なめくじ

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1/18/2024, 11:24:45 AM

病弱な彼女の趣味は、日記をつけるというものだった。
ごく在り来りなその趣味だったが、
彼女はその趣味に没頭していた。

何処へ行くにも、何をするにも日記と一緒。
食べたものの味から行ったところの景色まで、
全て文字だけで表す。写真や絵はひとつもなかった。
その日見た夢から考えていた事まで、
ひとつも零さずに書き記す。
記録と呼ぶには細すぎるものだった。

彼女はこの趣味を誰にも話さなかった。
常に持ち歩いているというのに、
絶対に人前では開かない。書く時も然り。

鍵をかけられ、誰にも見られなかった彼女の記憶は、
彼女がこの世から旅立った後に見つかった。
症状が少しづつ確実に悪化していく生々しい表現。
何度も死を想像し、その度に固めたであろう覚悟。
彼女を知らない人でも容易に理解出来てしまうそれは、
まさに彼女の記憶であり、彼女の一日一日だった。



彼女の日記に死に様は書かれていない。

再び閉ざされた日記の中で、彼女は生き続けている。

1/17/2024, 1:00:55 PM

「もう、終わりにしようか。」

目を合わせずに告げられた言葉が腹の底を冷やす。
分かっていた。いつか振られるのだろうと。
段々と合わなくなっていく視線。
理由をつけては断られたデート。
繋がらなくなった電話とメール。
彼からの言葉は、何時からか温もりを失っていた。

この言葉に答えたら、私達は二度と会えない。
そう考えると、このまま時を止めてしまいたくなった。
木枯らしが私たちの間を走り抜ける。
いつの間に離れていたのだろう。
かつて力強く握られていた左手は、
今も貴方の温度を求めているのに。

1/16/2024, 4:34:32 PM

君の心は美しい。
誰であろうと手を差し伸べ、親身に寄り添う。
僕も君に救われた内の一人だった。
でも僕は君の横には立てない。
あまりに綺麗な心だから、
僕がより穢れているように思えてしまうんだ。

君の瞳は美しい。
何があろうと眩く輝き、道を照らしてくれる。
僕も君に照らされた内の一人だった。
でも僕はその瞳を避けてしまう。
あまりに輝くものだから、
それに映る僕がひどく醜く見えてしまうんだ。

君の美しさに救われた僕は、
君の美しさで傷付いている。

1/15/2024, 7:43:21 PM

小さい頃から、人との関わりが苦手だった。
家族は私が歩くようになってから、放置した。
友達の居ない幼児は、ただ絵本を捲るだけ。
喧騒が鳴り響く部屋の隅で、静かに頁を進めた。

大きくなると、読み物は絵本から小説へ。
挿絵もないまっさらな文から世界観を想像した。
情景などの描写から、主人公の心情を読み取った。
もはや人間として、私として生きている時間よりも、
本の世界に没入している時間の方が長かっただろう。

現実世界の私は、社会からとうに弾かれていた。

私の世界は本の世界なのだ。
本の中に私は居ない。故に傷付けられることは無い。
本の中に私は存在していない。故に責任や苦悩もない。

次第に既存の小説では飽き足らず、自作に手を出した。
創作。ただの妄想が創造になる瞬間、
私は初めて私としての生を実感した。

自分で世界観を練り、登場人物を作る。
思い通りに出来る自分だけの世界。
ずっと浸っていたい。この世界は私のもの。

弱々しい灯りが頼りなく照らす部屋の中、
ドアの向こう側から叫ぶ女の声など耳に入らなかった。
物が割れる音も、男の怒鳴り声も、聞こえなかった。
食事だって、睡眠だって、私の世界には必要ない。




この世界は、誰にも邪魔されたくない。
この世界だけは、誰にも壊されたくない。

1/14/2024, 11:07:50 AM

誰かの悲鳴が鼓膜を劈く。

「どうして」

その後の言葉は喉に突っかかって出てこなかった。
たとえ出てきていたとしても、
この問いに返答なんてありはしないが。
ただ、吐き出したかった。言わずにはいられなかった。
それすらも出来ないのかと、嘲る事しか出来なかった。

どうして、私を突き飛ばしたの。
どうして、私に笑顔を見せたの。
どうして、目を見てくれないの。

どうして、私を庇ってしまったの。



感謝の言葉なんて言えない。謝罪だって出てこない。
ただひたすらに、疑問と怒りが込み上げる。
真っ赤に染ってゆく君の身体が網膜に焼き付く。
もう二度と合わない視線が、酷く冷たかった。



どうして、死んでしまったの。
告白の返事を、伝えたかったのに。

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