青い青い空の下で笑うあなたの写真。
目線を他の人に向け、満面の笑みを浮かべている。
私が見た事のない顔。私に見せない笑顔だった。
視線が合うことは無いのに、
その写真から目が離せなかった。
私が撮ったどんなあなたよりも美しく写っている。
私以外の人に向けた笑顔だと思うと、
そのまま引き裂いてしまいたくなるのに。
どうにも出来なくて、ただ見つめ続けてしまうの。
何度でも、私を選ばなかったあなたに目を奪われる。
他人へ向ける笑顔に、どうしようもなく惹かれるの。
私以外の人を愛してるあなたに、恋してしまったの。
気が付けば、真っ暗闇の中。
足は動かず、口には何かを詰められている。
手の感覚はなく、身じろぐと金属の擦れる音がする。
悪意が街を静かに飲み込んでいたこのご時世、
一人で夜道を歩いたのは、流石に自殺行為だったか。
誘拐、監禁。これからどうなるんだろう。
漠然とした恐怖と、
非日常に対する微かな興奮を覚えた。
何処かで、この時を。
日常が覆される瞬間を待っていたのかもしれない。
どのくらい経ったのだろうか。
何時間か、何日か、あるいは数分だったのかも。
唯一不自由ない聴覚が、足音を拾った。
口に入れられていた何かを外される。
それに次いで生暖かい物を入れられた。
咄嗟に歯を食いしばり、異物の侵入を防ぐ。
しかし決して急かさず、
緩慢な動きでそれは静かに入ってきた。
気付けば口を開け、自らそれを受け入れてしまった。
初めは味なんて感じられなかった。
それが食べ物かすら分からなかった。
でももう一口、二口と入れられる内に、
それが温かい食べ物だと理解した。
美味しい。シチューだろうか。
味付けは口馴染みの無いものだったが、
今までに食べた何よりも美味しかった。
唐突に、人間の声。それも若い人間だ。
恐らくシチューをくれた人、そして監禁の犯人。
何か発している。だが日本語じゃない。
日本人じゃなかったのか。英語なんて分からないぞ。
ただでさえ感じていた不安が、
言語の壁により膨れ上がった。
これから何をされるのだろうか。
このシチューは安全な物だったのだろうか。
初めての温かいご飯というものに、
自然と恐怖心が解けていたことに気付く。
あまりにも無用心な自分に呆れと怒りを感じた。
思わず身体が震え出す。歯がガチガチと鳴る。
腹の底から不快感と吐き気を催した。不可抗力だ。
目隠しを外された。眩しさに慣れない目が潤む。
正面に座り込む人間は、頬を染めて口を開いた。
「─────cute!」
流石に理解した。自分は愛でられているのだと。
もちろん理解だけ。納得などしていないし出来ない。
これがおかしな事なのはわかっている、つもりだ。
でも、この人が慈しむように見つめてくるから。
優しく壊れないように頭を撫でてくれるから。
何故かその手を、憎めなくて。拒めなくて。
混乱してつい溢れた涙を、掬いあげてくれた。
涙に気付いてくれたのも、この人だけだった。
この先日常に戻れなくても、
自分の事を覚えている人間は居ないだろう。
消えたことに気付いてくれる様な関係は、
築いてこなかったから。築けなかったから。
無意識に夜道を歩くくらいには、
自暴自棄になっていたんだと今になって思う。
誰かに作ってもらった温かいご飯も、
甲斐甲斐しく世話をしてくれる優しい手付きも。
振り払おうとも思えないほど、心地よく。
今までの人生で触れたことの無いもので。
それを惜しげも無く与えてくれたのが、
少し人道を踏み外しているこの人だったってだけで。
皆が得ている愛情を、正しくなくとも恵んでくれる。
それが如何に間違っていようと、自分たちの全てなら、
それだけで、もう良いような気がした。
心の何かが吹っ切れたみたいだ。
肩より先は存在しなかったし、
足の腱は恐らく切られている。
視界に入れると鋭い痛みが主張を強めた。
骨を突き刺すような、身体を震わせるような痛み。
呼吸も浅くなり、縮こまる事しか出来ない無力感。
その時、包み込むように背中に回されたそれは、
何処かで常に求めていた安心感と温もり、充足感。
身を裂くような激しい痛みを、いとも簡単に和らげた。
もちろん、この傷を付けた張本人だと理解している。
それでも不満を抱けないのは、憎悪出来ないのは、
きっとこの先の監禁生活に、手足が必要ないから。
誰よりも愛してくれる人が、もう見つかったから。
親にすら貰ったことの無い、
しかしずっと欲しかった、この深い愛情を。
倫理を超えた、許されざる愛情を。
受け取る為の代償だったのなら、
独り占めする為の対価だったのなら。
この貧相な手足など、未来のない将来など、
あまりにも安く済んだものだ。
そう思ってしまうくらいには、絆されてしまった様だ。
目を開ける。光が目を劈く。頭に痛みが走る。
溢れそうな涙を堪える。
果たしてこの涙は、痛み故か。
君を今から傷付ける懺悔故か。
息を吸う。君の目を見る。
嬉しそうな君の笑顔を、今から壊すのか。
他でもないこの私が。君を信じ愛した私が。
「良かった…目が覚めて。」
幸せそうな顔、紅潮した頬、涙ぐむ瞳、緩む口元。
その全てが、私の罪悪感を駆り立てる。
乾いた喉を無理やり震わせ声を出す。
掠れたその音は、泣き声に似ていた。
「…あなたは、誰ですか。」
息を呑む音が聞こえた。
目を見開く。
瞳孔が震える。
息が荒ぶる。
顔が青ざめる。
君の動揺が、混乱が、恐怖が、絶望が。
手に取るようにわかる。わかってしまう。
ごめんなさい。さようなら。
未熟故に君から逃げ、脆弱故に君を傷付けた。
ずっと一緒に居たかった。
今までそうだったように、
これから先の人生も君と共にあると信じていた。
君が私を案じて、夢を諦めた時。
君が私を優先して、道を外れた時。
君が私を助けて、傷を負った時。
全てが私の所為だったというのに、
君は私を見て笑ったのだ。
傷一つない私を、満足そうに眺めたのだ。
我慢ならなかった。許せなかった。
君が簡単に変わってしまったことを。
君を私が変えてしまったことを。
誰よりも君を愛している。離れたくなかった。
でもそれ以上に、変わっていく君を。
私の所為で変えられていく君を見てられなかった。
どうか私のことは忘れてくれ。
頑張って君のことを忘れた演技をするから。
このまま他人になってしまおう。振り出しに戻ろう。
次はこんな未来に辿り着かないように。
気付かないで、傷付かないで。変わらないで。
ありのままの君が好きだ。
私の隣に居ない、自然体の君が。
なんでもないように、気付かれないように。
他の子と同じように包装して、
他の子と同じように手渡した。
貴方に渡すものにだけは、私の愛情が詰まっている。
少し驚きながらも喜ぶ貴方は、
やはり友チョコだと信じて疑っていないようで。
他の子と同じように感謝を述べた。
この気持ちを伝えるつもりはなかった。
だから気付かれないようにしたのに。
私からのチョコを嬉しそうに見つめる貴方の笑顔が、
あまりにも眩しくて愛おしいものだったから。
そっと、伝えたいと思ってしまった。
「あのね、」
そのチョコ、本命なんだ。
あなたに触れれば触れるほど、
胸の奥が冷たくなるのは何故なのでしょう。
あなたの腕の中にいても、
身体が酷く震えてしまうのはどうしてでしょう。
脅してでも拳を握らせ、
付いた痣を見て安心するのはおかしいことでしょうか。
身体を抱き締められるよりも、
首を絞められた方が嬉しいのは間違いなのでしょうか。
どんなに愛を囁かれても、
私のココロはそれを受け止められなくて。
異物だと決めつけては拒絶してしまうの。
撫でられるよりも殴られた方が良いと感じるのは、
私のココロが狂ってしまっているからでしょうか。
あなたの愛は陽の光よりも暖かく優しいはずなのに。
受け入れることが出来ない私に落胆しては嫌悪する。
私を傷付ける度に泣き崩れ謝罪するあなたが、
どうしようもないくらいに愛おしく思えてしまう。
不可抗力なのにも関わらず、
脅迫されている様なものなのに。
私に愛を届ける為に、暴力を振るっては懺悔している。
これ以上私を愛してくれる人は居ない。
わかっているのに、わかっているから。
あなたの為を思うのなら、私が身を引くべきだけれど。
私という人間は、やはりどこまでも自分勝手なようで。
苦しみながら私を傷付けるあなたを、
どうしても手放したくは無いのです。
あなたのココロが壊れるまで、共にいたいのです。