【手紙を開くと】
真っ赤なポストに、白い手紙が一枚挟まれてあった。
「私宛て…?」
勿論私は一人暮らしだから、私宛て以外あり得ないけど。
手紙を出してくれるような人、誰も居ないのにと不思議に思いながら玄関の鍵を開ける。
ガチャリ。
扉を開け、買い物の荷物を机に置く。
生物や冷凍食品を先に仕舞って、気になっていた手紙を見た。白くて、透明なシールが貼ってあるだけで質素だった。
…差出人の名前がない?
「え?わっ!」
手紙を開くと、手に何かこぼれた。咄嗟に落とさないよう拾い上げる。
「…これは……」
一枚の桜の花びらが、手に踊るように乗った。
便箋を開くと、美しい文字の日本語が並んでいた。
《日本から、季節の贈り物です》
ToもFromも書かれておらず、その一行だけ。
「…誰…?」
父も母も早くに死んでしまい、親戚や友人とはメールでやり取りをしてる。誰も手紙を出すとは言っていなかったし、そもそも出すような人でもなければ字も全然違う。
でも私は心当たりがないことに不信感を抱くより先に、少し胸が躍った。
若くしてずっと海外で一人で生活している私にとって、久々の誰かとのコミュニケーションに思えた。
ふと便箋の裏を見ると、そこには日本の住所が記されていた。
私は何年も物置きの奥に仕舞われていた便箋を取り出し、文字を書く。
《ありがとう。☓☓から、季節の贈り物のお返しです。》
ToもFromも書かなかった。それが正しい気がした。
庭に出て、この季節にだけ咲く花を一つ摘む。
花を入れたら透明なシールを貼って封をした。
明日、ポストに入れに行こう。見るだけで一度も使ったことのないポストが家の近くにあったはずだ。
その数日後。また、私の家に季節の贈り物が現れた。
【約束】
「約束だよ」
そう笑った君は思ったより早く、呆気なく、死んでしまった。
もう君の棺の前で泣いていた僕じゃない。でも、今もこうして君のことを忘れられずにいる。
あの日。ひたすら蒸し暑くて、夏の匂いがした日。
君は僕に言ったんだ。まるで全ては決まっていたかのように、どう足掻いたって変えられないことのように。
「私、好きなんだ」
一緒に横断歩道を渡っているときの言葉。
主語がなくて僕が一瞬ドキッとしたのは、きっと君も気付いていた。なぜなら、君は悪戯っぽく笑ったから。
「この花が。」
君は腕の中にある一輪の花を見つめながら言った。
愛おしいものを見るような目を向けている様子に僕が見惚れてしまったのには、きっと君も気づかなかっただろう。
なぜなら、君がもう一度僕の顔を見る前に車に轢かれたから。
彼女のお墓の前に、一輪の花を添える。
「お父さーん、今年もまたその花なの?飽きちゃうんじゃない?」
僕と、妻の子。君じゃない人との子。事実、君と僕の間に恋愛関係があったかと言われれば、そんなことはないんだけど。
健やかに育っている娘が、不満そうに言う。
「約束なんだよ、この子との。」
あの日。ひたすら蒸し暑くて、夏の匂いがした日。
君は僕に言ったんだ。まるで全ては決まっていたかのように、どう足掻いたって変えられないことのように。
「私に毎年、この花を頂戴。」
何でって、僕は聞いた。君と僕は付き合ってたわけじゃない。ただお互い、一生二人でいるつもりだったってだけで。
「私、好きなんだ。」
だから、そんなことまでしてあげる義理はないと思っていた。
「この花が。」
僕はきっと、約束を守り続けるだろう。
「約束だよ」
そう笑った君の笑顔を忘れるまで。
【記録】
ジジッ…ジッ…
録音テープが回る。
俺は息を呑む。横にいる妹も、緊張した面持ちでテープを見つめている。
暫くテープがグルグルと回ったあと、酷い音質で聞き取りにくい声が流れてきた。
『……奈央、裕。』
息が止まる。顔が熱くなる。
『お母さんだよ。』
「おか、あさん…っ」
奈央が涙を零す。俺も、泣きそうなのを必死に堪えた。
『これを聞いてるってことは、多分…二人は高校生かな?三年生と、一年生。頑張ってる?』
懐かしい声。
小学三年生のあの夏から、消えてしまった声。
『えっと…記録、しとこうと思って。きっと…もう話せることもないだろうから。』
あの夏。蒸し暑い日だった。
でもお母さんは、酷く、怖いくらい冷たかった。
『…本当はたくさん話したいことがあるよ。でも、時間がないの。ごめんね。』
まって、と言いそうになる。まだ足りない。もっと聞いていたい。お母さんの声を。
『…だから、一言だけ。』
懐かしくて愛おしい声が、もう一度だけでいいから聴きたいと何度も願った声が、俺と妹の名を呼ぶ。
『奈央、裕………どうか、元気で生きて。』
それは。
若くして死んでしまった母の、最後の記録だった。
【日陰】
花が揺れる。
悠々と日の光を通す大樹の隙間で、樹の実を加えたリスが通り過ぎる。
それは、本当に穏やかな午後のこと。
子供の頃を思い出して、私は涙を流す。
まだ貴方と居たかった。また貴方と、ここで二人で歌を歌いたかった。
どこまでも続く空の下、自分たちにできないことなんて存在しないと胸を張って言えたあの日。
あの頃を愛おしく思う。戻りたいと何度願っただろう。
だがそんな日はやってこない。どうしたって、時は戻ってくれない。私達に同情なんてしてくれない。
だから私は、今日も大樹の下で。涼やかな日陰で。
貴方のことを見上げ続ける。
【羅針盤】
時はルネサンス期。そして、大航海時代。
新大陸開拓に心惹かれた幾人もの海賊達が、揃って船を泳がせた。
そんな船が、ここにも一隻。
「起きろー!!朝日が昇るぞ!!!」
見張り役の一人がそう言うと、すぐに船員がバタバタと活動を始める。
朝日がゆっくりと昇る。
「キャプテン!今日はどの方角に進みましょうか!」
キャプテンと呼ばれた男はどこか少年みのある瞳を煌めかせながら、凛とした響く声で船員全員に告げる。
今日の未知を探る方角を。
「今日は東南だ!!お前達、気分上げていけ!!」
どこまでも続く果てしない海。深く、未知で、発見と自由を与えてくれる海。
その上で今日も、人々は未来を見る。
「「アイアイキャプテン!!」」
何人もの船員がそう返事をし、これから出会える全てのものへの期待に胸を膨らませながら進路を変えた。
キャプテンと呼ばれた男はそれを満足気に見てから、船長室に戻る。
物々しく置かれた羅針盤を見つめる。羅針盤は船長室のど真ん中に設置されていた。
それは、人類が叡智を求めるために作られた道標。
羅針盤から、窓の外に目を移す。
空と波の交錯する美しい世界を眩しげに見て、希望を笑う様に口角を上げた。
「…今日も俺は、進み続けるぞ」