終わりが近づいているような予感がしてた。そんな予感はいらなかったけれども。
でも気の所為だと思いたくて、だから変わらぬ日を続けていたある時、彼女は僕に向かって言ったのだ。
「管轄が変わるから会うのは最後」
淡々と、まるで良くあることのように彼女は言った。顔も特に笑ってもなければ泣いてもいない、真顔で彼女は言った。
「…………本当に?」
そんなことを返した僕に彼女は微笑んで、僕の手を握りしめて。
「…………きみの演奏好きだからさ、管轄場所変わっても弾いてね」
そんなことだけ言って離れていってしまった。
信じちゃいなかった。彼女は冗談とか言う人だったから。
でも、いつものように演奏をするためにピアノの前に座った時、たまたま通りかかったような顔をしていたのは、彼女と同じ服を着た違う人だった。
そいつはまるで怒ったかのように僕の方へ来て言った。
「ピアノ弾こうとしてるが無駄だぞ。今、迷い子はいない。いたところでお前が元の世界に返す前にこのオレが住人にしてやるからな」
「…………きみの、名前は?」
「あ? 名前なんかかんけーねーだろ。呼びたきゃ『権力者』って呼べ」
彼女と全く違う顔で、声で、性格で、彼女と『同じ名前』を吐いた相手を見て、本当に彼女が居なくなってしまったことを実感したのだった。
一年後には何があるんだろうか。
これまでのボクに未来なんてなかった。ボクは使い捨ての駒で、未来なんて望めないほどにボクは無力だった。
でも、演奏者くんと付き合いはじめて、ボクにも未来ができたような気がしてる。
理由なんてなくて、確証だってないけど、でも何となく。
ボクが命の危機に迫ったら、演奏者くんが助けてくれるような、そんな気がした。
ボクの未来には何か素敵なものがあるんじゃないかな、なんてボクは思ってしまった。
「……演奏者くんってさ、子供のときどんなだったの」
ある日の演奏会後、権力者がそう言った
「どんな、とは」
「ん〜、性格とか? ボク、あんまり小さい頃のこと覚えてないからさ、演奏者くんはどーかなって」
子供の頃か。天使だったとか、そういうことは言わない方がいい気がしたから言葉を選びながら喋る。
「……天才だと思い込んでたことはあったな。自分は何でもできて、どんな者にだってなれるって」
「お〜、意外」
「ピアノはその頃からやってて、結構小さな年齢からやっていたから上手い方だとみんなが褒めてくれたのもあっただろうけど」
「なんか可愛いじゃん」
彼女はそう言って笑った。
バカにされてるような、でも新鮮だと感じていそうな顔にイマイチ怒れない僕は続けた。
「まぁ、でも今はとっくに天才じゃないって気づいてるから」
「…………なんだなんだ? 言い訳か?」
「……怒るよ」
権力者はまた笑った。今度はバカにしてるというよりも楽しくて仕方がなさそうな顔で。
その顔がとても可愛くて、なんだか憎めなくなった僕はため息をひとつついた。
「……きみの話も思い出したら教えてくれよ」
「…………………………いつかね」
到底話す気なさそうな声で返されたが、まぁいい。
僕が関わってない過去の期間よりも、僕と過ごした日々の方が絶対に長くさせる自信はあるから。少しの過去なんて気にもとめないほど、長い期間をここできみと過ごしたいなんて、僕はそんなことを考えてしまった。
この世界には時間がない、ことになってる。
街に時計がないから、どこにも時計がないから、昼も夜もないから、だから時間が無いことになってるけれども、この世界には普通に時間が存在する。権力者に向けて時計が支給されてるのがその表れであろう。
だからボクは時計に沿って生活する。
八時に起きて、支度をして、権力者タワーに行く。簡単な点呼と、前回報告後からの変化とかを連絡したらご飯を食べて住人の観察。権力者タワーから見て右側の住人に絞っている。
全員見終わったら大体十二時。自分の家に帰ってご飯を食べる。休憩と称して一時まで休む。
一時を過ぎたら住人の見回り。権力者タワーから見て左側をタワーから1番遠いところから見て回る。
そうすると三時くらいに演奏者くんが住んでる広場にたどり着く。
彼と話して、演奏を聴いてわちゃわちゃと戯れて。
そうして別れたら残りの住人を見て回ってタワーに戻って報告書書いて終わり。
残りも自由時間。
演奏者くんには時間の概念がないから、だいたいで生きてる彼にいい時間で寝かせて、ボクも家に戻って終わり。
寝る時間は十時くらい。
それが今の日常なのだ。
前は違った。
ずっとずっとタワーにいて、ずっとずっと洗脳の訓練をして上手くいかなくては怒られてた。
だから、演奏者くんが来て、ボクの日常は充実してしまった。酷い話だ。
いつか彼がいなくなったら、ボクはどうやって生きていこうか、なんて考えてしまう。
「⋯⋯好きな色とかあるの?」
僕のことを探ろうとしてるのか、質問攻めにしてきた彼女を適当な答えで否してたら、怪訝そうな顔でそう言われた。
「あるよ。黒とか白とか⋯⋯⋯⋯ピンクとかね」
僕は正直に答えた。敵である彼女に有利となる質問はなるべく答えないようにしてたが、まぁ好きな色くらいならいいだろうと思ったのだ。
「⋯⋯⋯⋯なんか理由とかあるの?」
「そうだね、黒や白はやっぱりピアノの鍵盤の色だから。ピンクは⋯⋯綺麗だからかな」
「ふーん」
自分から振ったくせにやけに興味無さそうな声を出されると、やっぱり少しイラつくもので。
「⋯⋯きみは?」
そんなふうに少しだけ刺々しく聞くと、彼女は少しばかり考えたあと言った。
「⋯⋯⋯⋯ないかも」
「ない?」
「ん」
好きな色がない、なんて奴に会ったことはなくて、だからこそ僕はオウム返しにしてしまったけど、彼女は平然とした顔で応じた。
「⋯⋯ないのか」
僕は正直に答えたのに、彼女は隠そうとするのか、なんて思いが浮かんで少しばかりムッとした。
あれからだいぶすぎて、僕と彼女は仲良くなって。彼女のことも少しばかり分かってきて。
だからもう一度聞いてみようと、いつもの演奏会が終わった後に彼女に尋ねてみた。
「権力者は好きな色とかあるかい?」
彼女はあの時と同じような顔で考えた後、困ったような顔で言った。
「ないかも」