Theme:待ってて
私は小鳥と一緒に暮らすことが夢だ。
心の病を患って、生活を維持することさえ難しい今は手の届かない夢ではあるけれど。
一度壊れてしまった心はそう簡単には元に戻らないそうだ。
薬を服用しているだけでは治らない。
自分の過去に向き合ったり、考え方をより柔軟にする訓練をしたり…完治することはなく落ち着いた状態を保つことが目標だという。
また、再び心が壊れてしまう可能性、つまり再発率が非常に高いそうだ。
私にとっては、それは死を宣告されたに近いものだった。
もう以前のように仕事をすることはできない。
もう今までの価値観で暮らしていくことはできない。
今まで積み上げてきたものはすべて崩れてしまった。
再発に怯えながら、今の自分を受け入れて新しい価値感を積み上げていくしかない。
これから、生涯をかけて。
絶望した私を救ってくれたのは、ホームセンターで出会ったキンカチョウだった。
小さな瞳でしばらくこちらを興味深そうに見ていたが、やがて飽きてしまったのか粟の穂を啄んだり、機嫌よさそうにめぇめぇと独特な囀りを披露している。
奔放なその姿に、思わず頬が綻んだ。
やっぱり、私は鳥と暮らしたい。
すぐには無理だろうけど、きっといつか一緒に暮らしたい。
そんな目標を、希望を呼び起こしてくれた。
待ってて、未来の私。
貴方が小鳥を迎えられる日が来るように、諦めないから。
時間はかかると思うけど、どうかその日を待ってて、信じていて。
Theme:誰もがみんな
誰もがみんな、裏切りと無縁ではいられない。
誰かから裏切られることからも。誰かを裏切ることも。
「そんなことないよ。私は人生で裏切られたことは多いけど、人を裏切ったことはないもん」
私の『自称』親友は笑って言う。
……そうか、彼女は覚えてないんだ。だから、そんな風に笑えるんだろう。
私は彼女のそんな無神経さ、綺麗な言葉で言えば無邪気さが羨ましい。
人を裏切ることは別に難しいことじゃない。詐欺やら強請やらそんな大事でなくても、人は何かを、誰かを裏切っている。
例えば、両親の期待。
例えば、社会の期待。
例えば、友人の期待。
すべての期待に応えられる人などいないだろう。
でも『期待に応えられなかった』事実は『相手への裏切り』として私の心に陰を落とす。
彼女には自分の陰が見えないのだろう。
「そうだね。貴女は誰かを裏切るような人じゃないもんね」
私は笑顔で心にもないことを言って自分の心を騙す。
……これも友人への、そして私への裏切りだ。
自分は「いい人」であって、傷つけられることはあっても誰かを傷つけることはない。
そう信じていられる彼女が羨ましい。
誰かを裏切ってもそれを見ないこと。
それが強く生きるための条件なのかもしれない。
Theme:どこにも書けないこと
書籍、新聞、ネットの記事、SNSのほんの些細な一言。
すべての文章は誰かに読まれるために存在している。
日記だって自分で再び読み返せるように、また、出来事や気持ちを忘れてしまわないように存在している。
だから、私は自分の罪をどこにも書くことはできない。
人に知られたくない。
思い返したくもない。
なかったことにしてしまいたい。
でも不思議なもので、私の罪を誰かに告白したいという気持ちがある。
この罪を無かったことにすることは出来ないこともわかっている。
だから、ここで告白しようと思う。
これを読んでいる顔も名前も知らない貴方に、私の懺悔を読んでほしい。
私の罪、それは『裏切り』だ。
私の両親は共働きで、小さな頃の面倒は祖父母がみてくれていた。
特に祖父は私のことを可愛がってくれ、何かすればその度に褒めてくれた。
幼い私は祖父に褒めてもらいたくて、本や新聞を読んだり自宅の植物や飼い犬の世話を手伝った。
今の動植物が好きな趣味嗜好や、文章への興味は祖父のお陰で培われたものだ。
そんな祖父が病気で倒れ、もう家に帰ることはできなくなってしまった。
最初こそ何度も見舞いに行っていたが、だんだんその頻度は下がっていった。
祖父の状態はだんだんと悪化し、余談を許さない状態になっていた。
それでも私は祖父の見舞いには行かなかった。
ある時、電話が入った。
祖父が危篤状態だと。
私は遠方におり急いで帰ったが、死に目に会うことはできなかった。
私に惜しみ無い愛情を注ぎ、たくさんのことを教えてくれた祖父。
それなのに私は何も返さずに、愛情を一方的に享受するだけだった。
与えられたものを返さずに、祖父を裏切ってしまった。
この罪は一生消えることもないし、償うことも出来ない。
そして、浅ましいことに、私は自分の薄情さを隠したいがために、この事は誰にも明かしたことはない。
今後もずっと隠し続けるのだろう。
私の長々とした懺悔を最後まで読んでくれた貴方に感謝したい。
ありがとう。
Theme:時計の針
静かな部屋に響くのは、カチカチという時計の秒針の音と、カリカリとペン先が紙の上を滑る音だけだ。
「……」
ふと顔を上げると、窓の外はすっかり日が落ちていた。昼食摂らないまま夕食の時間になってしまったようだ。昼食どころか朝から何も食べていないのに、空腹感はまったくなかった。
それならそれで都合がいい。食事を摂っている時間も惜しい。
時計の針に急き立てられるように、僕は再び紙にペンを走らせていく。
「……!」
不意にずきりと痛んだ胸に手を当てて顔をしかめる。心臓の鼓動に合わせて痛みが増すようだ。胸に爪を立て、歯を食いしばって痛みを堪える。
こんなの、いつものことじゃないか。痛みにかまけている場合じゃない。
僕に残された時間は、あと僅かなのだから。
痛みに耐えながら、ペンを動かし続けた。
「……よし、これでいい」
書き上げた書類を、今度は丁寧に折り畳んでいく。皺ができないようにそっと四つに畳んだそれを封筒に入れて封をし、宛名を書く。
自分がこの世から消えた後に彼女に届けばいい。ペンを握る手に迷いはなかった。
これで準備は整った。あとはただ『その時』が来るのを待つだけだ。
カチカチと規則正しく時を刻む針の音に耳を傾けながら、僕はペンを置いて、ただ静かにその時が来るのを待ち続けた。
さすがに集中しすぎたためだろうか。体の力が抜けて強い眠気に襲われる。僕はそのまま机に突っ伏した。
「……」
だんだんと意識が遠のいていく。心地良い感覚に身を任せているとふと気がついた。
今が『その時』なんだって。
「……さよならも言わずにって怒られちゃうかな」
そんな呟きを残して、僕の意識は闇に堕ちていった。
Theme:1000年先も
少し昔に流行った「教科書を読み直す」ブームに乗って、私は喫茶店で歴史の教科書を読んでいる。
日本史も世界史も、太字で書かれているのはどれも争いの記録ばかりだ。少しうんざりしてしまう。
運ばれてきたコーヒーを口に運びながら古いテレビに目をやると、某国間での戦争の光景が映し出されていた。
やれやれ。同族同士でこんなに露骨な殺し合いを飽くことなく続けている生物は人間くらいなものだろう。
イデオロギーの違いや資源をめぐる争い、国家間の対立などお題目はご立派だが、やっていることはただの共食いと変わらない。人間は特別な存在などではなく、むしろ出来損ないの生物なのだろう。
ま、私もその人間には変わりない。
こんな悲惨な状況がテレビに映し出されているというのに、呑気にコーヒーなんて飲んでいるのだから。
ふと「1000年先も人類はやはり戦争をしているのだろうか」という疑問が頭を過った。
ページを繰る手を止めて少し考えてみる
私の結論は「NO」だ。
人間は、技術は発達しすぎてしまった。次に世界規模の戦争が起きたら、人類も文明も跡形もなく吹き飛んでしまうだろうから。
そしてその戦争が起きるまできっと1000年もかからないだろう。
人間という種はきっともう寿命なのだろう。過去から学ぶことを忘れ、進化することを止めてしまった。
進化をしない生物。それは完成形であり、後は朽ちていくのを待つだけだ。
私はあらゆる戦争の記録が載った教科書を読むのを止めた。滅びゆく種について学ぶことに意味を見出だせなくなってしまったからだ。
会計を済ませて喫茶店を出ていく。
私が去った後のテーブルには、冷めてしまったコーヒーと読みかけの歴史の教科書が残された。