Theme:たくさんの想い出
「いつまでこんな争いを繰り返すんだ」
繰り返される戦争やテロリズムに、俺は心底嫌気がさしている。
歴史を紐解けば、人間はずっと同じことを繰り返していることがわかる。
最も、歴史書なんて読まなくてもこれだけ出撃回数が増えていれば、嫌でもそれがわかってしまう。
目を閉じると、思い出されるのは仲間や敵兵の最期ばかりだ。
俺の思い出の大半は死で埋め尽くされている。
…いっそ、もう軍なんて辞めてしまおうか。
戦いからも世界からも離れたところで、独り静かに暮らそうか。
そう何度考えたかわからない。
でも、俺にはそれは許されない。
仲間たちとのたくさんの想い出、彼らが生きた証を放り出して独り逃げ出してしまうことは、彼らの遺志や存在をも忘却の中に埋もれさせてしまうことになるから。
だから、明日も明後日も、俺は戦場に立つ。
死の思い出がどれだけたくさん積み重なろうとも。
Theme:冬になったら
コートを着て外出する日が増えてきた。もう、冬が近いのかもしれない。
冬になったら、今年もまた花を咲かせてくれるだろうか。
彼女から貰った、クリスマスローズが。
彼女は花が好きだった。
病室の窓から見える公園に咲く、四季折々の花をいつも眺めていた。
彼女が喜んでくれたらと、俺も見舞いに行くときはいつも季節の花束を持っていった。
行きつけの花屋の店員には、さぞ花が好きなんだろうと思われていたかもな。
見舞いに鉢植えは縁起が悪いからといつも切り花を持っていっていたが、きっと彼女は鉢植えの花が欲しかったんだろうと思う。
クリスマスローズの世話をしながら、ふとそんなことを思った。
こうやって日々の成長を楽しむことができるんだから。
彼女が亡くなったのは冬の日だった。
葬儀の帰り、いつもの花屋につい足を向けてしまった。
そこで目を惹いたのがクリスマスローズだった。
「冬は花が少なくなって寂しい」と彼女はいつも言っていたから。
俺はそのクリスマスローズの鉢を購入し、彼女の写真の隣に飾った。
冬に咲く花が、彼女の元にも届くといいなと思いながら。
形見分けに貰った彼女の植物図鑑には、クリスマスローズの栽培方法も載っていた。
クリスマスローズは多年草で、上手に育てれば翌年も花をまた咲かせてくれるらしい。
今年も冬になったら、また花を咲かせてくれるだろうか。
Theme:秋風
暦の上では夏はとうに終わり、涼しいと感じる日も増えてきた。
まだ気温の上下は大きいけれど、風は秋風と呼ぶのに相応しい冷たいものになってきた。
前日が暖かかったので油断した。
空は晴れ渡っているが、秋風が木の葉を巻き上げながら通りすぎていく。
腕に直に当たる風は身体の芯まで冷やしていくようだった。
早足で自宅に向かう途中、公園の日陰に真っ赤な彼岸花が咲いているのを見つけた。
何故だろうか。私は彼岸花を見ると恐怖に似た気持ちを抱く。
彼岸花。別名、死人花。
「彼岸」という言葉もどことなく死を連想させる。
私は赤い花から目を逸らすと、逃げるように公園から離れた。
焦燥感に似た気持ちが私の目を眩ませた。
気がつくと、私の身体は宙を舞っていた。車と衝突したと気がついたのは、道路に倒れてからだった。
寒い。
この寒さは秋風のせいなのだろうか。それとも、私の中の温かい血液が流れ出しているからだろうか。
ふと、秋風が青紫の花を揺らしているのに気がついた。竜胆の花だ。
まるで倒れた私を見て笑っているかのように、風に揺られている。
そういえば、竜胆の花言葉には「苦しむあなたは美しい」なんて怖いものもあったっけ。
そんなことを考えている内に、私の目の前は真っ暗になってしまった。
Theme:スリル
俺は子どもの頃から冒険者になろうと決めていた。
生まれそだった村は平和だったが、俺にとっては退屈だった。
時おり村を訪れる冒険者の話しはスリルに満ちていて、毎日がとても刺激的に思えた。
俺は16歳になると家族や友人が引き留めるのを無視して、冒険者として旅に出た。
目的はもちろん刺激的な毎日だ。
旅先で知り合った他の冒険者達とパーティを組んで、魔物の討伐をしたりダンジョンでお宝を探し求めたり。時には随分と無謀なこともしたこともあったけれど、俺はそのスリリングな生活に満足していた。
ある日、長い間パーティを組んでいたプリーストから告白され、俺たちは生まれ故郷に戻ってささやかな式を上げた。
子どもができたことをきっかけに俺たちは冒険者を辞め、家族で静かに暮らすことを選んだ。
正直言って、またあのスリル溢れる冒険に出たいと思うこともある。
だけど、それ以上に今の穏やかな生活が続くことを願っている。
たまに村に訪れる冒険者の話を聞くことが、僅かに残るスリルを求める心を満たしてくれる。
Theme:飛べない翼
小学生の頃、私の通っていた小学校では理科の授業の一環として蚕を飼っていた。
当時の私は虫が大好きで、蚕の幼虫達が一心不乱に桑の葉を齧るシャキシャキという音を聞きながら、飽きもせずにその様子を眺めていたものだった。
やがて蚕の幼虫の色が少し黄色がかって来ると、お菓子の箱に仕切りを入れて小さな部屋をたくさん作ったスペース(マブシというらしい)に移し、彼らが繭を作るのを待つ。
無事に全ての蚕が繭になった後、理科の先生からクラスに告げられた言葉は衝撃的なものだった。
「蚕の繭を茹でて、絹糸を取ります」
蚕を可愛がっていた児童は少なくなく、ショックを受けているようだった。
その翌日から、繭になった蚕がいなくなるという事件が相次いだ。
先生から聞かれても、どの児童も何も答えなかった。
そして、蚕行方不明事件の一端を私も担っていた。蚕の繭を家に持ち帰ったのだ。
夏休みに家族旅行に行く民宿の途中に桑の畑があったはずだ。そこの農家の人に事情を話して桑の葉をわけてもらおう。そうすれば、蚕たちも無事に成虫になれるだろう。
今になって考えると幼い考えだが、当時の私は蚕から絹糸を取るために茹でて殺してしまうことは受け入れがたいことだった。
だが、私が持ち帰った蚕の繭はあっさりと両親に見つかってしまった。
父は教師をしており、私を叱った後、どうして蚕を成虫にすることがないのか教えてくれた。
確かに蚕の繭を持ち出して適切に管理すれば、カイコガの成虫になる。しかし、蚕は人の手がなければ生きていけない「家畜化された昆虫」で、自力で餌を取るどころか成虫は餌を食べることさえできないという。脚も羽も退化していて飛ぶことすらできない。
成虫になっても飛ぶことも出来ずに10日程度でただ死んでしまうのだそうだ。
蚕が可哀想だ。人間はなんて身勝手なんだろう。
泣きながらそんな風に考えていた。その考えは父にはお見通しだったようで、こんな風に言われたことを今でも覚えている。
「今日の晩ごはんに食べた肉だって野菜だって、家畜や人間が食べやすいように人工的に手を加えたものだ。蚕だって同じ人間が生きていくために家畜化された昆虫だ。蚕だけ特別扱いできないだろう」
私は一晩泣き明かした翌日、蚕の繭を教室に戻した。
しばらくして、先生の手によって蚕の繭は持ち去られ、更にしばらくして絹糸のサンプルを持ってきた。それは蚕が暮らしていた箱の代わりに置かれた。とても綺麗な糸だと思ったことを覚えている。
最近になって、初めてカイコガの成虫の画像を見た。
決して飛べないその翼は、やや透き通った白い色をしていて雪のように美しく、そして儚く思えた。