シオン

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4/5/2024, 3:22:22 PM

「星空って見たことあるかい?」
 ふと気になってそんなことを通りがかった権力者に聞いた。権力者はちょっと顔を顰めながら答えた。
「⋯⋯ないけど」
「ユートピアはずっと昼だもんな。これはきみの趣味かい?」
 立て続けに聞けば彼女は軽くため息をついて僕の前を横切ろうとしたのをやめてこちらに来た。
「趣味っていうか⋯⋯⋯⋯⋯⋯そもそも星空見たいことないから知らないし」
「きみの知識が反映されてるのか。そうだよな、きみが権力者だもんな」
「⋯⋯⋯⋯そーだよ」
 少しつまらなそうに彼女は言った。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯星空、綺麗だよ」
 いつか見たのだ、星空を。
 天界から下界に降りた時、そこはちょうど夜だった。辺りに何も無い真っ暗な世界で僕は少しだけ怖くて。でも空があまりにも輝いていた。
 紺色を背景にキラキラと光る銀色、それが端まで広がっていて、目を奪われたのを覚えている。
 でも段々と朝が来て、その光景が失われた時、僕がいたその場所は天界となんら変わらなくて、だから僕は興味を無くして、あそこから離れてしまった。
 そして、ここに来たんだ。
 何か天界と違うような景色はどこにもなかったし、いつまで経っても夜空は見れないけれど、ここに来る迷い子を助けることが僕の指名だと、そう思えたから。その結果、天使という称号を剥奪されても特に何も困らなかった。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯てよ」
「え?」
 僕が過去を静かに振り返っていたら、隣の彼女が何かを言った。
「⋯⋯⋯⋯そんなに言うならさ、見せてよ」
「⋯⋯⋯⋯」
 見せてよ、か。
 きみは、星空を見たいからそう言ったのかもしれない。それでも僕は嬉しかった。
 あの景色を一人で見た時、誰かとこの美しさを共有できたらいいのに、と思ったものだ。だから。
「いいよ。いつか、必ず僕が星空を見せてあげよう」
 僕は天使じゃなくなって、ここから出る方法が分からないから、いつか僕がここから出られるようになったら。
「星空の下で感想聞かせてね」
 そう僕が言って微笑んだら、きみは僕を一瞥して言った。
「キザだね、君は」
 だろうな、と思った。きみがそう言うのは分かりきっていた。ところが、彼女は立ち上がって去ろうとしたのを一旦止めて、こちらを向かずに言葉を発した。
「⋯⋯⋯⋯楽しみにしてる」
「⋯⋯⋯⋯分かった」
 僕は微笑んでそう答えた。

4/4/2024, 2:48:33 PM

 何かしようかな、なんて公園のブランコを漕いでたら偶然演奏者くんを見かけた。
 ピアノからは少し離れているから、あまりこっちの方までは来ないんだろうと予想してたから少し驚いた。
 彼は公園から道を1本挟んだ団地の端に生えている色とりどりの花にそっと触れたり、眺めたりしている。
 なんだかとってものどかで、ボクに向ける表情とはまるっきり違う。
 別に違和感はない。
 というか、ボクに対してあんな態度とってきた方がよっぽど面食らう。
 例えば、彼に「演奏者くん、こんな所で奇遇だね?」なんて声をかけたとする。
 いつもなら彼は「⋯⋯なんだい、邪魔者」とか「僕に話しかけてくるなんてどんな心境の変化だい?」なんて聞いてくる。
 ところが今日に限って「ああ、権力者。いい天気だね」とか「きみに会えるかなと思ってこっちに来たんだ」とか言ってきたら。
 ⋯⋯⋯⋯なんか気持ち悪いな。
 この世界に来た迷い子とかにはそういう態度を取ってるのを見たことがある。彼は迷い子をみんな外の世界に返してあげたいタイプだから、印象もなるだけ優しくなるように気をつけている、みたいに見える。
 それと同じ態度をされたら。うん、なんか気持ち悪い。
 ボクは彼の唯一の敵にならなきゃいけない。
 だからそのためにボクは彼と仲良くなってはいけない。
 ボクはブランコを漕ぐのをやめて、公園を出たところで彼に向かって声をかけた。
「やぁ、演奏者くん。ピアノを弾いてないなんて珍しいね?」
 いつものように距離が近いわけじゃない。道を1本挟んでいる彼の心情を空気として読み取ることはできない。もしも心穏やかそうな彼から、バカみたいに明るい声が返ってきたら。
 彼は振り向きもせずに答えた。
「なんだい、どこに居たって僕の勝手だろう」
 ああ、良かった。いつもの彼だ。
 それでいいんだよ、それで。

4/3/2024, 3:18:13 PM

「ねえ、アイスあげる」
 そんな声とともに小さい袋が投げられた。
 黄色いシャーベット風の小さいアイスがコロンと1つ入ってる。
「⋯⋯⋯⋯急になんだい」
 投げてきた彼女に目をやれば少し笑って言った。
「それ、食べらんない味なの」
「⋯⋯⋯⋯何味」
「まんごー、とか言ってた」
 マンゴー味。
 どこから持ってきたとか、食べられない味ならそもそも買わないなり貰わないなりすればいいんじゃないかと思いつつ、口に入れた。
「⋯⋯⋯⋯っ!? 酸っぱ⋯⋯!」
 口の中に広がったのは想定していたマンゴーの甘みではなく、柑橘系の、もっと言えばレモンの強い酸味が口の中に広がり、つい声が出てしまった。
 なるほど、これも彼女のイタズラだなと見れば、ギョッとした顔でこちらを見たあと、下げていたショルダーバッグから水筒を取り出した。
「これ、水! まだ口つけてないからさ⋯⋯大丈夫?」
 あまりにも真っ当な、というか普通の言葉を言われてつい、驚いてしまった。
「あ、あぁ⋯⋯ありがとう」
 飲んでみても普通の水で、なぜだか彼女はずっと心配そうな顔でこちらを見つめていて、まるで全く違う人みたいだ。
「助かった」
「良かった」
「そ、そういえばきみはアイス、何味だったんだい?」
「ボク? 食べてないよ?」
 あまりにも意外な返答が返ってきて、彼女に水筒を渡そうとした手が止まる。
 ⋯⋯食べてない? 僕にはアイスをくれたのに?
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんで?」
「ひとつだけしか貰わなかったから。じゃあね、『演奏者くん』♪」
 何故か少しだけ上機嫌そうな彼女が去っていく。僕は彼女の後ろ姿を見つめるしかなかった。

4/2/2024, 3:07:21 PM

 グランドピアノが広場の中央にある。
 今は彼の姿は見えないけど、ボクは特に触れずにグランドピアノを見つめている。
 グランドピアノには可能な限り触れたくない。
 ボクは演奏者くんのことが全くもって苦手だけど、彼が演奏するピアノの音色は嫌いじゃない。むしろ好きで。
 だから演奏のやり方を知らないボクが鍵盤を適当に押したところで不協和音しか出ない。そんなことをするのは彼がいる時だけだ。
 ここで例えば音を鳴らせば、どんな遠い所にいてもどうしても彼に聞こえる。このピアノはこの世界のどんな所にいても、音が聞こえる魔法のグランドピアノなのだから。
 彼は強い。ボクのことなんか一捻りすれば殺せてしまうレベルに。そして彼は、そんなことを知らない。
 彼はボクが『権力者』のトップだと思っている。全然そんなことはない、ボクはいつでも取り替えることが出来る、ただの部品みたいなものなのに。
 それでも、今は、今だけは彼にボクが一番の脅威だと思い込んでて欲しい。そっちの方が有難い。
 ボクが脅威である限り、君はボクの背後の事情に気づかない。ボクが君の最大の敵である限り、君はここから居なくならない。君がいなくならなければ、ボクが大好きなピアノの音色を永久に聞くことがてきる。
 それがいい。それが今の、そしてこれから先のボクのたった一つの願いだ。
 下っ端でありたくない、なんて望まない。下っ端であるからこそ、ボクはここで君の奏でるピアノの音色を聞くことが出来る。それが⋯⋯⋯⋯⋯⋯幸せなんだ。
 それ以外はボクにとっていい事はない。
 ボクが持ってる洗脳はみんなと違う。みんなの自由を奪ってしまって人形のようにしてしまう、最低な能力。みんなは過去の記憶を消す、とかなのに。
 この世界のことは好きだ。ボクの唯一の居場所だから。ただ、この世界の住人がみんなここを好きかは分からない。ボクの担当はみんな、意思を失ってしまうから、どう思ってるかなんて聞くこともできない。
 演奏者くんが全員元の世界に戻してしまえばいいのに、なんて思うと同時に、そんなことをして欲しくないという気持ちがずっとある。
「⋯⋯邪魔者?」
 後ろから鋭い声で背中を刺され、振り返れば演奏者くんが険しい表情でボクの方を見つめていた。
「⋯⋯やぁ、演奏者くん」
「ピアノに触れてないだろうな」
「あはは、触れて欲しいなら触れるけど?」
 挑発するように言ったが、本心なんかではない。ボクは、君に止めて欲しくてそう言ってる。
 君は舌打ちをしながらボクを退けて言った。
「きみにピアノを触らせるわけないだろ。僕にとってピアノは大事なんだから」
 そうだよ、知ってる。そしてボクは君がピアノを弾いてるその光景が一番好きで、一番大事なものなんだから。
 思っていても言わない。言葉にするわけが無い。
「そういえばそうだっけ。それにしてもピアノが一番大事なんて⋯⋯何だか陰気だねぇ?」
「⋯⋯⋯⋯邪魔者」
「はいはい、じゃあね、演奏者くん♪」
 彼の表情は見ずにその場を離れる。軽い舌打ちが聞こえた後、少し経ってからピアノの音色が聞こえてきた。
 彼に見えない場所のベンチに座って、ボクはその音色に耳を傾けた。

4/1/2024, 5:39:40 PM

「演奏者くん、エイプリルフールって知ってるかい?」
 彼女に急に現れて、演奏していた僕にむかってそう聞いた。
 うららかな春の日差しがさんさんと照っていると言えば聞こえはいいけど、実際はいつも昼、というか明るいこの『ユートピア』にとって日付も時間も季節も住人にとってはないものなのだ。
 だがしかし『権力者』である彼女は日付や季節といったものを感知ができるようで。僕のことを嫌ってるきみがわざわざ話しかけてきたのも、きっとその辺の話だろう。
「⋯⋯⋯⋯知らない」
「だよね? いっくらボクのことを下に見たい演奏者くんも、流石に知らないよね??」
 僕の予想は当たったらしく、彼女はやたら上機嫌に言った。言い方が憎たらしいような、そんな些細なことで威張ってて微笑ましいようなそんな感情を覚える。
「で、なんなんだい、それは」
「ん? ああ、えっとね、まず君には分かりがたいかもしれないけど、今日は四月一日なんだよ」
「⋯⋯なるほど」
「それで四月一日というのは嘘をついてもいい日って決めたんだ」
 嘘をついてもいい日、ね?
「そうだね」
 僕は極めて冷静にそう言った。
 僕の思った通り、彼女は少しギョッとしたあと、顔をしかめた。
「もしかして、知ってて嘘ついたな!?」
「いや、騙せるかと思ってね。ついやってみただけで本当に僕は知らなかったよ」
 そう言うと、彼女はあからさまに機嫌が悪くなった。
「あっそう!! そういうことすぐするよね、演奏者くんは!! そういうとこ大嫌い!!」
「それは今言ったら逆の意味になるんじゃないかい」
 そう言うと彼女は沈黙した。顔をぐしゃぐしゃにして、怒っていた。それでも逆の意味をすぐ返さないのは、きっと嘘でも言うことすら躊躇うからだろう。
「僕も嫌いだよ、きみのこと」
 そんな言葉で追い打ちをかければ、靴で軽く地面を蹴って舌打ちしながら彼女は去っていた。
 皮肉ったわけではなく、本当に彼女のことを嫌いではないのは、彼女には伝わらなかったらしい。

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