グランドピアノが広場の中央にある。
今は彼の姿は見えないけど、ボクは特に触れずにグランドピアノを見つめている。
グランドピアノには可能な限り触れたくない。
ボクは演奏者くんのことが全くもって苦手だけど、彼が演奏するピアノの音色は嫌いじゃない。むしろ好きで。
だから演奏のやり方を知らないボクが鍵盤を適当に押したところで不協和音しか出ない。そんなことをするのは彼がいる時だけだ。
ここで例えば音を鳴らせば、どんな遠い所にいてもどうしても彼に聞こえる。このピアノはこの世界のどんな所にいても、音が聞こえる魔法のグランドピアノなのだから。
彼は強い。ボクのことなんか一捻りすれば殺せてしまうレベルに。そして彼は、そんなことを知らない。
彼はボクが『権力者』のトップだと思っている。全然そんなことはない、ボクはいつでも取り替えることが出来る、ただの部品みたいなものなのに。
それでも、今は、今だけは彼にボクが一番の脅威だと思い込んでて欲しい。そっちの方が有難い。
ボクが脅威である限り、君はボクの背後の事情に気づかない。ボクが君の最大の敵である限り、君はここから居なくならない。君がいなくならなければ、ボクが大好きなピアノの音色を永久に聞くことがてきる。
それがいい。それが今の、そしてこれから先のボクのたった一つの願いだ。
下っ端でありたくない、なんて望まない。下っ端であるからこそ、ボクはここで君の奏でるピアノの音色を聞くことが出来る。それが⋯⋯⋯⋯⋯⋯幸せなんだ。
それ以外はボクにとっていい事はない。
ボクが持ってる洗脳はみんなと違う。みんなの自由を奪ってしまって人形のようにしてしまう、最低な能力。みんなは過去の記憶を消す、とかなのに。
この世界のことは好きだ。ボクの唯一の居場所だから。ただ、この世界の住人がみんなここを好きかは分からない。ボクの担当はみんな、意思を失ってしまうから、どう思ってるかなんて聞くこともできない。
演奏者くんが全員元の世界に戻してしまえばいいのに、なんて思うと同時に、そんなことをして欲しくないという気持ちがずっとある。
「⋯⋯邪魔者?」
後ろから鋭い声で背中を刺され、振り返れば演奏者くんが険しい表情でボクの方を見つめていた。
「⋯⋯やぁ、演奏者くん」
「ピアノに触れてないだろうな」
「あはは、触れて欲しいなら触れるけど?」
挑発するように言ったが、本心なんかではない。ボクは、君に止めて欲しくてそう言ってる。
君は舌打ちをしながらボクを退けて言った。
「きみにピアノを触らせるわけないだろ。僕にとってピアノは大事なんだから」
そうだよ、知ってる。そしてボクは君がピアノを弾いてるその光景が一番好きで、一番大事なものなんだから。
思っていても言わない。言葉にするわけが無い。
「そういえばそうだっけ。それにしてもピアノが一番大事なんて⋯⋯何だか陰気だねぇ?」
「⋯⋯⋯⋯邪魔者」
「はいはい、じゃあね、演奏者くん♪」
彼の表情は見ずにその場を離れる。軽い舌打ちが聞こえた後、少し経ってからピアノの音色が聞こえてきた。
彼に見えない場所のベンチに座って、ボクはその音色に耳を傾けた。
4/2/2024, 3:07:21 PM