やあ、君が噂に聞く勇者とやらかな?
剣も持たず、盾も担がず、よくここまで来たものだ。
見境なく人々を救う旅はどうだった?
嘘を吐かれて、財産を奪われて、
それなのになぜその手を収めない?
君は見たはずだ。確かにその視界に捉えていた。
君が救った人間を、すかさず貶める悪人を。
君が救った人間が、他の人間を騙す瞬間を。
もちろん、そんな人間ばかりではなかっただろう。
泣き崩れ喜ぶ人間も、幸せを噛み締める人間も。
君がたじろぐほどの報酬をくれた者もいたね。
君は後者しか覚えていないのか、
そもそも覚える気がないのか。
見たいものだけを見るなんて傲慢だね。
知りたいことだけを知るのも怠惰だよ。
その願いはひたすらに贅沢で、身の程知らずだ。
理解に苦しむものから目を背けるな。
根っからの悪人がいないと信じるのなら、
根っからの善人だっていないと知るがいい。
君が全ての人に手を差し伸べる一方で、
全ての手を叩き落とす人間だっているんだ。
その手を搾取する人間だっている。
全ての善意が善意で返されることはない。
全ての善意が善意として受け取られることもない。
全ての善意が褒められるものではない。
全ての悪意が救いようのない感情でもない。
君が仮に手を差し伸べたとして、
その人が救われなかった時、
君は大きな憎悪に押しつぶされることになる。
救われない人が悪意を向ける相手は、
手を伸ばさなかった不特定多数ではなく、
その人を心の底から助けようと奮闘した君なんだ。
おかしいと思わないか?
全くもって理不尽だろう。不条理だろう。
世の中はそんなもので満ちている。
これだけ聞いたら、人助けなんて辞めてしまうかな?
君はそんな人間じゃないよね。
だって勇者とは、そういうものなのだろう?
相当に出来た人間だよ。正気の沙汰じゃない。
人間というものを信じているんだね。心の底から。
自分が救いたいと願うのと同じくらいの想いを、
他人に強要するんだ。それも無意識に。
酷いことをするものだ。まるで独裁者だね。
自覚がない分さらにタチが悪いな。
理解なんてできないが、
それを人間は尊いものだというのだろう。
恐ろしいくらいに盲目で、脆弱だ。
君が感じているその想いが、
他の人間も抱いているものだと、
なぜそうも無邪気に、当然のように思えるのか。
君のその考えは、あまりに稚拙で短絡的だ。
愚かだと言い切ってしまってもいい。
人間というものを美しく誇張して他人に押付けている。
まさに独りよがりだ。とても人間らしいね。
だが、それは思想の暴力だと知った方がいいよ。
青い青いその思考力じゃ、理解できないかな?
だが安心して欲しい。
君が悪意に晒されるのは、
何も君が愚者だからというだけではない。
人間という種族がそもそも賢くないんだ。
それこそ、悪意の矛先を誤るくらいには。
君が気をつけることは、他人に手を差し伸べない事だ。
勘違いしないで欲しいんだけど、
人助けを辞めろと言っている訳じゃない。
判断は早まらない方がいい。話を最後まで聞け。
救いたいならば、己の手を過信するな。
手を差し伸べたらどうにかなる、
そんな楽観的な考えを改めろ。
素手でどうにかなることの方が少ないだろう。
君に出来ることが手を伸ばすことだけならば、
いっその事手を出してやるな。
その善意が傷口に滲みることだってあるんだ。
まさに、善意が針のような痛みを伴ってしまう。
例えその手を一度取ったとして、
自分から手放す勇気だって必要だ。
ただ勇敢なだけでは愚行に終わる。
救うという行為は、思っているより繊細で、難しい。
君が本当に心から全ての人を救いたいと願うのなら、
そしてそれを自分の力で成し遂げたいと望むのなら、
君が使いこなせる手札を増やすべきだ。
素手で出来ることは限られている。
そんな時、人間なら道具を使うだろう?
人を救うにも、道具がいるんだ。
有り体に言えば、金、人脈、権力。
結局はそんなものがものをいうんだ。
それが人間の生きる世界だ。
そして道具は、使いこなせなければ意味を持たない。
身に余る力は、搾取されるか淘汰されるかの二択だ。
信じられないか?それとも、信じたくないのか?
最初にも言っただろう?目を背けるな、と。
どうだ、見えたか。声も出せないほど汚いだろう。
これが君の見て見ぬふりをしてきた垢だ。
それに縋る気持ちはどう?
手にそれらを握りしめて人を助けるんだ。
君の手が汚れるように感じるかい?
だが考えても見てくれ。
君は己の手が全く汚れていないと言い切れるのか?
綺麗事だけじゃ人は救えないんだ。
君が助けてきた人々は、腹の底まで純粋無垢だった?
手を差し伸べた相手は、心の奥まで清廉潔白だった?
もう一度だけ言っておこう。
見たいものだけを見ようとするのは、傲慢だと。
この世界の事実を受け止めろ。
人間の貪欲さに、生き汚なさに直面し、絶望しろ。
それでもなおか救いたいという崇高で愚直な意思が、
君に一欠片でも残るのならば。
他人に穢されることの無い程の希望を、
君の心に灯しておくことだね。
君という純粋な善意が、
大きな悪意に飲み込まれることのないように。
君という人間がどこまでやれるのか、
ここで見ているからさ。精々楽しませてね。
5/17/2025, 1:17:32 AM