまるで浮き出た血管のように張っている。
根は水を、土を求めているのだ。それはここにはないというのに。
すべてここで終わらせる。
ここまで伸びた根がいつか土に根ざすことができるように。
『終点』