シオン

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「逃がさないよ」
 そう言われた。脈絡はなかった。
「なにが」
 全く一ミリも会話が成り立たない返答を返したボクは彼の瞳から到底目を反らせそうにない。
 理由はとてつもなく明確で、演奏者くんはボクの腕を片手で掴んで、もう片方の手をボクの頬に添えて真っ直ぐとこちらを見つめてきてるから目を逸らそうということすらできなかった。
「⋯⋯⋯⋯きみはさ、僕の前からいつかいなくなるだろ」
 何の根拠が、などと言えない理由がある。ボクは『権力者』という集団の個体のひとつでしかなく、ボクが望もうと望まなかろうとボクの命は簡単に上の方の人たちによって握りつぶされてしまう。だから、居なくなってもおかしくはない。
「だったら」
「耐えられない」
 真っ直ぐに言われた。目を全く逸らさずに強い言葉で、なのに若干目が潤んでいて、強くて敵わなそうな君の弱いところが見れたような気がして。
 そんな若干の優越感を違う感情で塗りつぶすように君は言った。
「耐えられないんだよ、きみがいなくなるかもしれないという事実が。僕がここに来た時からずっときみはここにいて、きみと過ごすのが当たり前になってて。それなのにいつかいなくなる? どこかに消える? そんなのは耐えられない。分かるかい?」
 重たい、どす黒い感情が一身にボクにぶつけられてるような気がする。
 愛でも恋でもない、ただの依存と独占欲。それの対処が分からなくて、何だかもろくに理解できないままボクにぶつけている演奏者くんが愚かしくて愛おしくて。
 そんなことを思ってしまったボクはもうきっと彼から逃げられないから。
「いなくならない、約束する」
 そんな無意味な言葉を吐いた。
 約束なんてできないのに、いつかその時が来た時に君が無理やりボクをそこから救い出して閉じ込めてしまったりしたら、きっとそれがボクの本望になってしまうから。
 いつの間にか歪な感情を持っていた君の傍まで堕ちていけるようにボクはそう言ってしまったのだ。

5/23/2024, 3:29:45 PM