ストック

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Theme:飛べない翼

小学生の頃、私の通っていた小学校では理科の授業の一環として蚕を飼っていた。
当時の私は虫が大好きで、蚕の幼虫達が一心不乱に桑の葉を齧るシャキシャキという音を聞きながら、飽きもせずにその様子を眺めていたものだった。

やがて蚕の幼虫の色が少し黄色がかって来ると、お菓子の箱に仕切りを入れて小さな部屋をたくさん作ったスペース(マブシというらしい)に移し、彼らが繭を作るのを待つ。
無事に全ての蚕が繭になった後、理科の先生からクラスに告げられた言葉は衝撃的なものだった。

「蚕の繭を茹でて、絹糸を取ります」

蚕を可愛がっていた児童は少なくなく、ショックを受けているようだった。

その翌日から、繭になった蚕がいなくなるという事件が相次いだ。
先生から聞かれても、どの児童も何も答えなかった。

そして、蚕行方不明事件の一端を私も担っていた。蚕の繭を家に持ち帰ったのだ。
夏休みに家族旅行に行く民宿の途中に桑の畑があったはずだ。そこの農家の人に事情を話して桑の葉をわけてもらおう。そうすれば、蚕たちも無事に成虫になれるだろう。
今になって考えると幼い考えだが、当時の私は蚕から絹糸を取るために茹でて殺してしまうことは受け入れがたいことだった。

だが、私が持ち帰った蚕の繭はあっさりと両親に見つかってしまった。
父は教師をしており、私を叱った後、どうして蚕を成虫にすることがないのか教えてくれた。
確かに蚕の繭を持ち出して適切に管理すれば、カイコガの成虫になる。しかし、蚕は人の手がなければ生きていけない「家畜化された昆虫」で、自力で餌を取るどころか成虫は餌を食べることさえできないという。脚も羽も退化していて飛ぶことすらできない。
成虫になっても飛ぶことも出来ずに10日程度でただ死んでしまうのだそうだ。

蚕が可哀想だ。人間はなんて身勝手なんだろう。
泣きながらそんな風に考えていた。その考えは父にはお見通しだったようで、こんな風に言われたことを今でも覚えている。

「今日の晩ごはんに食べた肉だって野菜だって、家畜や人間が食べやすいように人工的に手を加えたものだ。蚕だって同じ人間が生きていくために家畜化された昆虫だ。蚕だけ特別扱いできないだろう」

私は一晩泣き明かした翌日、蚕の繭を教室に戻した。
しばらくして、先生の手によって蚕の繭は持ち去られ、更にしばらくして絹糸のサンプルを持ってきた。それは蚕が暮らしていた箱の代わりに置かれた。とても綺麗な糸だと思ったことを覚えている。

最近になって、初めてカイコガの成虫の画像を見た。
決して飛べないその翼は、やや透き通った白い色をしていて雪のように美しく、そして儚く思えた。

11/11/2023, 11:22:21 AM