ももく

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6/24/2025, 11:11:24 AM

 基本的に何でもある都市だ。一言で言えば、都会、だ。
 指先一つで希望が叶う便利さも、一夜にして大金が動くビジネスも、一方で、搾取され何かとともにすり減らす靴底も、泥まみれになりながらも何かを成そうとする野心も。基本的には、何でもありの、都市だ。

 高層ビルの隙間から除く夜空は、暗く重く垂れ込めている。
 高い煙突に飛行物の安全のために付けられているLEDが、空を彩る役割は我らだとばかりに、ゆっくりと瞬いている。

 その赤い光に規則正しく横顔を照らされながら、男はただ、知らせを待っていた。

 屋上の手すりは、梅雨のじっとりとした湿気と熱を帯び続けたまま、肘を置くにも適さないと知りながら、しかしほかにすることもなく、男は退屈を噛み殺す。

 ヘリの音が少し遠くをのっそりと横切っていく。

 あれに乗ってみたいと思ってた時もあったものだ。無邪気に、空高く飛んでみたい、と。
 男の口元に自嘲の笑みがこぼれた。

 男の懐が振動する。端末が合図を受信したようだ。

 ⸺行こう。

 身の内の何かに呼びかけるように一度右手を握り、男は跳ぶ。
 手すりの外側へ、そしてその先の、隣のビルからビルへ。
 男の身体能力からすれば、造作もないことだ。
 ヘリに乗るよりも、思い通りに動けるのは明白だ。

 ⸺とんでみて、どうだった?
 少年の声が耳をかすめた気がした。

 ⸺悪くない。だが…… 
 男はそこで言葉を切り、一瞬目を閉じる。
 
 ⸺人というものは、知ってしまうと、その前には戻れぬものなのだ。


『空はこんなにも』

6/14/2025, 10:50:06 AM

 おれになくて、あいつにあるものとは何だろうか。

 そんな疑問が一瞬浮かび、そして自嘲と共に消える。

 そんなものは、おれがよく知っている。あいつは、おれのように卑屈ではないし、まっすぐだ。
 あいつになくて、おれにあるものも、いくらかはあると思う。が、それでもおれはあいつの眩しさを羨ましいと思う。と同時に、憎らしくも思う。

 それでも、おれは⸺おれも、あいつの眩しさに惹かれているのだ。おれが隣で影になればなるほど、あいつは輝くのではないか、それは素晴らしいことではないかとすら思う。
 
 俺があいつとつるむほど、君はあいつに惹かれるのだろう。
 君は気づくだろうか、俺と同じだと言うことを。


『もしも君が』

6/11/2025, 11:01:58 AM

「雨が降ってるな」

 兄が、ぽつりと言った。
 おれたちは、雨が少ないところの生まれだ。大人になった今ならともかく、子どもの頃は雨が珍しかった。たまに降ると、窓に張り付いて、二人して外をじっと眺めていたこともある。

「昔、雨が降ってきたとき⸺」

 兄が言う。

「石の壁に水が吸い込まれていくのが面白くて、ずっと見てたことがあったな」

 ⸺一緒に、と言下に言われた気がして、おれは気を良くした。

「滅多に使わない雨具を慌てて持ち出すおばさんたちがいたっけ」

 おれが続ける。

「そうだな。洗濯物を慌てて取り込んでいた」
 兄が目元を緩めて言う。
「あんまり慌てて、男どもの下着を取り落としていた」

「兄貴、よく覚えているな」

 おれは感心して、今や目線が下になった兄を見やる。
 そしてふと、疑問が浮かぶ。

「壁に水が染み込むのを見てたんじゃないのか?」

 そう言うと、兄は笑みを濃くして言う。

「最初はそうだったが、お前が楽しそうに女中を見ていたから、おれも見ていた」

 はは、とおれは声を上げて笑った。
 笑い声はすぐに、二つ重なる。
 おれたちは、きっと、ずっと、このままだ。


『雨音に包まれて』

5/26/2025, 10:34:18 AM

 久しぶりに、夢を見た。

 今思えば、あの頃は、熱意があれば大抵のことはできると思っていたのだろう。

 若かったのだと言えば、聞こえはいいのかもしれない。

 しかし実際はただ思い合う恋人を引き裂いただけにすぎなかった。

 ずっと後悔していた。
 会えない悲しさや虚しさを、この、彼にも味わわせるべきではなかった。
 自分がその立場になって初めて気がついたのだ。
 一言で言えば、やはり「若かった」のかもしれない。
 
 そう思いはするのだが⸺。

 この、彼が呼び寄せる出会いもあった。
 自分と同じように、彼を気に入ってくれた少女に、心をくだくことができる。なかなかに楽しい体験だ。

 そのおかげだろうか、久しぶりにあの人の夢を見たのは。
 あの人の名前を口にすると、一気に当時のことが蘇った。
 忘れてはいない、忘れない。
 まだずっと待っている。
 だから⸺。



『君の名前を呼んだ日』

5/25/2025, 1:30:09 AM

 歌を歌うことは、必要に迫られたから。

 ホテルには夜のバーが必要で、バーにはピアノが、そして歌がつきものだから。

 歌手を雇えば良かったって?

 ⸺そうかもしれない。けれど、自分で言うのもなんだけれど、こんなところにわざわざ歌いに来てくれる歌手がいるのかしら。

 そう言い訳をしながら、わたしは、そして周りもとっくに気がついてる。

 わたしが、夜はあのバーにいたいだけなのだと。
 夜にしか現れないあの人を待っているだけなのだ、と。

 今夜わたしが歌うのは、若き日の過ぎ去った恋の歌。その思い出を、ずっと胸の中にいだき続けているという歌。

 誰かさんは、ちっとも聞いていないんでしょうけど。


『歌』

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