「私の理想のあなたしか、私は愛せない」
僕は心臓が早鐘を打つ中、その言葉を聞いた。
一世一代の告白。何年もの片思いを経て、やっと伝えた言葉。
君は目を伏せがちに、これで見捨ててくれるというような瞳をする。
上がりきった体温を感じながら、口を開いた。
「君の理想になってみせる」
僕が何年君を好きでいたと思っているんだ。
君の理想が高いのも、高いからこそ、大切な人が離れていってしまったことも知ってる。
だから僕は、君の為ならどんな人間にでもなれる。
君はパッと顔を上げ、呆けて僕の顔を見る。
「僕は、君が好きだ。理想の高い君が、好きだ。」
僕は言ってから、気付いた。
《理想の高い君》…これもきっと僕の、《理想のあなた》だ。
僕たちは案外、似た者同士なのかもしれない。
「………」
君は長い長い沈黙の末、口を開いた。
私は泣き叫びながら体を揺さぶってくる妹の頭を撫でる。
唐突な揺れ。
対応できずにいるうちに家は倒壊し、柱やタンスに押しつぶされ父や母は死んだ。声が聞こえないところから、隣の部屋にいた祖父と祖母も同じだろう。
私は天井の梁が落ちてきそうな妹を庇い、下敷きになった。
足の感覚が無い。腹から生暖かい何かが吹き出し、妹の顔や手が汚れた。
遠のいていく意識を必死に繋ぎ止めて、最期まで妹に触れる。
この子はまだ中学生だ。私を「お兄ちゃん」と呼びながら涙を流す姿には、まだあどけなさが残っている。
「………――。」
私は震える声で妹の名前を呼んだ。
「…突然の別れは、そう珍しいものじゃないよ」
この子が、これからも前を向いて生きていけるように。
私達に、縛られることがないように。
またあの明るい笑顔で、笑ってくれるように。
「何があっても、生きるんだ。」
私はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「おばあさんになるまで生きて、温かいベッドで家族に囲まれて死ぬんだ。」
心優しくて明るい妹なら、すぐに良い人が現れるだろう。
それを祝福できないのだけが、心残りだ。
私は最後の力を振り絞って、それを妹に伝えた。
「生きて。」
私は、私と親友と親友の好きな人しかいない教室で何本目かのポッキーを咥えながら言った。
「2人の恋物語、もう見飽きたからさぁ」
「もう付き合っちゃえよ!!」
外に出る。
これ以上家にいたくない。離婚や受験の話ばかりしている親の居る家になんて。
一体何時間口論するのか。夕方からずっと怒号が聞こえながら勉強を強いられるこちらの身にもなってほしい。
離婚するんだろうか。したら私は、お母さんの方に行くことになるだろうな。
そうしたら、引っ越すのか。今の学校にいる大好きな先生も、大切な友達も、手放さなければならなくなる。
近くの公園に入り、ブランコに腰掛ける。
…こんなに、小さかったっけ。
もし全てとおさらばすることになったら、私は生きていけるかな。
小言のうるさいお母さん。私の都合なんて考えずに、塾や勉強を強制してくるお母さん。
それは、お父さんも同じで。
空を見上げる。
絶望的な状況の中、瞬く月と星があまりにも美しくて。
似合わないほどにうっとりと、息をつく。
数分、ぼうっと真っ暗な空を見ていた。
その日はー、
私が生きてきた人生で、一番美しい真夜中だった。
「愛があれば何でもできる?」
君は、君と僕しかいない静まり返った教室で聞いた。
「何でもって?」
よくわからない質問を唐突にされるのはもう慣れた。
君は、最初から変な人だった。生きるとか死ぬとか、その手の質問が大好きで。
ある日は死んだらどうなるか。
ある日は生きる意味とは何か。
どこから思いつくのかどこで見るのか、そういうことばかり聞いてきた。
授業中は一言も話さず僕にも目を向けることすらしないのに、放課後になると饒舌に話し始める。
「殴る、盗む、殺す、犯す…とか。相手を助けるためになら、できる?私はできる。愛する人を助けるためなら、何でもする。」
答は分かっていた。君はそういう人だ。
不安定な君は、ワンピースを着て、見てと言ってくる子供のようにくるくると回る。
スカートの内、細くて白い足に青や黄色い何かが見えた。
きっとそれについて僕が聞いたら、もう二度と君が放課後、教室にいることはなくなるんだろう。
「本当に?」
「本当に。できる?できない?」
いつものようにな軽薄に話す君だけど、今日はどこか…声色に、真剣なものが混ざっていた。
「できるに決まってる。相手の命がかかってればね。」
その言葉を聞いて、君は目を見開いた。
「本当に?」
「本当に。」
僕は、愛する人を明確にして答えたから。
だから、できる。
「…わかった。」
君は間をおいて意味深に呟き、教室の窓を開けた。
確かに、今日は猛暑日。体に張り付くシャツが気持ち悪いし、熱くて湿った教室も夏ならではの匂いがする。
だけど、君は暑いのが好きだから窓を開けたりなんてそうしないはずだ。
「何で急に窓なんて………え」
無意識に漏れた、え。
君は窓枠に足をかけ、いつもどおりの爽やかな笑顔を僕に向ける。
「ねえ、命がかかってればできるんでしょ?」
叫んでいるわけではないが、君にすれば大きな声で話していた。
風が教室に入ってきて、カーテンが揺れる。汗が乾く。蝉の音が聞こえる。
「じゃあ、一緒に死んでくれる?」
僕はひとつ、息をつく。
そんな気はしていた。足についた痣、ぎこちない笑顔、軽口。
僕はそれが全部、大好きだった。
「…勿論!」
僕は恐怖なんて微塵も感じずに窓に近づいた。
「え、ほんと?」
「ほんと。君の最後の相手に選んでもらえて嬉しいよ。」
君は不思議そうに首を傾げてから、まあいっか!と言って吹っ切れたように笑った。
僕は君の手を取り、窓枠に乗り上げる。
「…あのさ、最後にいい?」
「いいよ。」
一つだけ、言っておきたいことがあった。
思えば僕はいつもこの事を考えていた。
「気持ち悪いかもしれないけど…君が終わるならその時横にいるのは、世界中を探しても僕しかいないと思ってたんだ!」
君は一瞬呆けた顔をして、何か、愛おしいものを見つめるような視線を僕に向けた。
「私も、私の最後に君がいたらいいなって思ってた!」
その瞬間、君は僕に抱きついてきた。
体に落下感を感じる。
風がシャツを吹いて、どこか涼しい。
煩いほど鳴く蝉の音に囲まれ、風に撫でられながら落ちていく。
「ありがとう!」
君は大きな声でそう言って、僕の唇に口づけを落とした。
「…うん。ありがとう!」
君には恥ずかしくて言えないけど。
これは僕達の最期に、相応しい結末だった。