私の家はマンションの三階。私の部屋は南向きで日当たりがいい。でも窓はずーっとカーテンが閉めてある。
だって、外の世界なんて見たくないんだもん。
少し前にお父さんが私にもう一つの窓をくれた。
それは一日中煌々と私の顔を照らす。
朝も昼も夜も関係ないとばかりに同じ光が私を照らす。
その窓と言う名のPCの中にはゲームやSNS。
知らない人と文字だけの会話。
やりとりする人の名前は多分、本名じゃないし、写真も拾った写真か加工したやつだと思うし、私だってそう。
この窓の中だけは、なりたい自分になれるんだ。
窓って名前のPCは名前の通り、ちょっとだけ覗き見はできるけれど、扉のように出入りはできない。
このままじゃダメだってわかってるけど、どうしても部屋から出られない。
SNSに新しいメッセージが届いた。
「久しぶり。」って。「誰?」って聞いたら、アオイって同級生の名前が返ってきた。
え?本物?本人だとしたら、どうして私ってわかったんだろう?お父さんもお母さんも私のアカウント知らないはずだし、個人情報がどうやってバレたのか。怖い。
とりあえず無視しよう。そうしよう。
久しぶりにパタンと光る窓を閉めた。
しわくちゃの布団にくるまって、どうしよう。どうしよう。と悩んでいたら寝てた。ぐっすりと。
この部屋に居れば安全。誰からも嫌な事言われないし。
SNSで嫌な奴いたらブロックしちゃえばいいし。
でも、アオイは気になる。
寝たからか、ちょっとスッキリした頭でもう一度、光る窓を開く。カタカタとタイピングしてアオイに話しかける「何?」コレならあのアオイじゃなくても大丈夫。私って知ってる人じゃないかもしれない。アオイなんてありふれた名前だし。
するとすぐに返事が来た。
「10分後、カーテン開けて。そしたら伝える」と。
えー!どうしよう。どうしよう。ボロい部屋着にボサボサ頭。カーテン開けたくない。
「じゃあ知らなくてもいい」と急いで返事。
その後は早く返信が来ないかとジッと光る窓を見つめる。なかなか返信が来ない。それでもジッと光る窓から離れられない。
ようやくアオイからの返信「10分たったよ」
この窓の向こうにアオイがいるの?凄いドキドキして汗が滲む。どうしよう。
怖いからまた布団にくるまって知らんぷりしようとする。今度はなかなか夢の世界に行くことができない。
気になって仕方ない。
少しだけ。少しなら。と、そっとカーテンの端っこを摘んで上げる。
マンションの前の道路にアオイはいた。
汚れた窓越しに見えたアオイはニッと笑う。開けたのがバレたみたい。そして、パクパクと口元が動く。
アオイはこちらに携帯を見せた。わけがわからないけれど、カーテンから離れて電子機器の窓を開く。
アオイから「話したよ」って。
「聞こえない」って答えたら
「じゃあ窓開けて」って
「無理」
「家行っていい?」
「無理」
「電話は?」
電話…
電話くらいならしてもいいかな?って思ってたら
「9時に電話するから」の文字。
わかったって返事はできないけど、アオイは電話かけてくれると思う。
窓はまだ開けられない。
でも随分前に充電の切れた携帯をコンセントに繋ぐ。
少し外の世界に繋がるかもしれない。
おばあちゃんは裁縫上手で、たくさんの物を作ってくれた。
幼稚園に入るときの必要な物は全部だし、マフラーや帽子の編み物も売り物みたいに可愛かったし、サイズもいつもぴったり。
おばあちゃんは、毎年、私がピアノの発表会に着るドレスを一年の大作として、縫ってくれるのが恒例。
いつもピンクや赤の女の子っぽいものばかりで、ヒラヒラのレースとか大きなリボンとかばっかりでさ。
去年の発表会の前におばあちゃんに、シックで大人っぽいドレスがいいってお願いして作ってもらったの。
おばあちゃんは紺色のドレスを作ってくれたけど、やっぱり大きな赤いリボンがベルトにつけてあってね。
いつもみたいに「ほらできた。よう似合う。」って言われたけど、いつもみたいに笑顔で「ありがとう」って言えなくて、ガッカリした顔しちゃったの。
来年からはもうおばあちゃんの手作りじゃなくて、買って貰おうって思ったんだ。
そんな事思ってしまったからなのかな。今年はおばあちゃんの手作りじゃないドレスで発表会にでる事になったの。
去年の発表会のすぐ後おばあちゃん死んじゃった。
お母さんは「お空のお星様になったのよ」って言うけど、私は違うと思うんだ。
「ほら、できた」って言う時はいつも赤い糸で玉結びして、小さなハサミで赤い糸をパチンときるの。
だから赤い星はおばちゃんが玉結びして「ほら、できた」って見せてくれてるんだよ。
スーッと静かに扉が開く音がした。そろそろ母が見舞いに来てくれる時間かとぼんやり思う。
ガサガサと音だけを聞き、起き上がる事もしないでまっすぐ天井だけをみていると、私が思う母より少し痩せて少し疲れた母が笑顔で私を覗きこむ。
母は少し早口に
「今日は、昨日より顔色が良くて良かったわ。お天気のおかげかしらね。でもこう暑くっちゃ花が痛んで仕方ないわー」
と、花瓶を片手ににまたスーッと扉を開けて出て行った。
また1人かと、天井を見つめたまま思う。
すると、私の顔を覗き込む無精髭のおじさん。
あ、父さん久しぶり。
と、声には出さず視線だけで挨拶する。
父さんは、涙脆くてすぐに泣く。今にも泣きそうな目を涙がこぼれないようにニィッと下手くそな笑顔になって、母と同じように早口で、
「あぁ、確かに顔色がいい、コレならすぐに元気になって、学校いけるぞ。あーでも、少し待った方がいいな。外は茹だるような暑さだ。夏が過ぎてから退院した方がいい。ここは天国のようだ」
と。
視界から消えてギシっと音がしたから、パイプ椅子に座ったようだ。
父は、ここが天国だって言うけれど、茹だるような暑さを知りたいし、汗をかいて暑いねっていいたい。
お医者さんも両親も命あるだけ幸せだって言うけど、本当にそうなの?
私、幸せなの?
また、スーッと扉が開いて母が花の水換えをした花瓶を見せてくれた。夏の花がふわりと香る。
そうか。夏。だから暑い。
そんな事もわからないほど長い入院生活。
私の人生の終わりも近い。
両親の当たり障りない会話を聞きながら視線を窓に移す。
四角の枠にきっちり収まる入道雲が見える。
ソフトクリームみたいって子供は言うらしい。食べた記憶無いけど、テレビでそう言ってる子供を見たことがある。
私はあの雲の段々をゆっくりゆっくり登りながら夏の暑さを感じて、暑いなぁって思いたい。
てっぺんについたら、きっと天国があるって願ってる。
天国は冷房の効いたこの部屋なんかじゃない。
でもね、
疲れていても会いに来てくれる母さん、ありがとう。
この部屋に入るためにたくさん働いてくれる父さんありがとう。
言葉にする事はもうできないけれど、母さんと父さんがいたらどこにいたって私幸せ。天国でのんびり待ってるから、ゆっくりきてね。
10代の頃は、私が死ぬ日は、夏真っ盛りの晴天で、遠くに入道雲がみえる天気の日。
テレビからは、猛暑から酷暑に変わったとか、異常気象だとかの音が聞こえている昼近くの午前中に、高いビルから飛び降りて数秒のスカイダイブをして死にたいって思っていた。
20代になると、30歳ににはなりたくないと漠然と考えるようになり、それは死ぬ事より老いる事の方が怖かったのだと思う。
しかしながら、夏の日の暑さ、陽の強さ、夏休みを期待する若者や、暑さに耐えながら働く人。木々の青々とした生命力。そんな人の日常に、飛び降りてぐちゃぐちゃになった自分の体をどこかの誰かに片付けてもらうのは忍びないと思うようになった。
だから、死ぬ方法は、人になるべく迷惑をかけない方法で。病死だったらいいなぁって考えるようになった。
なりたくないと思っていた30才は気が付かないうちに訪れた。
20代で子供を産んだから、自分の年齢を気にしなくなったのだ。気付けばなりたくなかった30代。
子供は可愛い。自分の命なんか吐いて捨てたいけれど、この子には私が必要なんだ。今のうちは。
だから、この子が私を必要としなくなったら死にたいと思う。
季節なんていつだっていい。
ただ、この子に迷惑だけはかけまいと。
それでも願う。私が死ぬ日は、夏の始まりの晴天の日だだったらいいのになって。
だって、私はそんな日に生まれてきたから。
私の子供は春に生まれたから、子供の生まれた日を祝った後に死ねたら幸せだ。