たぬたぬちゃがま

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8/25/2025, 10:20:24 AM

彼女を追っていたらこんなところまで来てしまった。
彼女は今なにをしているんだろう。どこに、という感情はだいぶ前に無くなった。だって、追っていればいずれ追いつくはずだから。
彼女が歩いたであろう道を歩く。見たであろう街を見つめる。彼女が好きそうな店を見て、反応を想像する。
あぁ、会いたいなぁ。
会った後のことは何度もシミュレーションした。あとは会うだけ。君が逃げたくて逃げているわけじゃないのはわかっているから。

大好きだよ。愛してる。
そう言いながら抱きしめられたら、誰も自分たちを知らない街でそんなことができたら、きっとみんなが祝福してくれる。
祝福の中で、君は僕に抱きしめられるんだ。
だから、追いつくまで、もう少し、待っていて。



【見知らぬ街】

8/24/2025, 7:11:04 AM

ごうごうと雨が降る中、遠くからガラガラと音がする。
彼女は布団を頭からかぶって窓越しに外を見つめていた。怖がっているのかと覗き込めば、わくわく、と言わんばかりに目を輝かせていた。
「雷だよ……!」
「あ、あぁ、うん」
「光ってるよぉ!」
「…………」
なにが彼女の琴線に触れたかわからないが、電気の圧倒的質量に心奪われているのは間違いない。子供向けアニメに出てくる電気ネズミのようだと思った。
「外行きたい」
アニメの電気ネズミと同じことを言い出した。それならば返答はネズミの飼い主と同じく、ひとつしかない。
「ダメです」
「なんで!」
「大雨警報出ているからですよ、天気予報見てました?」
はぁ、とため息をつくが、彼女は諦めが悪かった。
「ベランダだけ!ちょーっと出るだけ!」
「ダメです。ここマンションですから、地面にいる時より危険なんです。ダメです」
前世は雷に近い生き物だったのかもしれない。電気ウナギとか、カモノハシとか、案外植物なら稲とか。
ぷーっと不服そうな彼女にダメ押しでいけませんよ、と答えると、渋々窓越しに鑑賞することで妥協したらしく外をじっと見つめた。
横顔はきらきらと輝くようで、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のようだと感じた。
「予報だと、この後もっと近くで落雷があるそうですよ」
ぽつりと呟いただけのつもりの言葉に、彼女はパァッと顔を輝かせると、防水のアウターやらを持ってこようと立ち上がる。
「外はダメです」
その言葉を聞いた途端に嫌そうな顔をむけてくる彼女。どれだけ雷が好きなんだ、彼氏を前にしているというのに。
自然現象に嫉妬しても仕方ないとわかっているが、彼女を布団で包んで逃げ出さないよう優しく抱きかかえた。



【遠雷】

8/23/2025, 7:15:05 AM

真夜中と夜明けの境目。日の光を感じない程度の明るさを空に感じる。この黒の中に少し青を混ぜたような色をMednight Blueというらしい。
彼女を起こさないようそっとベランダに出て、空気を吸う。少し湿気の混ざった、夏の味がする。
あぁ、楽しい夜はもうおしまい。そろそろ夜が明けて朝になる。太陽がじりじりと光と熱を振り撒く表の時間だ。
かちり、とタバコに火をつけ、肺に煙を送る。ぼんやりと灯る火種がより赤く主張した。
「ベランダの喫煙は規約で禁止ですよー」
寝たと思った彼女はまだ起きていて、するりと俺の隣に寄り添った。自分は許されていると確信した動きが、可愛くもあり苛立たしくもある。
「いいんだよ、こんな時間に洗濯なんかしないだろ」
「夜干ししてる人がいるかもしれないじゃない」
ふふふ、と笑いながら棒付きの飴を取り出し、ぺりぺりと包装紙を剥がす。ぺろりと飴を舐める姿は先ほどの行為を思い出させた。
「あなた、蛍みたいね」
彼女が飴を舐めながらタバコを指差す。この灯りだけで蛍と言っているのは、彼女にしては随分安直に感じた。自分自身、蛍のように人に好まれるような人柄でも人生でもないのだが。
「まあ見た目だけはチヤホヤされてるから似てるかもな」
「あら、そんな理由じゃないわ」
カリッと鳴ったのは彼女が飴を軽く噛んだ音だ。
彼女は飴を口から出すと、顔を近づけて目を覗き込んできた。咄嗟に火傷させないようタバコを口から離す。
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。ってね。聞いたことない?」
くすくす笑って顔を離す。彼女が言いたい意図がやっとわかって顔が熱くなる。
「さっきまで蝉みたいにうるさかったくせに……」
「あら、蝉は夜泣かないわ」
苦し紛れに言い返した言葉も、あっさりと負けてしまう。これが教養か、と遊んでばかりの学生時代の自分に恨み言を言いたくなった。
「そうねぇ……鈴虫なんていいんじゃない?」
「……国語の成績は赤点だったよ」
彼女の意図はあとでAIに聞けばいい。少しもったいないがタバコを踏み消して彼女の腕を取った。鈴虫なら、もっと音色を楽しんでもいいんじゃないか。
朝日までの少しの時間だって、彼女の声を聞いていたかった。


【Midnight Blue】

8/22/2025, 9:05:57 AM

「空ってさあ、丸いんだよ」
「いきなりなんの話でしょう……」
いきなり話しかけてきた先輩は、こちらの目をまっすぐ捕らえていた。
「こう、ぽーんと飛び立つとさ。丸く見えるんだよ」
手のジェスチャーを使って説明されるが、知りたいのはそこじゃない。
「そりゃ、地球は丸いですから……」
「そんな縮こまってたら平坦なままだぞ、せっかく高身長なのに」
彼女はパルクールで有名な人らしく、背中に羽が生えている、と評される人だった。これだけ聞いて天使のような性格をイメージされるらしいが、気に入らないからと暴力で返すこともあるらしく、悪魔とも評されてるらしいと噂で聞いた。
「高身長なのと、先輩が僕に話しかけるのと、なんか関係ありますか」
「ない!!パルクールに身長関係ないし!!」
どや、と自信満々に答える彼女は、やっぱり悪魔かもしれない。
「空は楽しいんだよって知ってもらいたかっただけ!縮こまって地面ばかり見てるから!」
猫背気味の背中をバシバシ叩いてくる。先輩の言葉に、僕は「はぁ」とか「まぁ」のような返事しかできなかった。
「どうせ地面ばっか見るなら、踏み込むために見ようや」
肩をガシと掴まれる。目の前には開かれた出窓。もちろんここは3階だ。
「先輩、まさか、あの、僕」
「大丈夫、着地点は教えるから!君のポテンシャルを信じろ!!」
その瞬間、女性とは思えぬ力で出窓から引っ張り出された。
「両足!右手受け、前転!」
とっさに言われた通りに手足を動かすと、グルンと世界が一周した。先生の怒鳴り声が聞こえる気がする。でも、一瞬見えた空が、想像よりも丸くて、広くて。
「やればできるじゃーん。次のミッションは逃走だよ」
徐々に近づいてくる怒鳴り声。彼女の声に引き寄せられるように、僕は彼女の手を取り飛び立った。


【君と飛び立つ】

8/21/2025, 9:39:02 AM

かつん、と音が響いた。
牢の中にいる、私。外から見ているのは、あなた。元、婚約者。
響いたのは帯刀していた剣の鞘が石畳を叩いた音だと、ぼんやり考えた。
「寝ているのか?」
寝てはいないけど、動けないですね。そう言おうとしたけど、私の口からは掠れ声すら出なかった。何も食べず、何も話さず、会ったこともない兵士に戯れに遊ばれて。
父は、弟妹は、どうなっただろうか。亡き母の縁をたより、弟妹たちはまとめて国外に出すのが精一杯だった。
父の不正を正すにはこうするしかなかった。自分も逃げる余裕などなかった。
「死ぬのか」
死ぬと思います。生かす理由がどこにもないので。ぱくぱくと口を動かすが、相手に伝わっているかわからない。
口を動かすのが精一杯だ。もうじき、口すらも動かせなくなるだろう。いっそその剣で喉元を貫いてくれないだろうか。
「……なぜ、裏切った?」
じゃないとあなた死ぬでしょう。婚約者なんだから。私の敵じゃないと生き残れなかったわよ。
口は動かさなかった。大切な人を守るために自分の全てを捨てた。それだけの話だ。
「答えろ!!!」
石畳に剣が打ち込まれた表紙の鈍い金属音は決して小さい音ではなかったが、私の反応を呼ぶには足りなかった。
ここに来れたということは、彼の家はなんとかなったんだろう。よかった。彼を救えてよかった。
ふ、と口角をあげた。彼がなにか叫んだけれど、もう何も聞こえなかった。

あぁ、なんて幸せだ。大好きよ。愛してる。あなたに会えるなんて、神様はなんで優しいのかしら。
この気持ち以外はもうなにも理解できなかった。彼の顔がなぜ濡れているかなんて、わからないまま。
でもきっと、忘れないわ。この気持ちは忘れないわ。

—————————

「……死んだのか」
ついに彼女の本心を知ることはできなかった。
彼女は悪女として名を馳せた。それでもふとした瞬間見せる顔は、昔見せてくれた顔のようだった。
そして、死ぬ間際のあの顔も。大好きだよと伝えあった、幼い日の記憶が蘇る。
ぼたぼたと涙が頬を濡らす。彼女を裏切ったのは自分なのに、先に裏切られたからと棚上げして傍観者を決めたのは自分なのに、吐き気と嫌悪感が止まらない。手足が痺れて、見えないなにかに心臓を直に掴まれているような感覚。
なぜだと頭で叫ぶ自分がいる。半身をもがれたかのように悲痛な叫びをあげている。
これまで彼女がされてきた蛮行に怒りと絶望が湧き出てくる。
そっと彼女を抱え、シーツに包んだ。おそらくこのままでは丁重に弔うのは不可能だ。どこかの娼館から似た女の死体を持ってくるなどして調達してくる必要がある。めぼしい女を見繕いながら、自嘲する。これをなぜ、彼女が生きている時にしなかったのか。できなかったのか。

あぁ、きっと幸せなんだ。やっと、やっと彼女が逃げ出さずに手の中にいるから。たとえ目や口が2度と開かなくても。
きっと忘れない。君の目も、声も、表情も。
きっと忘れない。もうあなたを手放さないから。


【きっと忘れない】

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