ストック

Open App
5/12/2024, 10:51:07 AM

Theme:子供のままで

十数年ぶりに高校時代の友人だった女性から、近況を聞くメールが届いた。
これまでまったく音沙汰のなかった昔の友人。正直に言って、返信をかなり逡巡した。
だが、よく思い出してみると、今日は彼女の誕生日だ。
誕生日を手放しで喜べない年齢にもなると、ふと子供の頃を懐かしく思うこともある。それで連絡してきたのかもしれない。
そう思い、私は誕生日の祝いと近況を伺う文章を打ち込み、返信した。

すぐに彼女から返信がきた。久しぶりに話してみたくなったのだと言う。
何度かメールをやり取りするうちに、彼女から送られた一文がチクリと刺さった。
『昔と変わっていないようで安心したよ』

現在の私は、彼女が知る私とはまったく違う。
多趣味になった。フットワークが軽くなった。一人の時間を楽しめるようになった。
空気を読んで振る舞うようになった。性悪説を信じるようになった。高校を卒業する程度の時間を要しても、人を信用することはできなくなった。
良くも悪くも、私はもう子供のままではない。

十数年、何も変わらないでいることの方が難しいのではないだろうか。
メールの先にいる彼女も、きっと私の知る彼女ではなくなっているのだろう。
そこまで考えて、ふと気がついた。
子供の頃を懐かしむのは、年月と経験を積み重ねる過程で失ったものを懐かしんでいるのかもしれないと。

『そのうちに会おうね』とメールを打ったが、きっとその日は来ないだろう。
会ってしまったら、子供の頃の自分に会えなくなってしまうだろうから。

5/7/2024, 8:27:34 AM

Theme:明日世界が終わるなら

「明日世界が終わるならどうする?」って?
別にどうもしないよ。
『今日』は同じ日のない、かけがえのない日だ。
そして人生はそんな『今日』の積み重ね。
1日いちにちが変わらず平穏に過ぎていくこと、それが私にとって大切なことなんだ。
だから、明日が最後の日になるとしても、今日も変わらず静かに生きるだろうね。

でも、強いて何か違うことをするとしたら、私から君に会いに行くかもしれない。
君とこうやって他愛もない話をする時間は、変わらない私の平穏に彩りを与えてくれるから。
最後の『今日』を少しは彩りたいと欲張ってしまうかもね。

5/1/2024, 8:19:17 AM

Theme:楽園

レースカーテンの隙間から柔らかな陽光が射し込んでいる。
窓を開けると、春先の柔らかい青空が広まっていた。今日も天気は快晴だ。

部屋の空気が入れ替わると、私は窓の鍵を閉めた。
しっかりと鍵がかかっていることを確認すると、リビングへと向かう。
彼女の部屋にも日の光をいれてやらないと。
彼女の部屋にかかったタオルケットをめくると、既に彼女は目を覚ましているようだった。
白と銀色のふわふわとした羽毛とクリっとした瞳をもつ文鳥。彼女は私の家族だ。

「おはよう。今、扉を開けるからね」
ケージの扉に手を掛けると、彼女は待ってましたとばかりにリビングを飛び回る。

ここは彼女の楽園だ。
ケージの掃除をしながら、ふとそんな考えが頭を過った。
水も食べ物も安全な寝床もおもちゃも、彼女が幸せに暮らすのに必要なものはすべて揃っている。
ケージから一歩出たら、彼女にとっては広い外の世界が向かえてくれる。
今日も彼女は探検に余念がない。最近はクッションの裏側を秘密基地にしているようだ。

子供の頃、私は鳥かごの鳥は可哀想だと思っていた。
空はこんなに広いのに、その広さを知らないままだから。
でも、大人になった今は別の考えをもつようになった。
空を知らなければ、空に焦がれることはない。
人間から見れば小さなケージと決して広くはないリビングの一室。
それが彼女にとっては世界のすべてで楽園なのだから。
それは不幸なことではない。

そうは思っているのだけれど、こんなに天気のよい日にはふと彼女に尋ねてみることがある。
「ねえ。窓の向こうの世界に楽園を探しに行きたいと思う?」
彼女は応えるように囀りを返してくれる。
私はそれを否定だと受け取って、今日も彼女とこのリビングで一緒に過ごす。

4/27/2024, 12:32:25 PM

Theme:生きる意味

「『生きる意味』?そんなの、個の存続のための動機づけだよ。すべての生物は遺伝子を保持するための乗り物なんだ。人間だって例外じゃない。『生きる意味』を信じることで死なせないようにする、遺伝子の戦略の産物に過ぎないよ」

彼の人間嫌いはいつものことだがこれまた随分と辛辣だ。私は思わず苦笑してしまった。

「ふーん…。で、 その自己保存のための戦略は私達にも機能してるの?」
「もちろん」
彼は頷いて続ける。

「厄介なことに人間は自ら生きることを放棄する可能性がある。遺伝子にとってそれは困るんだ。個、つまり乗り物がなくなってしまったら、遺伝子は次の世代に自分を伝える機会を失ってしまう。遺伝子の終わりだ。だから、自己破壊をしてしまう乗り物に乗った不運な遺伝子は、それを防ぐために『生きる意味』という幻想を造り出した。『生きる意味』に縋らせることで踏みとどまらせるんだ。高尚なものなんかじゃない。ただの鉄とカーボンの鎖の塊を守るための戦略に『意味』というレッテルを貼っただけさ」

吐き捨てるように言う彼に、私は笑いを堪えることができなくなってしまった。彼がじろりと私を睨む。

「何がおかしいんだよ?」
「ごめんごめん。でも、戦略でも幻想でも『生きる意味』を信じることが人間らしさの証なんじゃないかな」

彼は面白くなさそうに鼻で笑って言う。

「だから、『生きる意味』を信じないと生きていけないこと自体が、人間って生き物が欠陥品だってことの証明なんだよ」
「欠陥品かあ…確かにそうかもね。でもさ、だから面白いんだと私は思うよ。欠陥があるから、私達はこうやって『生きる意味』をぶつけあって、意義とか目的を探そうとしてるんじゃないかな」
「『生きる意味』の押し付け合いは戦争や差別に発展する。欠陥品のやることだ」
「それは間違ってないんだろうね。『生きる意味』に苦しんで、悲しんで、不幸になる人がいるのも事実だし。でも…」

私は少し言葉を選ぶ。

「全ての『生きる意味』が悲しい結末にしかならないとは限らないんじゃないかな。『生きる意味』に縋って生きようとして、精一杯、生を謳歌して。幸せだ、って思う瞬間だってあるよ」

彼は忌々しげに笑う。

「随分おめでたいね。それこそ欠陥品だ」

私は笑って返す。

「欠陥品で結構。欠陥品だから『生きる意味』を発明して、『生きる意味』のために全力で生きられるんだよ。欠陥品は幸せだよ、きっと」
「ふん。まあ、いいさ。僕は『生きる意味』なんてものに興味はない。でも」

彼はそっぽを向いて小さく呟く。

「『生きる意味』を探そうとして、必死にもがいてる君を見てるのは、結構面白いよ」

4/25/2024, 11:11:51 AM

Theme:流れ星に願いを

星が降る丘で、私は願いをかけた。
「どうかあの人が自由になれますように」と。
ベッドに縛り付けられているあの人の姿が脳裏に浮かぶ。

私が病院についたとき、あの人はベッドで静かに眠っているように見えた。
医師の話では、体は生きてはいるがもう目が覚める見込みはないという。
私は毎日毎日あの人の病室に足を運んだ。
朝も夕も、あの人はベッドでずっと天井を見上げているだけだった。

降り注ぐように落ちてくるお星様。
どうか、あの人を自由にしてあげてください。
あの人の魂が自由に空を駆け巡れるように。

Next