俺の家は貧しくて、食うにも困る暮らしだが、幸せだった。
家は港の横にあるから、海に潜って魚を取れるし、行商の親父の手伝いで遠くまで出稼ぎに行ったら、お代をちょろまかして、ちょっとした小遣いだって作れた。
でもよぉ、俺は戦争には行けねぇんだわ。
まずは長男って事があった。そんでもって、海に入りすぎたのか、鼓膜が破れて無いらしくて耳が悪いらしい。
しかも、目がロンパリだからなかなか赤紙が貰えんで、友達が戦争に行くのを見送ってばかりだった。
近所の者は、俺に石投げたりした。
俺が中等教育終わる間際に戦争が終わった。
卒業したら働くもんだと思ってたら、ある日、家に先生がきた。どうやら俺は成績がいいらしい。どうにか高等学校に行かせてやれないかと、親父に話に来たらしい。
下の妹達を食わせてやらんとならんのに、無理だろうと思ってたんだが、なんやかんやで親父は俺を高等学校に行かせる事にした。
おかげで片道2時間の徒歩での通学が決まった。
俺の町ではまずお目にかからねぇ立派な外套きた同級生やら、入学の祝いと新しいカバンやら靴の者ばかりで驚いた。俺は下駄で2時間歩いて来たんだぞと。
しかしながら、高等学校の新しい同級生はどいつもこいつも人を疑わねぇ心根の綺麗な奴ばかりでな。
聞けば、医者やら議員やら金のある家の子供ばかりだった。
俺は貧乏だが、勉強はできる。
友達に教えてやったりもした。
友達は貧乏な俺を見下しもせず、かわいそうだとも言わなんだ。
しばらくして学生運動が活発になった。
俺たちも徒党をくんで参加した。
ある時、警察に捕まった。
俺は本当は上手いこと逃げたんだが、捕まったやつの家は名家だったから、代わりに俺が拘置所に入ってやった。俺は飯代もかからんし困る事もないからな。
そん時に、学生帽子を潰して被ってた事が気に入らない警官が俺の帽子のツバをチョキンとハサミで切りやがった。
拘置所から出て、また学校に行くと、ツバのない帽子を被る俺を友達が笑って、俺のあだ名は「チョッキン」になった。
俺たちが卒業したら、住む世界の違いからだんだんと疎遠になったが、どいつが言い出したか知らんが毎年同窓会をしようと。
その頃、俺は親父の後は継がんで国鉄に勤めとった。
毎年、どんどん出世していく友達に負けるもんかと一念発起して、国鉄をあっさり辞めて商売を始め、議員を目指した。
俺は金持ちは心根の綺麗なやつばかりだと勘違いしとったんだなぁ。
俺が選挙に出馬表明しに行く朝、俺は商売で騙されとった事を知った。そん時の借金は400万円。
もう、首括って死ぬしかねぇと思った。
でも、嫁も子供もおったから死に損ねる毎日でよ。
そんな時だ、あいつが六畳一間の我が家に来たのは。
あいつはこんな狭くて汚ねぇところに来るような人様じゃなくて、きっちり親の後継いで立派な会社を営んでよ。
俺と小一時間くだらねぇ昔話して帰って行きやがった。
それからあいつが高等学校の同級生に声かけてくれてよ、みんなで400万円もの大金集めてくれて、しっかり言ったんだ。
「借金返してこい。俺らに借金キッチリ返せ。ついでにチョッキンが同窓会の幹事だからな」
って。
それから俺はガムシャラに働いて、商売が上手く回るようになった。借金も返せたし、子供を大学まで行かせてやれた。
その間も毎年一度の同窓会は続いた。
何十年この同窓会を開いただろうか。
同窓会の参加者は少しづつ減ってって、皆が88になる年に、コレで終いにしようと決めた。
後は、みんなあの世で同窓会でいいじゃないか。
みんな精一杯生きたから、話は尽きる事ないだろ?
「ママ!カエルがいるよ!カエル!」
「わぁ、本当だー」
「カエルさん、こんばんは!」
「カエルさんもこんばんはって言ってるよ」
「私、こっちに引っ越すまでカエルさんは緑色だって思ってたの。ママも?」
「うーん?違う色のもいるって知ってたけど、見るのは初めてだなぁ」
「そっかー。このカエル可愛くないねー」
「そう…そうかなぁ」
「茶色でデコボコでブサイク!」
「うーん。見る人が見たら可愛いと思うんだよ」
「そうかなぁ?ママが言うならそうなのかも。」
「今日ね、幼稚園にカエルさんがいてね!緑色のコレより可愛い方のやつね!私、びっくりしてギャー!ってさけんじゃったの」
「ママでもいきなりのカエルさんならギャーっていっちゃうかも」
「でしょ?なのに、幼稚園のお友達がさ、これだから東京もんは!ってバカにしてきて頭に来ちゃった」
「まぁ、東京からきたのは本当だしね」
「ママだったら怒らない?」
「うーん?どうかなー。怒ってもねぇ」
「そういうママの煮え切らない態度が良くないのよ!」
「…ちょっと、どこでそんなセリフ覚えたの。」
「私はね!怒ったよ!すっごくすっごく怒ってね、カエルさんの近くにいたカタツムリをその子に投げてやった!」
「へぇ。カタツムリ。」
「そう!カタツムリってバイキンがいっぱいいるから触っちゃだめなのに、手掴みで投げた!」
「そうなの?バイキンいるんだ。知らなかったなぁ。ってダメって言われてた事したらダメじゃん」
「だって、私の事、東京もんって馬鹿にしたんだよ?ママに意地悪言ってるおばあちゃんみたいな顔してたもん」
「おばあちゃん、意地悪かなぁ」
「そーだよ!私達のいた東京とこの田んぼの中じゃ知ってることが違うって知らないのかな!口癖みたいに亀の甲より年の功っていう癖にさー。ママのお仕事の凄さ知らないなんて、おばあちゃんは井の中のカワズね」
「だからいつそんな言葉…っていうか上手いこというじゃない」
「ママのデザインする作品はさ。たくさんの人が見て凄い!って言ってくれるしとっても綺麗なのにね」
「うん。ありがとね。ママもこのお仕事好きよ」
「私もママの作品好きー」
「私も将来はデザイナーになる!」
「そうなの?」
「うん!こっそり原案なんてあるんですよ」
「原案…大人の言葉よく聞いてるのね」
「ママと東京に帰れるなら、こっそり教えてあげてもいいよ!」
「東京に帰りたいの?」
「私はどっちでもいい!でもママと一緒にいる!ママははここより東京にいた頃の方が幸せそうだったよ!」
「ママが東京に帰りたいなら教えてあげる」
「うーん。色々大人にも事情があるのよ」
「ほら!そうやってハッキリしないとこ!だからおばあちゃんに付け込まれるんだ!」
「確かにねぇ。ハッキリしなくちゃね。」
「そうそう!その勢いよ!ママ、私はこの悔しさを夜空の星で表すの!」
「ほぉ」
「勝手にキラキラしてて、綺麗だろ?って見せつけてる癖に届かないじゃん?」
「そういう見方もあるわね」
「この土地の人から見たら東京もんってそんなかんじなんじゃない?」
「ほぅ」
「だからさ、東京の人が憧れて手が届かない田舎の星空を見せつけてやろうよ!」
「とりあえず、座って話そうか」
と、青ざめた顔した夫を食卓テーブルに向かわせる。
今し方閉まったばかりの玄関を見つめる。
私はキッチンへ行き夫の分だけコーヒーをいれる。
コーヒーの香りに気分が悪くなりそう。
夫がこちらを不安そうに見つめているのを背中に感じる。
1人分のコーヒーをテーブルに置いて私も座る。
こちらの様子を伺うような視線で何も言葉を発しない夫に少し苛立つ。
仕方ないからと、私から話を切り出してあげる。
時間ないし。
「で、さっきの女性と不倫してたの?」
「いや、違うんだ!そんなんじゃない!気の緩みというか…そう、酔った勢いっていうか、俺は君だけが好きなんだ!誤解しないで欲しい!」
「いやいや、誤解する前に話聞いておこうってだけよ」
「俺は君だけだ!それだけはわかって欲しい!」
「でも、彼女、妊娠してるって言ってたわよ?」
「俺の子じゃない!」
「でも、エコー写真みせてくれたから妊娠は本当なんじゃない?誰の子かは別としてもさ」
「そうかもしれないけど、俺の子じゃないから!」
「そお?本当に?最近帰りが遅いどころか日が登ってから帰宅してさっと着替えだけして出社も良くあったからさ。疑われても仕方ないと思うんだ」
「違う!本当に!酒の強い上司がいるって言っただろ?」
「私と最後に一緒に夜ご飯食べたのいつだっけ?」
「…」
「してしまった事について、とやかく言うつもりはないのよ。今後どうするか決めましょう?」
「断じて俺は浮気なんてしていない!」
「だから、そうじゃなくて、今後もこうやって彼女に突撃されても迷惑なの」
「…」
「会社に報告する?迷惑してますって」
「いやダメだ!昇給かかってるんだよ。今が踏ん張り時なんだよ!」
「…困ったわね」
「とにかく、会社に連絡だけはしないでくれ!俺が稼がないと君も困るだろ?」
「まぁ、専業主婦になったしね。」
「早く子供産んで貰って賑やかで暖かい家族になりたいんだよ。君はきっといいお母さんになるから、子供と君が金に困らないように飲みたくない酒飲んだりさ…君が妊娠すりゃ上司に断りも入れやすいんだけどなぁ。コレばかりは授かり物だから…」
「…そうねぇ。とりあえず、夜も遅いし今日はもう寝ましょ?私、なんだか体調が優れなくて…」
「…子供…?じゃないよな。最近…その…してないし」
「そうね。違うと思う。季節の変わり目だからかしらね。」
「…そうか…わかった。先にベッド行ってて、風呂入ったら俺もすぐ寝に行くから」
「うん」
ベッドに横たわり、お腹をさする。
最近の私の癖になりつつある。夫は気付きもしないだろけどね。
妊娠がわかると同時に見つかった癌。
「愛妻家だと思ってたのになぁ」
それを伝えてしまったら、子供は諦めて癌治療に専念してほしいって言われたくなくて、産むしかないって時期まで黙っておこうと思ってた。
仕事に励んでくれる夫に心配かけたくもなかった。
「困ったお父さんね。」
産まれてくるのは、この子かあの子か両方か。
神様はどんな顔してみてるかな。
私の前には大きな樹の枝のような分かれ道。
「はぁ、この中から一つしか選べないんだよね?」
と、一緒に歩んできた地蔵に話かける。
「左様ですねぇ。」
「どの道がいいと思う?」
「私に聞かれましても困ります。ついて行くのが私の仕事ですからね。」
「地蔵って道案内するんじゃないの?」
「ええ、それが私の仕事でございます。」
「じゃあ、どれ選んだらいいか教えてよ」
「はぁ、どの方も20年弱生きてこられたら同じようにおっしゃいますねぇ」
「私が初めてじゃないの?」
「そりゃぁ、地蔵も若造から玄人までおりますが、私は中間ですかね。数百人、旅をご一緒させていただきましたよ。」
「どうやったら旅が終わる…死んだ時?」
「左様でございます。私はあの世への案内人ですので、生まれてから主様の元に帰るまでの旅をご一緒する地蔵にございます。」
「死んでから迎えに来りゃいいじゃん」
「私は旅地蔵でして、死神ではございませんゆえ」
「…色々あるのね」
「…振り返って見てください。ウネウネとしたあの一本道があなたの通った道でございます。」
「マジだ。前はこんなに別れてるのに、通らなかった道、消えちゃうの?」
「左様でございます。しかも一方通行でございまして、停止時間も決められております。ほら、あの信号が青のうちにお選びください。」
「えっ!信号?点滅してるじゃん!」
「ですからお急ぎを。」
「あーっこの道、真っ直ぐっぽいから、コレにしようかな!」
「そうですか。わかりました。ついて行きます。多分その道はあの世への最短ルートですね。」
「ちょっと待ったー!どう言う事?」
「人生の最後は死ですから。」
「あぁそう言う事ね。じゃあ幸せになる道どれ?」
「私にはわかりかねます。あなた様の幸せの形が見えませんから。」
「平々凡々、順風満帆!みたいなの」
「そのような道はございませんよ。あなたが通った道もそのようであったでございましょう。今、最短の道を選ばない方は幸せを知っている方でございます。長い旅となりましても、ご一緒しますゆえ好きな道をお選びください」
「はぁ。役に立たない地蔵だなぁ。悔しいから一番細くて歩きにくそうな道に進んでやるわ」
「良き判断に思いますよ。遠くにありますので小さくみえますが、暖かい光がみえますからね。頑張って共に歩きましょうか。信号が変わってしまいます。」
おばあちゃんが3回目のくも膜下出血で植物人間になったのはもう3年も前。
おじいちゃんとやってたお店を閉めて二カ月程たった頃だった。
お店を閉めると決まった頃おばあちゃんがこっそり私に電話してきて
「おじいちゃんと離婚しようと思うのよ。」
って連絡が来た時はひっくり返る程びっくりした。
長年、仲良し夫婦だと思ってた。
おじいちゃんは、愛妻家でおばあちゃんのワガママを可愛いもんだっていつも言ってて、おばあちゃんは何が不満なんだろ?って不思議だった。
でも、長く連れ添って、一緒に商売してりゃ色々あるんだろうと、賛成も反対もしなかった。
そんな話をしてすぐ、おばあちゃんの3度目のくも膜下出血で、おじいちゃんから連絡もらってすっとんで病院に行ったらおじいちゃんはシワシワの手でポロポロ落ちる自分の涙を拭ってた。
それからは仕事しかしていなかったおじいちゃんは驚くべき家事能力を発揮し、家はピカピカだしご飯も自炊。毎日の日課はおばあちゃんのお見舞いと言う逢瀬。
去年から、植物人間と呼ばれるおばあちゃんは自宅介護になった。
今日はおばあちゃんの口紅というべき色付きリップをお土産におじいちゃんに会いに来た。
それを「ありがとう。すまんなぁ。やっぱりこういったもん買うのは恥ずかしくて」と嬉しそうにガサガサと包みからリップをだしておばあちゃんに塗ってあげるおじいちゃん。
「おーおー、やっぱりママは可愛いなぁ」と私なんか居ないって感じでおばあちゃんの手を握るおじいちゃん。
でも知ってる。私が居ない時はおばあちゃんの事、
“みっちゃん”って呼んでる。
私は、ピカピカのこの家でやる事はないけど、トイレ掃除とご飯を作ってから帰る。
トイレ掃除はどうかおじいちゃんが元気でいられますようにって。あとは料理が苦手だったけどそれなりにやってたおばあちゃんの代わり。
窓から西陽が入る時間になったら、おじいちゃんは「みっちゃん、ひどるくなったなぁ。夏がくるなぁ。」ってそっとおばあちゃんにあたる日差しを遮るように椅子を移動させた。
しばらく2人の時間を邪魔しないようにして、おじいちゃんにご飯できたよーって呼びに行く。おじいちゃんの着てるシャツに西陽が当たっておばあちゃんを守ってるみたい。おじいちゃんは、日除けの役割をカーテンに任せてから、
「ありがとう」って食卓につく。
「今度来る時は日焼けどめをお願いできんか?」と。
「いいよー夏がくるもんね。」
「ママは色が白いから心配だ。」
「おじいちゃんも体に気をつけてよ」
「あぁ、わかっとる。ママが死ぬまで死ねんからな」
って。
何も言わないおばあちゃんだけど、本当に離婚したかったなら、とっとこあの世に行っちゃってるだろう。
おじいちゃんに世話させて、ニヒルな笑い顔してるかな。
夫婦の事は夫婦にしかわかんないんだろうけれど、おじいちゃんみたいな人と結婚したいなぁっておばあちゃんに言ったらなんて返事が返ってくるのかな。