君と見た虹
初めて来た場所ってわけではないけれど、泊まるホテルを変えればそれなりに目新しさはある。
君とはそれなりに長く付き合っているから、新鮮味はないけれど、安心感はある。
雨に降られて来た事を少しだけ後悔しつつ、雨が弱くなった外の風景をホテルの部屋から眺める。
「綺麗だね」って君が指差した雲。目を凝らしてみれば曇天の虹。付き合いたての頃なら「綺麗だね」って本心で言えたのだろう。
どうみても、綺麗ではない虹。
「うん。そうだね」
精一杯の相槌。
こうして、些細な温度差を感じるたびに、付き合いを続けてよいものか。ふと、考える。
もう少しで30歳。押すも引くも焦りは禁物。だが焦る。
ひそかな想い
あなたはいつも同じ時間にいなくなる。
だから、その時間は大嫌い。
窓からあなたが見えなくなるまで見送ってるの気づいてる?
帰ってくるのはいつもマチマチで、毎日、まだかな?そろそろかな?って待ってるの。
たまに、一日中一緒に居られる日があるから、そんな日はあなたを休ませたり楽しませたりして頑張ってるのよ。
それは、あながどんなに遅く帰ってきても私を「さんぽ」に連れ出してくれるから。
私、「さんぽ」が大好きなの。
本音を言えば、あなたがいつも居なくなる方の道に連れて行って欲しいんだけど。いつもあなたは違う方へ私をつれていくのよね。
女心を学んで欲しいけど、大好きなあなたが選んでくれる道に文句言わないわ。
毎日、よその犬に浮気してないか確認してるけど、どうやら今のところは大丈夫ね。
あなた、私の事「可愛い」って言ってくれるし、「おりこう」って撫でてくれる。
そんなあなたが大好きよ。犬だから言えないけれど。
あなたは誰
「あら、こんにちは。いらっしゃい」
そう言ってズズズと音を立てながら椅子に促されて座る。
「今日は雨が激しいのにわざわざありがとうございます」
そう言って老婆もベッドに腰掛ける。
「いかがなさいました?」
そう言って不思議そうに僕の顔をまじまじ見る老婆は、『あなたは誰?』と言わんばかり。
僕は「近くに居たので雨宿りがてら寄らせてもらいました。」
そう言ってにっこり笑う。
「そうでしたか。あぁ、そう言えばコレ、コレどうぞ。大したものでなくてごめんなさいね。」
そう言いながら、枕元にある戸棚から出して渡されたチョコボール。
クチバシの付いたチョコレート豆菓子。
「どうもすみません」
涙が出そうなのを堪えて喉が熱くなる。
「いえいえ、あなた、私の夫にも息子にもよく似ているものですから、ついね。同じ物が好きなんじゃないかって。」
老婆…私の母は私が幼い日の家族写真に目をやる。
「ほんと、よく似てるんです。ごめんなさいね」
ニコニコと愛想笑いの母に。
「いえ、とても嬉しいです。」
そう言うのが精一杯のぼく。
大学で上京してから、まともに帰らなくてごめん。
施設に入れっぱなしでごめん。
もっと一緒に過ごしたかった。
忘れられたくなんてなかったよ。
輝き
私、結婚した事ないし、子供もいません。
別に今時の普通かもしれませんが、私70歳。
若い頃は普通じゃなかったんです。
でも、私は子育てのプロですよ。
教師でしたから。
もう、半世紀近く教育と子育てに関わってます。
定年で退職した後は子育てのサポートできるお仕事をしています。
現役ですよ。
子供はヤンチャも真面目も反抗期もみんな可愛いと思えるようになりました。
そりゃ、渦中はそれどころではありませんし、真っ当な道を歩めるように自分の持っている時間は全て子供達にと励んでおりました。
子供達の事ばかりを気にしていて気が付かなかったんですよ。私は。
子供がつまづいた時、悪かった時、そんな時を乗り越えてね、「ありがとうございました」って挨拶に来てくださる親御さん。
あんなに、輝いた笑顔は子供にはできません。
時間よ止まれ
君がくれたチョコレートはカバンの中。
バレンタインに「勉強の休み時間にでも食べて。」
授業終わりにこっそりくれたチョコレート。
俺が食べた事ないような高そうなやつ。
俺ん家、貧乏だから公立しか無理って言われてるし、
中学の制服も近所の兄ちゃんのお下がりだし、アパートだし。
貧乏は嫌だ。
ただそれだけで、何をしていいかわからなくてがむしゃらに勉強してきた。
私立の合格はもらえたけれど、通わせてもらえないから嬉しくもない。
あと少し、高校生になったらバイトだってできるし、奨学金借りて大学行けば貧乏な暮らしじゃなくなるよな?
君がくれたチョコレートだって、自分で買えるようになるよ。
さぁ、詰め込んだ知識の放出だ。
「はじめ」
の声と同時にカリカリと皆がペンを走らせる音がする。
俺も負けじとペンを走らせる。
残り15分。
見直しの時間だ。
途端に不安が押し寄せる。この紙切れに俺の人生がかかっているんだ。
勉強していた時、金持ちの家の奴を羨んだ時、家が貧乏で悲しかった時。君がくれた見た事ないような綺麗なチョコレートを貰った時。
フラッシュバックみたいな走馬灯みたいな記憶と焦燥感で吐きそうになる。腹も痛くなる。
お願いだから。
頼むから。
時間よ止まれ。