目が覚めると、眼前に広がったのは演奏者くんの顔だった。
眠った時は自分の部屋だったはずだ。ボクは彼に家を教えていない。だから知らないはずだし、来れないはずなのに。
それでも目の前にいたのは演奏者くんだった。
「おはよ」
彼は爽やかにそう言った。
そういえばどういう体勢なのだろうか。ボクはベッドに寝ていたはずで、今眼前が演奏者くん、後ろに見えるのは天井だろうか。ということは……。
「…………押し倒してる?」
「みたいな状況だね」
挨拶の言葉の返答として、見当違いなことを言ったにも関わらず、特に動じぬ顔で彼は言った。
「……あの、どいて」
「ん? なんでだい?」
「……………………なんで、いるの」
喉の奥からひねり出すように言ったら、彼は初めて表情を変えた。勝ち誇った笑みから、歪んだような顔に。
「簡単に言うなら……『面倒くさくなった』から」
「…………?」
なんでそんなことを言われてるのか、全く理解出来ずにいると、彼は続けた。
「きみはいつまでたっても真実を話さない。だからさ、こうして捕まえて尋問しようかと思って」
「………………尋問?」
「ああ、きみが本当は全く権力がないことは知ってるからね、この世界のことを洗いざらい全部」
「…………言うと、思ってんの」
「……ふふ、大丈夫だよ。今は言いたくなくてもすぐに言いたくなってくる」
彼はそう言うと不敵に笑った。
「…………っ!」
目が、覚めた。
外は明るく、日差しが地上を照らしていて、特に部屋には誰も見当たらない。
夢、だったのだろうか。それとも、もう何もかも終わった後なのだろうか。
服を着替えてあわてて外に出て、広場の方に走ると彼が落ち着いた顔でピアノの前に座っていた。
「…………演奏者、くん」
「…………? ああ、権力者」
なんてことないいつもの笑顔で彼はボクに気づいて。だからといってあれが夢だという証拠もなくて。
「どうしたんだい、そんな汗だくで」
「……………………!」
彼がボクの方へ向かってきて、汗をタオルで拭ってくれようと手を伸ばしたのを反射的に避けてしまった。
驚いたような困ったような顔でボクを見たあと、彼は言った。
「……なにか、悪い夢を見たかい」
「………………ボクのこと、知ってる?」
「? 権力者だろう? 『この世界を統治してる』」
ああ、よかった。夢だったのだ。
彼はボクのことを知らない。この世界を知らない。よかった、まだ、君と一緒に居られるようだ。
「…………なんなんだい、きみは」
「ううん。また演奏聴かせてよ」
ボクは不安がすっかりなくなって、笑顔で彼にそう言った。
『夜』だった。
なんて言うと多分めちゃくちゃ他人事っぽくなるので言い換えるなら『夜にしてしまった』が正しいだろうか。
天使の力はまだ残っているのか、なんて思いながら試しに力を使ってみたら夜になってしまった。
街の灯りが暗い世界に彩りを灯している。案外電気がつくもんだな、なんて場違いなことを考えたとき、前から権力者が走ってきた。
髪は乱れ、顔から流れる汗が家から漏れ出る明かりを反射してキラキラと輝いていた。何かに慌てているような様子である
「どうしよう…………。世界が夜になっちゃった」
「そうだね」
「なんで、そんな冷静に………………」
「ああ、僕がやったから」
彼女は信じられないものを見るような顔で固まった。
「………………演奏者くんが?」
「ああ。戻すね」
人差し指を高く掲げてくるんと反時計回りに回せば空は晴天に戻った。
「………………………………」
「これでいいかい?」
彼女は僕に目も合わせなかった。カタカタと震えながら少しづつ後ずさっていく。
「どうしたんだい?」
そう声をかけた時、彼女はひねり出すように言った。
「…………い、意味わかんない」
泣きそうな声だった。僕に恐れを抱いているようなそんな声。
彼女に一歩近づいた時、彼女は来た方向に向かって走り去ってしまった。
(ユートピアに来る前の権力者)
今日は七月七日、いわゆる七夕の日だった。
織姫と彦星が年に一回だけ会える日。なんか雨でもカササギが橋作ってるとか、そもそも天の上だから雨降ろうが関係ないとか、そんな話が出回っているが、ともかく今日は雲ひとつない綺麗な夜空が広がっていた。
都会とは流石に言えないけれど、かといって凄い田舎というわけでもないボクの家からは到底天の川は観測できず、なんというかあまりムードとかは存在しないような気がしてた。
笹飾りを家に飾って短冊に願い事を書く、なんてことをやるようにお母様から言われて、渋々ペンを取る。
書きたいことなんて沢山あって、でも何にも書けない。『この生活から逃げ出したい』とか『お母様が殴ってくるのをやめて欲しい』とか、そんなことを書けば怒られるのは目に見えていて。
だから何を書けばいいのかな、なんて迷っていた。
普通の家の子はそうじゃないらしい。『○○が欲しい』とか『家族みんなが健康でありますように』とかそんなことを書いて家族でニコニコ笑い合うって。
ボクはそんなことできない。お母様が健康であって欲しい、なんて思えなくなってしまったから。むしろ何か怪我をしたり病気をしたりして、ボクのことを傷つけられなくなってほしいなんて願ってしまっているから。…………これも、書けない。
雲ひとつない夜空の上で、織姫と彦星は一年に一度だけあっているのだろうか。ボクと違って幸せな日々を過ごしているのだろう。
…………羨ましい。
「書けたの〜?」
お母様のそんな声が聞こえて、あわてて短冊に『世界が平和になりますように』なんていう在り来りな思ってもいない願い事を書いてお母様のところへと向かった
(演奏者くんが天使だとバレた世界線)
「演奏者くんに、友達っていたの?」
いつもの演奏会のあと、権力者は突然そんなことを聞いてきた。
なんだと思っているんだ、人を。まるで僕が友達のいないぼっちみたいじゃないか。
「いたよ、もちろん」
「へぇ。どんな人だったの?」
どんな?
「いちばん仲良かった奴は、天使であることを疑う、そんな性格をしていた」
「…………何それ」
言葉の通りだ。
あいつは天使ではなかった。というより、世間一般に知られる『天使の性格』というものに一切当てはまらなかった。もしも下界で誰かが彼のことを認知したら、きっと彼は『悪魔だ』なんて言われてしまったであろう。
「要するに、悪い奴ってことだよ」
「…………ボクと、どっちが?」
「……………………まず、僕はきみのことを『悪い奴』なんて思ったことすらないけれど」
「…………………………………………へぇ」
凄い驚いたような顔できみはそう言った。
権力者が悪い奴なのは、きっと立場だけであろう。やっていることは、現実世界に戻りたくないと願う迷い子たちを現実世界に帰らない、帰らせないという方法として洗脳を用いてるだけ。それはある意味『救い』とも言えるであろう。
だから、それを求めている、または無意識にそれを望んでいる、そんな迷い子にとってきみは『悪い奴』どころか、『天使様』だと思う人だっているだろう。
やり方が悪いだけ、とは言わない。そういう手段でなくては助けられない、そんな迷い子だっているだろうから。
だから、僕はきみを『悪い奴』なんて思わないんだよ。
(現パロ)
『権力者タワーの周辺は漆黒に包まれていて、簡単に言えば光なんか一ミリもさしてなかった』なんてことを急に思い出した。理由は明確で星がまたたく空を見ているから。
『友達』に誘われてキャンプに遊びに来たのだ。
山の中だから、普通よりも沢山の星が見える。
そういえばユートピアで演奏者くんに星を見せて欲しいなんて約束したな、なんてことを思い出した。
結果的にボクが先にあの世界を去ることになって、ついでに演奏者くんは天使様だったから死ねなくて。そんな訳でボクらの約束は果たされぬものになってしまったのだ。
「…………一緒に見たかったな」
その声は闇夜の虚空に消えるはずだったのに。
「見てるよ、一緒に」
そんな言葉が返ってきてしまった。
あわてて隣を見れば、演奏者くんがあの時と変わらぬ笑顔で笑っていた。
「………………演奏者くん」
「フォルテだよ」
「なんでここに」
「僕は天使様だからね」
演奏者くんはニコニコしながらボクを見つめた。
「会えると思ってなかった……」
「ふふふ、僕は天使様だからどんなことでもできるよ」
言ってることは何となく恐ろしさがあるのに、顔は嬉しそうで、まるで愛おしいものを見つめるような眼差しで。だからだんだんなんだか分からなくなっていく。
「じゃあ、行こうか」
「…………どこに?」
「僕らが一緒にいられる場所」
「………………行きたい」
「うん、行こう」
彼が差し出した手を握ると、なんだか暖かい感じがして、ギュッと彼のことを抱きしめた。
「かわいい」
演奏者くんがそう言った。