トントントンツーツーツートントントン
単純な機械音を、映画の中の男は操っていた。
「モールス信号ってやつですね」
「このトンとツーの組み合わせでアルファベットにするんだっけ?日本語でもできるのかな……」
ふとした疑問をつぶやくと彼はふむ、と考えたようだ。
「五十音、濁音、半濁音、拗音合わせて100以上あるのと、アルファベットを流用しても一文字表すのに子音と母音で2つ必要ですからね」
「それ聞いただけで面倒そうってのはわかった……」
彼が何を言ってるか半分もわからなかったが、モールス信号と日本語の相性があまり良くなさそうなのだと感じた。
「一応和文モールス信号もあるそうですよ」
「送信する方も受信する方も大変そう」
モールス信号は光でも表すことがあるらしい。音に頼らないのは便利かもしれないが、チカチカ光ってもおそらく私の頭では理解できないだろう。
「暗号って難しいね」
「まあ戦時中でも使われたものでしょうし、簡単に伝わったら機密事項には使えませんよね」
よいしょ、と言いながら彼は私を膝の上に乗せる。そして、首元に顔を寄せてクンクンと鼻を鳴らした。
「……ワンちゃんみたい」
「伝わりませんか。モールス信号よりずっとわかりやすいと思うのですが」
こんな関係になっても敬語を崩さない彼が自分に向ける信号なんて。
「……わかんないから、言葉で言って」
「……行動を伴ってもいいのなら」
映画の男がその後どうなったのか、私はその後を見られなかったからわからない。
ただ、彼の手が自分より大きいことをその時改めて思い知った。
【信号】
たしかに彼女は何かを言いかけた。
しかし、はくはくと動く口は言葉を紡ぐことはなく、彼女は目の前から身体を残していなくなってしまった。
「どうして、」
思わず口にしたのは自分の方で。彼女の顔は一切動くことはなくて。
「どうして、あなたは、」
その先を言いかけて、唇を噛む。もう、この言葉を放っても彼女は受け取ってくれないから。
ごめんねも、好きも、もう言えない。
後悔が涙になって頬を伝う。ぼたぼた流れるそれは、彼女の顔を濡らしていく。それでも彼女の瞳が見えることはなかった。
自分の弱さが原因と分かっていても、彼女の手を離して歩むことなど到底できないと思った。
【言い出せなかった「」】
内緒だよ。
誰にも言っちゃダメだよ。
こういうの、トップシークレットっていうんだって。
「好きだよ」
耳に囁く声は、頭の先をじんと痺れさせた。
「私も」
微笑みながら頬ずりすると、彼はぎゅうと抱きしめてきた。
「今日は無視してごめんね」
「いいの、お仕事だもの」
私たちは政略結婚だった。でも、仲良くはできない。私たちの国民たちはそれほど多くの血を流してしまったから。どちらかの愛が表に出れば、裏切り者と糾弾されてしまうだろう。
愛を示してはいけない。我々が愛しているのは領民だから。
愛を残してはいけない。我々が愛すべきはこの土地だから。
「赤ちゃん、欲しいんだけどな」
「もう少し、タイミングをはからないとな」
くすくす、と鼻をこすりあいながら囁きあう。すべてを捨ててもいいと思うような相手だけど、相手のすべてを捨ててほしいとは思わない。そんな気持ちから始まった内緒の結婚生活。
「君に早く僕を刻みつけたい」
「もうとっくに傷だらけだよ」
互いが触れるのに唯一許された鳥籠の中で、私たちは鳴き声をさえずりあった。
【secret love】
紙の擦れる音がやけに響く。
同時にペンが走る音が小気味よく聞こえる。さながら楽器を奏でていようだと感じた。
「……ひっどい点数だな、受験生!!!」
実際はただの採点なんだけれど。
彼女のしかめた顔がやけに面白くて、笑いを堪えていたら怒られた。
「夏休みが終わって!受験に向けてあと何ヶ月だと思ってんの!?やる気あるの!?」
「ないねぇ」
「話にならない帰る」
「まぁまぁ落ち着いてください」
その瞬間、彼女は参考書を丸めて頭を引っ叩いてきた。
「誰のせいでこうなってると思ってる!!」
「女神が救ってくれると信じています。ラーメン。」
十字を切る真似をすると大きな舌打ちをしてもう一度参考書で引っ叩いてくる。地味に痛い。
「……私と同じ学校行きたいなら血反吐吐くわよ。」
「俺と一緒におちてくれないの?」
「向上心のない人はイヤ」
女神は祈りを捧げてもそっけない。常に上を向く彼女はずっと前進し続けるのかもしれない。そろそろ腹を決めて後ろをふらふらする生活を改める時か。
「私だって受験生よ、せめて並びなさい」
女神のありがたい御言葉に、俺はソーメンと呟き真面目に十字を切った。
【ページをめくる】
「プール入りてぇえええええ!!!!」
住宅地のど真ん中から心からの叫びが聞こえた。
そっと窓から外を伺うと、近所の小学生がわいわい言いながら下校しているところだった。
「熱中症になる!プール!プールにしよう!!ランニングとか無理!!!」
「こんだけ暑いならプールにしてほしいよなー!」
小学生特有のクソデカボイスが住宅地に響く。もう少し静かにしろ。
俺がガキの頃はもうちょっとまとも……いや、そうでもないな。ガキの頃公園のフェンスとか壊したし、なんだったら当時の俺はかなりクソガキだな。
「あーあ。夏休み終わっちゃった」
がっかりとした声が住宅地に響く。
「おれ終わってよかったよ」
「えー!?」
不服そうな友人に対して、にっこりと笑みを浮かべて続けた。
「だってお前と毎日学校で遊べるじゃん」
「一緒にSwitchしたいから学校休みの方がいい」
俺はいつからこんな友情が育めなくなったんだろう。あの頃は毎日が違ってキラキラしていて、どんよりした空気など全く感じなかった。
年をとって、あの夏に忘れてきてしまったのだろうか。
……探しに行けるのだろうか。
少し悲しくなったところで、ふと小学生たちと目が合った。
合ってしまった。
……はい。どうも、はい。警察ですよね?ご苦労様です。……いえ、不審者じゃないです。断じてないです。前回も通報……はい、されました。されましたけれども。2回目ですけれども。不審者じゃないです。男の子2人見てただけ……え、片方は女の子?いえ、ロリコンじゃないです。断じてロリコンじゃないです。本当です。ショタコンでもないです。ボインなお姉さんが好きなんです。胸派です。何言わせてるんですか。本当です。本当なんです。お巡りさん信じてください。
【夏の忘れ物を探しに】