ボクは今ベンチに座っている。向かいのベンチに演奏者くんが座っている。決して隣ではない。 距離にして数メートルもない。せいぜいテーブル一個挟んだぐらいのそんな距離感だ。
なんで急にそんなことをしてるのか、目的は何なのか、ボクには全く分からない。演奏者くんが急に提案してきたのだ。
「これ楽しい?」
僕はそう彼に問うと、彼は少し微笑みながら言った。
「楽しいからやる訳じゃない。近すぎるとわからないこともあるから、たまには少しだけ離れた距離感で会話をしてみようなんてことを考えてみただけだよ」
彼はカッコつけてそう言ったけれど、微妙に聞こえなかった。普段対面で話すことに慣れてしまっているからか、そこまで遠い距離でもないくせに、あまり声が聞こえなかった。やっぱりやめた方がいいんじゃないだろうか。
でも、彼は満足そうだった。いつもと同じ向かい合わせで、でも少しだけ距離が離れていて。声も表情も読み取れるけれど、会話しなくては気持ちがわからないような、そんな状況を楽しんでいるのかもしれない。
彼が楽しいならいっか、なんて僕は思ってしまった。
「……話しづらいね」
ボクが思ったことを気づけない彼はそう呟いた。
「やっぱりいつもの距離感の方が、きみのことがよくわかっていいかもしれないね」
近い距離感で話していても僕がどう思うか想像ができない彼が、そもそもこの距離感で僕の気持ちを察しろと言うのは、土台無理な話であろうということに気づいてしまった僕はそっとため息をついた。
窓から空を見上げながらふと、どれだけボクが彼のことを好きになっても、絶対に結ばれることはないんだなと気づいてしまった。
彼のことが好きだ。とても、とても。
でも、彼はきっと人間じゃなくて、そもそも敵で、だから絶対に結ばれることはなくて。
分かっていたことだ。分かっていたはずだった。
なのに、今とてつもなく悲しくて、苦しくて、やるせない気持ちで。
頭の中で想像してることと現実ってやっぱり違うんだな……なんて考えたしまった。
これも妄想だと気づいたのはそこから数分後だった。
(現パロ)
「海に行こうよ」
ただ隣の席になっただけの少年に、突然そんなことを言われた。 まだクラス替えをしたばかりでそもそも名前なんてよく分からなくて、面識なんて全くなくて去年同じクラスだった訳でもなくて、言うなればとにかく他人だった彼に何故誘われたのかなんて理由もわからなかったけれど、なんとなく気分が乗って『いいよ』なんて答えてしまった。
だから、今海にいる。まだ海のシーズンではなくて、海開きだってしてなくて。だからそもそも泳げなくて、海に来て何がしたいのかなんてよく分からないけれど、春の日差しを反射してる海はとても綺麗で、幻想的な風景だった。
特に会話はなかった。ボクも彼も言葉を交わさずに、海の方をずっと見つめていた。傍から見たら変だっただろう。無言で男女が二人っきりで海を眺めているなんて。
「…………なんで誘ったくれたの」
沈黙に耐えかねてしまって、ふとそんな言葉をつぶやけばやけに真面目そうな顔で、彼は答えた。
「見せるって約束したのに、見せられなかったから」
訳が分からなかった。面識はないのだ。誰かと勘違いされているのかもしれない。そう思って確認を取ろうと口を開こうとした時、彼が先に喋り始めてしまった。
「他にも見せられなかったもの、たくさんあった気がする。…………大丈夫、全部見せるよ。この世界なら見せられるから」
「ボクのことじゃないんじゃないかな、その相手」
恐る恐るそう呟いた時、海を見ていた彼はこちらの方に向き直って、急に肩を掴んできた。
「忘れてしまったのかい、僕のこと。…………違うか、そもそも前世の記憶が引き継がれていないんだね」
「…………前世?」
訳が分からない。前世って何だ。そもそも、人間には、前世というものがあるかどうかもわからない。それをさもあるかのように言っている。…………もしかしたら、中二病なのかもしれない。
危険人物かもしれない。そんなことを思って、少しずつ後ずさりをしようとしたら、腕をぎゅっと掴まれて、身動きが取れなくなってしまった。
「忘れたって構わないよ。またやり直せばいい。もう二度と思い出さなかったとしても、僕は前から君のことが好きだから。きみが僕のことを好きになったら、それはもう前と同じだろ?」
僕に対して恋をしているってわかる瞳っていうよりも、僕に対して依存しているとか執着しているとかそのように見える瞳でこちらを見つめながら、彼は淡々とそう言った。
「鳥のようにこの世界から羽ばたけたらどうしようか」
演奏者くんは突然そう言った。
「…………なにそれ」
「そのままの意味だよ」
全く答えにならないような返答を返され、仕方なくボクは考えることにした。
鳥のようにこの世界から羽ばたけたら。
「…………他の世界に行くとか?」
「人間界に遊びにいくとかかい?」
「…………わかんないけど」
人間界には興味がない。元迷い子のボクはきっと人間界に前は住んでいたはずで、そこで上手くいかなくて人間界から逃げ出したくなってここに来たのだからきっと戻りたくだってないような気がする。
まぁ口が裂けてもそんなことは言えないけれど。
「……僕はね、きみがいつもいる場所に行ってみたい」
「…………………………え?」
「何回かきみの後をつけたことがあるんだけど、きみはいつも花畑の向こう側の壁の向こう側に消えてしまうから。だから、そこを乗り越えて何してるか見たいんだ」
言われたのは権力者タワーの場所だった。
あれは壁じゃない。人を区別してる、というより権力者じゃない人が通れないようになっている。だから演奏者くんなんて絶対に無理なのに。
そもそも真実なんて言えず、さらにニコニコと嬉しそうにしている演奏者くんに水を挟むような真似もできず、ボクは微笑むことしかできなかった。
いつもは晴れなのに、今日の空模様は豪雨に雷の重ねがけだった。理由は僕なのだけれど。
権力者が僕に冷たい。
話しかけても『今忙しいから』、演奏を聴きに来てと誘っても『後じゃダメ?』なんて言ってくる。
どう考えても僕のことを軽んじているような発言にしか思えない。
で、ムカムカイライラしていたらなんか魔法みたいなのが使えるようになっていていた。たぶん、元神様候補の力だ。
「…………演奏者くん!」
若干怒っているのか頬を膨らませながら権力者がやってきた。
「天気、戻して! てか、なんでこんなんにしてんの?」
「……きみが僕のこと軽んじるからだろう」
「…………忙しかったら忙しいって言うでしょ。恋人でもないんだから、すっごい優先する理由もないし」
「じゃあ付き合おう」
「………………は?」
彼女を独占する理由が欲しくて僕はそう言った。