(権力者は集団であるとバレたあと)
「過去の自分への手紙?」
「あぁ⋯⋯うん、そう」
やたらと嫌そうな顔で彼女が応じたのをふと思い出した。
権力者として書かなきゃいけないのに、どう考えても過去の自分が今の自分を受け入れそうにない上に、過去の自分に向き合うのもいやだ、なんて話していたっけ。
僕も書いてみようかなとペンを手に取り書き始めた。
「過去の僕、具体的には神様みたいだった僕へ
元気でしょうか、そうですね、元気ですね。
あのころの僕ほど元気でなかった時期はなかったと僕は思います。
過去の自分に敬語なんて使わなくていいのかもしれないけど、未来の僕という者はきみと比べるとあまりにも地位が下だから敬語にしてみました。
いいですよね。きみの生活。
何も不自由なくて、みんなから褒められて。
有頂天になったきみは人間界に降り立った後にとんでもないことをしでかします。未来の僕はその成れの果てを知っているけど、きみに対処の術なんて教えてはあげません。
なんで、と過去の僕は言うでしょうが、絶対に教えてはあげません。
僕は今の生活が気に入っています。あの時よりも何十倍も何百倍も。
だから教えてあげません。きみは有頂天のまま人間界に行って、そして『間違えてください』。それがただしい未来への道のりです。
過去の僕は神様になりたかっただろうし、それが無理でも天使でありたかったことでしょう。
でも今が一番幸せなので許してください。
それでは」
「逃がさないよ」
そう言われた。脈絡はなかった。
「なにが」
全く一ミリも会話が成り立たない返答を返したボクは彼の瞳から到底目を反らせそうにない。
理由はとてつもなく明確で、演奏者くんはボクの腕を片手で掴んで、もう片方の手をボクの頬に添えて真っ直ぐとこちらを見つめてきてるから目を逸らそうということすらできなかった。
「⋯⋯⋯⋯きみはさ、僕の前からいつかいなくなるだろ」
何の根拠が、などと言えない理由がある。ボクは『権力者』という集団の個体のひとつでしかなく、ボクが望もうと望まなかろうとボクの命は簡単に上の方の人たちによって握りつぶされてしまう。だから、居なくなってもおかしくはない。
「だったら」
「耐えられない」
真っ直ぐに言われた。目を全く逸らさずに強い言葉で、なのに若干目が潤んでいて、強くて敵わなそうな君の弱いところが見れたような気がして。
そんな若干の優越感を違う感情で塗りつぶすように君は言った。
「耐えられないんだよ、きみがいなくなるかもしれないという事実が。僕がここに来た時からずっときみはここにいて、きみと過ごすのが当たり前になってて。それなのにいつかいなくなる? どこかに消える? そんなのは耐えられない。分かるかい?」
重たい、どす黒い感情が一身にボクにぶつけられてるような気がする。
愛でも恋でもない、ただの依存と独占欲。それの対処が分からなくて、何だかもろくに理解できないままボクにぶつけている演奏者くんが愚かしくて愛おしくて。
そんなことを思ってしまったボクはもうきっと彼から逃げられないから。
「いなくならない、約束する」
そんな無意味な言葉を吐いた。
約束なんてできないのに、いつかその時が来た時に君が無理やりボクをそこから救い出して閉じ込めてしまったりしたら、きっとそれがボクの本望になってしまうから。
いつの間にか歪な感情を持っていた君の傍まで堕ちていけるようにボクはそう言ってしまったのだ。
「レパートリー、増えた?」
演奏者くんが演奏を終えたあとにそう尋ねると、彼は頷いた。
「少し前から考えてた曲、人に聴かせられるレベルになったから」
「なるほど⋯⋯」
生み出してるのだろう、きっと。すごいな、なんて思った。
ボクはピアノ弾けないからすごいことのように感じられる。
「うん、じゃあそろそろ僕は家に帰ろうかな」
「ん〜」
ボクも住人の見回りをしなきゃいけない。そろそろいい頃合い、だろう。
「じゃあね、演奏者くん」
そう言うと演奏者くんはいつものように口を開こうとして、少し立ち止まってから思いついたように言った。
「『また明日』、権力者」
そのまま家に入っていく。
『明日』なんてボクらには測れない基準なのに当然のように言ってのけた彼に、ボクは何にも返せなかった。
「みず、うみか⋯⋯⋯⋯⋯⋯???」
知らない場所に行ってみようと思って適当に決めた方向になるべく真っ直ぐ歩いていったら湖があった。
透明な水が光を反射してキラキラと光っている。
「きれいだな⋯⋯」
思わず口に出てしまうほどにきれいな光景。
長いことここに居るはずなのに、全く知らない場所で、もう少し奥の方に行ってみようと湖の周りを歩こうとした時声がかかった。
「演奏者くん」
湖から来た方へ一メートルほど離れた場所に権力者が立っていた。
「やぁ、権力者。きみもこの場所知ってたかい?」
「うん。知ってた」
彼女は微笑んで言ったけれど、立っている場所から微動だにしない。いつもは僕の方に近づいてきて何か冗談の一つを言ったりするのに。
「⋯⋯⋯⋯なんで、こっちに来ないんだい」
そう聞いたら彼女は笑っていった。
「今立ってるとこが境界線。越えると死んじゃう」
「は⋯⋯⋯⋯?」
冗談なのか本気なのか分からない。それでも、試してみてほしくなんかない。だから僕は彼女のとこまで戻った。
「別に、いいのに」
「試されたら心臓に悪いし、一人で行くのもつまらない」
「ここまでは一人だったのに?」
「元々一人と、置いていくのは訳が違うだろ」
「⋯⋯あはは、優しいね、演奏者くんは〜」
からかったような声、でも何故か安堵してるようにも聞こえて、やっぱりあのまま進まなくてよかった、なんて僕は思った。
「きみが思う『理想の僕』ってどんな?」
「は?」
演奏者くんが奏でるピアノの音色を聞くために広場のベンチに行ったら、何故かベンチに座ってた権力者くんに言われた。
「なにそれ」
「まぁ、まずは答えて」
「理想の演奏者くん⋯⋯? お願いしたらピアノ弾いてくれて、住人の捕獲に対してそこまで敵対してこない人」
「はは、『そこまで』でいいのかい?」
「まぁ」
そもそもあまりボクの思い通りになられると、対して住人と変わらない節が出てくる。だからせいぜいそのくらい、つまりあんまり変わって欲しくない。
「ぎゃくに、君は?」
「⋯⋯僕か」
顎に手を当てて考える素振りを少しだけしてから彼は答えた。
「⋯⋯⋯⋯僕のこと、好きって思ってくれるとか」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は!?」
今、なんて言いました!?!?!?!?
『好き』!? 好き、って思ってくれる人って言った!?
は!? 何!?
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんてね、冗談。あまり思い通りになってもつまらないから変わらなくていいかな」
君は少し意地悪そうな顔で言った。
同じ思考を持ってて、お互いの理想が相手に詰まってて。
それってなんか、すっごい付き合ってるみたいじゃん、なんて思ってボクは頭の中のその思考をかき消した。