目が覚めるまでに
我が子が寝たらハッピータイム
なんて事はない。
食器洗いに洗濯(朝できるかわからないから)
ついでに、夫の夜ご飯と片付け
乱れまくった部屋の片付けと、適当にしかできてないゴミの分別。
使ったお金の管理、予定の支出の管理
そんなしてたら一度目の夜泣き発生。
まだ二時間経ってないやーんって思いつつ、オムツや汗のチェック。必要なら授乳やミルク。
まだ12:00前なら、明日の朝ごはん、夫のお弁当、食材あれば夜ご飯の下準備。
だいたい、火をかけたタイミングで二度目の夜泣き。
はぁ〜〜〜〜って思っても行かねばなるまい。
火を消す事だけは忘れずに。
そうこうしてたら私も寝てて、なんどか授乳で起きた気がするけれど、記憶にはない。
明け方に、眠ってる子を起こさないようにそっと部屋を出てキッチンへ。
昨夜と寸分変わらず途中の料理。
追加で、夫が食べたであろうアイスクリームのゴミがシンクに置かれてる。
ジャーっとアイスクリームの容器を流し始めた途端に起き出す我が子。
夫に殺意。
子供の目が覚める前に家事を増やす事は重罪である。
だから、一人でいたい
なんでもかんでも、事件は予想しない時に予想しない方向からやってくる。
私はそれが苦手。
臨機応変に対応ができないってわけじゃない。
むしろ、そんな時にしか役に立たないかもしれない。
だが、そんなに事件なんか起こらない。
事件って言っても、ほとんどが予測不能なところからやってくるだけで、ほとんどが大した問題じゃないが解決しないと面倒が膨らむ事。
そんな事件は、大抵が巻き込まれる事によるものだ。
家族、親族、大切な友人なんかからやってくる。
自分が事件の本人なんて事は、予測できるし、交通事故みたいなどうしようもない事なんか滅多に起こらない。
自分の事で精一杯!ってときに、事件はやってくるもんだ。
だから、なるべく大切な人は少ない方がいい。
歳をとって、あいよっ!って腰軽く動けなくなる時がくる。
だから、今から先はなるべく一人でいたい。
神様が降りてきてこう言った
「生きてもいいし、死んでもいいよ」
死にたいばかり考えていた私は『死んでもいいんだ』って許してもらえて嬉しくて
「じゃあ、死にたいで!」
って即決。
「そうか、わかった。じゃあ生きないんだね」
って神様
「うん!死にたい!」
って笑顔で応えた
「そーかそーか。すまないね。生かしたのも私だ。お詫びと言っては何だけど、死ぬ前に何か叶えたい望みはある?」
って神様が聞いてきた。お腹空いてるから、好きなものがお腹いっぱい食べたいし、叩かれたり、閉じ込められたりしないで、お母さんとお喋りしたい。お風呂に入っていい匂いの自分になりたいし、同級生の子が着てる綺麗な服や、筆箱も欲しい。ふかふかのお布団も憧れてるし、通学路以外の外の世界も知りたいなぁ
って考えて
「何もいらなから、死にたい」
って答える。
「本当に?今しか願いは叶えてあげられないよ?」
って神様が言う。
「うん!私ね、お母さんから『産むんじゃなかった』『死ねばいいのに』って言われるの。だからお母さんに笑って幸せになって欲しいから、死にたい!」
だから産まれなかった事にしてほしい。
でも、産まれちゃったから、私の願いの分はお母さんにあげたいなぁ。無理ならいいんだけど。
花咲いて
花散里
存在したかはわからないけれど、凄く人生を名前で表してる。
家のための子、だが不美人。欲を表さずして洋裁などを学び、信頼を得て光源氏に安心を与えた姫様
花の咲き誇った時期は、きっと幼少期。それを過ぎ、枯れるものかと頑張って、大勢晩期を勝ちとる凄さ。花は散っても里になる。かっこいい。
そのあとの世に
花の命は短くて、苦しき事より多かりき
って林芙美子って人が言ってる。
林芙美子の言葉には続きがあって
風も吹くなり、雲も光るなり
って。
人生一度くらいは花咲き乱れるような幸せな時間もある。まぁ人生色々だから、頑張ったり耐えたりする時間の方が長く感じるよねー。な言葉なんじゃないかな。
幼少期に
かぼちゃの種巻いて、芽が出て、膨らんで、花が咲いたらーって幼児期に聞くやつ。あれって先人の教えじゃない?咲いた後が忍者がどうこうしておちゃらけた感じで結末を言わない感じ。日本人っぽい美徳じゃない?
なーんてなんて、私の花の時代はいつだろう?
芽が出て、花咲いて…花咲く時期は一度だけしかない?
二回あってもいいじゃない?
二回花を咲かせるように頑張る自分、素敵じゃない?
一度だけじゃ勿体ないくらい長寿になってるんだしさ!
一度目は自分のため、二度目は後世のために花を咲かせる事ができれば、日本も捨てたもんじゃなくなるんじゃないかなー
今1番欲しいもの
ジーニーはアラジンに欲しい物を3つ与えました。
アラジンの善意によりジーニーは自由を得ることができました。
しかしながら、アラジンの1番欲しいものはジーニーの自由ではありませんでした。
ジーニーは、自由を手にしたらいいました。
「好きなところに行きたい」と。
ランプの中が天国なのか地獄なのかわかりません。
ランプの外が天国のように思ったからかかもしれません。
大人は言います
「施しをうけるのではなく、与える方になりなさい」
与えるために努力の続けられる人は幸いです。
アラジンの欲しかった2つのものをすでに持っているからです。
アラジンが富豪の家に生まれ育っているのと同じです。
ジーニーは人ではありません。
アラジンも架空の人物にすぎません。
赤ちゃんが無事に産まれてくれたら何もいらないと思い母は子を産みます。
それは、裕福であろうと貧しかろうと変わらないもの考えます。
お腹の中は見えないからです。
それでも母は願います。
この子が幸せになるならば、この子の不幸は私が全て背負っていく。
産まれてからも変わりません。
子供が巣立っても変わりません。
子供が年老いても変わりません。
子供を産んだ母の1番欲しいものは、自分ではなく、子が「あぁ幸せ」って思える一瞬です。