時を止めて
「あーあ、割れちまったな」
いつも見ていた砂時計が、何故か割れてしまっていた。
誰のせいとかはどうでもいいが、何となく心に深く刺さった。
「そうだな。新しいの、買うか」
「齋藤、そんなに欲しいのか?砂時計」
自分でも何故欲しいのか分からないが、左之助に言われて少し考えてみる。
時が進んでいる姿が好きなのかもしれない。その逆で、時が止まっているのが怖いのだろうか。
自分でも分からない物事というのは、恐怖を自分に植え付けてくる。
「……まあ、欲しい」
そう俺が言うと、左之助は手を頭の後ろで組み、そうなのかと柔らかい口調で呟いていた。
「たしかに、ずっと動いてたものが止まるのはなんか嫌だな」
きっとこの気持ちを言葉に表現出来るのは、松尾芭蕉などの俳人や詩人のような語彙が詰まっている人達だけだろう。
言葉というものは、人生を経験した分だけ募っていくものだと思っている。
俺たちは、人生の全てを戦いに捧げている。それは、人生を経験していると言えるのだろうか。
「だが、これもこれでいいかもな」
「どうして?」
「俺が時を止めてるみたいでかっこいいからだ」
馬鹿馬鹿しい。だが、そういう所が左之助のいいところと言える。
「馬鹿だな」
「うっせ」
左之助は、割れてしまった砂時計の片付けを始める。片付けている最中に鳴ってしまう硝子の音が、終わりを迎えているように感じた。
俺たちは、きっとこの砂時計のように壊されてしまう時が来るだろう。
その時に、左之助のような丁寧に壊れた自分を扱ってくれる人がいれば、どれだけ嬉しいことか。
ハッとして、自分も左之助の手伝いを始める。
「なあ、齋藤」
「……なんだ?」
「お前は、……時が止まるのが怖いのか?」
さあ、どうだろう。と言いたかったが、どうやら自分には意見が存在するようで、深い思考に陥った。
時が止まるということは、この時間が永遠に続くということ。それは、老いを迎える、否、戦死することさえも出来ないということだ。
それは俺にとって嬉しいはずだ。けれど。
「変化は、するべきだと思う」
言葉に出したものの、それは本心かどうかが分からなかった。こういう時は自分の発言を信じてみようか。
「ほんとかあ?何が変化して欲しいんだよ」
「……考え、とか」
何時も頭が固いと思っていたが、左之助と出会うことが出来て俺は、頭は柔らかくなったと思う。
そういうのは、時が動いているから成長できるのだ。
「だが俺は、……お前と、左之助といれるのなら、時を止めても構わない」
変化できた理由も、成長できた理由も、全ては左之助との出会いなのだ。
左之助は照れているのか、目を逸らして口を小さく開く。
「……そう、か。なら、……時は、止まるだろうな」
「……そんな気はした」
俺も左之助も、お互いに隣にいて一番嬉しい存在なのだろう。
時は動いたって止まっていたって、ずっと信用できる相手だと、俺は信じている。
キンモクセイ
懐かしい香りがする。その香り自体が懐かしい訳ではなくて、抽象的に懐かしい気がした。
懐かしい匂いがする時には、必ずあの花が近くにいるということだ。
「あ、やっぱり」
振り向いてみると、そこには金木犀がいた。甘くて、どこか懐かしい匂いがする。それは、金木犀の特徴なのだ。
自分の物のように金木犀を見ている。金木犀は好きだ。小さい花だが、優美に咲いている。
「……左之助、それ、金木犀か」
「おう、齋藤も嗅いでみるか?」
枝として切られているなんて珍しい、なんて言いながら齋藤は金木犀に近づいた。
手で仰ぐように嗅ぐその姿に、どこか優美な金木犀と重なったような気がした。
きっと俺の勘違いなのだろうが、似ていると思った。
「甘い香りがするな」
「……あ、そう、だな」
魅入ってしまったらしく、不意に話しかけられ反応することが出来なかった。
花に似ている人は羨ましいと思う。儚く、その美しい姿と重なる人は、そうそういない。
「どうした、左之助」
「いや、綺麗だなって思ってよ」
「そうだな。金木犀はこの時期に咲く。だから_」
「違う」
自分でも何を話しているか分からないほど、この美しいという気持ちを齋藤に伝えたいと思った。
そう思っているのに、中々口に出せないのは俺の短所だろうか。
黙って俺の次の発言を待っている齋藤を見て、何か言ってやらないといけないと思った。
コイツは自分から話そうとあまりしないから、何か言ってやらないと何も言わない。
「齋藤が、……綺麗、だと思って」
一生懸命に出した声は、自分でも驚く程に落ち着いていた。
齋藤は目を丸くして俺の胸元辺りを見ている。
俺も齋藤のことが見れなくなって、顔を逸らしてしまった。何故こんなにも俺たちは初々しいのだろうか。
暫くの間、沈黙が漂った。申し訳ないと、そう言いたくなった。
「左之助」
「な、なんだ?」
突然、齋藤が俺の名前を呼ぶ。その瞳は、いつもよりも大きいと感じた。
「……そういう発言は、もっと別の……愛人とかに使え。俺なんかに伝えるには勿体ない」
相変わらずの自己肯定感の低さに、コイツは齋藤なのだと再確認することが出来る。
だが、そういう齋藤だからこそ、俺の隣で馬鹿やっていける仲間なのだ。
「ほんとに、金木犀みてえな奴だ」
「……そう、なのか」
金木犀の花言葉には、謙虚、真実……初恋、陶酔などがある。
齋藤は、そういう人物だ。
俺は、視線を香り漂う金木犀に戻す。
行かないでと、願ったのに
番傘を片手に、きっとアイツが好きな、派手な花を片手に俺は、墓所へと向かう。
時代は大きく変わり、もう俺たちなんて存在しないも同然になった。
人は死ぬ。当たり前のことだ。当たり前すぎて、何も感じないほどに。
けど、お前は。行かないでと、願ったのに。
やっとの思いで辿り着くも、足が重くて思うように歩けなくなってしまった。
これは墓所に来た呪いではなくて、悲しいという感情を抱いているからだろう。
お前がいないと、あんなに騒がしかった日々が来ないと痛感してしまう。どうして、死ぬのがお前なのだろうと何度も自分を憎んだ。
だが、お前が生きて俺が死んでたとしたら、お前だってそう思うだろ。
置いてかれた方は、置いてった方を恨むのではなくて、自分を恨むものだ。
「……左之助」
死人が多く出たせいで、墓は質素だった。若くして死んだからだろうか、知人が多いのかたくさんの花が添えられていた。
いいな。お前は、人気者で。俺は、俺の周りには、何もいなくなってしまったよ。
「なあ、覚えてるかお前。腹減りすぎたからって花食いだしたこと」
そっちでも腹が減った時のために、茎と花を切り離す。
「……行かないでって、言えばよかったか」
今更しても遅い後悔は、その時点では後悔すると微塵も思っていなかった。
左之助が生きているのは当たり前だと思っていたから。
俺だけ生き残ってしまった感覚に陥る。いや、俺以外死んでしまった。
みんな戦って、生涯を刀に捧げて。
俺はその想いが足りなかったのだろうか。俺は、もっと刀に忠誠を誓えばよかっただろうか。
「左之助、お前さえ生きていれば、一緒に皆の墓を廻れたのにな」
不謹慎だと言って、左之助は俺の頭を叩いてくれるだろうか。
あの日とは違って、忌々しいほどに日差しが俺を照らしている。
何故、天は俺を見る。
花を何輪か墓の前に置いて、死者への冒涜をする。いや、元々していたか。
左之助が隣にいた頃は、言葉にしなくても伝わった気がしたが、今は言葉にしないと伝わらない気がして、無口な俺は消えてしまった。
「俺は、もう行くよ。……他の人の墓も廻らないと」
立ち上がって左之助の墓を見ると、いつもよりもさらに低い目線で見つめないと視界に入らなかった。
不意に、喪失感に心が襲われた。左之助は、こんなにも変わってしまったのだと。
「ははっ、左之助お前、そんなに変わったしまったか」
紛らわせるために声に出してみたものの、それは逆効果だったようだ。
目からは涙が零れ落ちる。俺は、俺はどうすればいいのだろう。
「左之助、まだ、俺を見ててくれよ……」
まだ、まだ行かないで。
俺は叶いもしない願いを心の中で、願う。
凍える朝
庭から、素振りをしている音が聞こえる。
こんなに寒い朝からどうしたのだろう、と俺は重い身体を持ち上げ見に行く。
そこにはいつものように袖がない服を着ている左之助がいた。
「……寒くないのか」
どうも気になってしまって、声をかける。
すると左之助は、動きを止めて俺の方向へと走ってくる。
「今日はさみいからな。凍えないようにしてんだ」
「もっと、何かあるだろ。……例えば袖なしをやめるとか」
「うるせえ」
自分の考えが正しいと言うようにコイツは、俺の意見を否定する。
俺が座ると、応えるように左之助も隣に座る。なんだか、素振りという行動は待っていたのだと思えてきた。
「それにしても齋藤は寒がりだよな」
「そうか?」
左之助が言うには、いつも袖に手を入れているからだと言う。しかし、この行動は別に暑かろうが寒かろうが行っている事だ。
だが左之助の言うように寒がりなのかもしれない。この時期になると、どうも人の温もりが欲しくなる。
「はあ……さみい」
先程から、そのような発言を何度を口に出している左之助に違和感を覚える。
なんだか、何かを期待しているように。俺に何かをしてほしそうではあった。
空を見ている左之助を、よく観察してみる。しかしまあ、凍えてしまうのかと思うほど寒そうだった。
「なにかして欲しいのか?」
「だとしたらどうする?」
こう訊いてくるのは、きっと俺の勘が当たったということだろう。
「さあ?……例えば、暖かくして欲しいとかか」
図星だったのか、何か言いたげな表情だけ見せて顔を逸らしてしまった。
全く、子供らしい奴だ。
「暖まるのは大切だからな」
「だ、だろ?だから……」
どうしようもなく分かりやすすぎるコイツに、何処か幼き頃の見覚えのない自分の姿と重なる。
全く味わったことの無いこの日常に、重なる部分があったとは。
そう考えてしまうと、どうも寂しくなって温もりが欲しくなる。
「俺は、お前といるだけで暖かい」
素直になれない左之助を見つめて、少しだけ微笑む。
左之助はどこか悔しそうにして俺を見る。
「はあ、齋藤……お前は」
正直になれないのもまた、日常だ。
この凍える朝というものは、非日常なんかではなくて、日常に少しだけ温もりを足してくれる存在なのだと、俺は感じている。
光と影
「人間というのは、私利私欲にまみれてるなあ」
「熊手も人間だろ?」
「まさか。ほぼ神の俺様にそんなこと言うとはな」
人差し指に指輪を通している右手をギュッと握ると、強い眼差しで彼は拳を見つめる。
彼はどうも、その人間性が掴みにくいため、本当に人間ではなくなってしまったとかと、不安になってしまう時がある。
あんな自信に溢れている彼を、心配するだけ無駄だと思うけれど。
「そうだなあ……百夜陸王。お前はどうだ?」
腕を伸ばし、僕を人差し指で指す。
一体何を訊かれているのか、僕には分からなかった。
けれど、きっと自分の願いというのは、熊手真白の言う私利私欲なのだと、直観的に感じた。
「僕は、神になりたいなんて思ったことがないから。そんな客観的に見ることは出来ないかな」
「そうか。じゃあ質問を変えよう。お前の大切なその『玲さん』とやらは光か影、どっちだと思う?」
玲さん。玲さんは僕の人生において、全てを救ってくれて、全てを狂わせた男だ。
光と影。反対に見えるようで、実は反対ではない。それは、影というものは光によってでしか現れないからだ。
僕は、玲さんによって輝くことが出来たと思う。なら、玲さんはどちらなのだろう。
「僕にとって玲さんは、……僕を照らしてくれる存在だ」
熊手真白はいつものように座って、足を組む。何処か呆れたように、僕を見つめる。
「話が通じない奴だ」
「だけど__」
「いいか。よく聞け」
僕の口の前に人差し指を立てる。彼は片眉を上げて、いつものように偉そうな態度をとっている。
「光というのは影があるから成り立つんだ。その逆も同じこと。どちらかがなければどちらも、名前は付いていないだろう?」
「そう……だね」
「つまり、光と影というのは互いに依存しているんだ。なら、百夜陸王。お前は『玲さん』に依存しているのか?」
きっと僕は、顔を顰めていたと思う。眉間に皺を寄せて、長考していた。
熊手は、僕に一体何を伝えたいのだろうか。そう考えれば考えるほど、僕は玲さんの存在が分からなくなる。
「……分からない。僕には、その答えが」
回転式の椅子を回転させて、僕を視界から外す。
手には彼の大好物の蜂蜜を持って、そのまま直で飲む。
「お前には分からないだろうな」
「じゃあ、……君にはわかるの?」
鼻で笑う声が大きく聞こえる。肩を上げて、なんでも知っていそうに。
「さっきお前も言っていただろう。お前は神じゃないから客観視出来ないんだ。だから、俺様には分かる」
「その自信はどこから来るの……全く」
「お前とは違って、光と影の区別がついているからな」
「さっき互いに依存してるって言ってたよね?」
腕を組んで自信が滲み出ている雰囲気を醸し出す彼に、もしかしたら尊敬を示しているのかもしれない。
だが、一応僕も自分に自信があるつもりだ。ただ、玲さんとの関係に自信が無いだけで。
「ああ。そうだ。だが、今の世界では二つとも独立している。それはお前だってそうだろ」
「……確かに」
「あとな。自分が光になれば、影という仲間や敵が勝手についてくるだろう?」
熊手も、いつも神だと嘆いているだけだと思っていたが、どうやら色々なことを考えているらしい。
少し面白くて、口角を上げる。
「流石、自称神なところだけあるね」
「おいお前、馬鹿にしてるのか?」
勢いに任せてこちらを向く彼は、やはり何処か神になるには足りない気がした。
「さあ?どうだろうね〜」
「おい!……はあ、」