ここに横になって、見上げてみて。
木と木の間が光ってるの。宝石みたい。
ねぇ、とっても綺麗でしょ?
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ゆるゆると、時間が過ぎる。
大きな木の麓に座り、ぼうっと過ごして何日経ったかも忘れてしまった。
ゆっくりとした時間を過ごしていると、あの慌ただしく血生臭い日々は夢だったんじゃないかと錯覚する。
だってこんなにも静かで、こんなにも穏やかで。
——こんなにも、幸せで。
「何たそがれてんのよ。」
頭にずしりとした重さを感じる。彼女が頭に顎を乗せてきたんだ。そのまま顎をぐりぐりと押し付けながら、彼女は続けた。
「まだ悩んでんの?せっかくあんたを攫ってきたのに。」
「こんなに幸せなのに攫ってきたって言葉でいいのかな。」
自分に攫われるほどの価値があるのだろうか。
頭の上で大きなため息が聞こえたかと思うと、彼女は押し倒してきてそのまま胸の上で仰向けになった。
「手!出して!」
言われたとおり右手を差し出す。
「違う!!左!!!」
ドスの効いた怖い声だった。顔は見えないが相当イライラしている時の声だ。
そっと左手を出すと、彼女は自分の手と重ねて木漏れ日に向かってかざした。
自分より、ふたまわりは小さい手。それでも自分をここまで引っ張り上げてくれた、強い手。
「ほら、エンゲージリング。」
きらりと指元が光る。
「エンゲージって……。」
「あんた忘れたの?ほんっと忘れっぽいわね。」
指を絡めるように手をつなげると、ぎゅっと強く握ってきた。
「ここまで言わせないでよ。……ばか。」
彼女の耳が赤い。でも自分も真っ赤なんだと思う。そっと右手で彼女を引き寄せると、ごろりと寝返り首元に唇を落としてきた。
幼い頃からあんなに焦がれていた人が、今腕の中にいるのが信じられなかった。
風が吹いて、木枝が揺れる。それに伴って影も揺れる。
彼女とぱちりと目が合った時、きらきらと瞬く木漏れ日の中で誰よりも美しい人がそこにいた。
【揺れる木陰】
蝉の鳴き声がする。
けたたましく鳴るアラームのようで、鬱陶しい。
じっとりと熱い空気に包まれて息苦しい。呼吸をしようとして、口を開けた瞬間に熱が身体に入り込んでくる。
汗が額から流れていくが、拭えない。
手も足も動けない。
延々と続くと思ったら、冷たい感触が頬に触れた。
手だ。と、同時に口に何か流れてくる。口からこぼれるのも気にせず懸命に飲むと、頬に触れた手が慈しむように撫でてきた。
それまでの不快感や息苦しさが和らいでいく。
蝉の声は相変わらずやかましい。でも、この手の心地よさには変えられない気がした。
目を開けると、白い天井が広がっていた。
「気、気づいた!!よかったー!!!」
泣きそうな顔で彼女が抱きついてくる。蝉の鳴き声がまだ頭に響く。
「なんでこんな暑い日に外で昼寝するんですか!!身体も真っ赤で熱くて……ゆすっても起きなくて……ほんっとうに焦ったんですからね!!」
ぼろぼろと目から溢れるのが綺麗、と言ったらまた怒られそうだと思った。
ぼんやりとした頭で自分の首から下に目線をやると、点滴に入院着を着ていた。そこでやっと自分は病院にいるのだと気づいた。
「……なんか言ったらどうなんですか!!」
「……ごめん。」
言い訳しようにも身体がだるくて口を最低限しか動かせない。状況を整理すると、朝の涼しい時間帯に木陰で眠ってしまい、気づいたら真昼の太陽に照らされ脱水や高体温で死にかけていたらしい。彼女がいなかったら死んでたよ。そう言う医者に対して1番焦った反応をしていたのは彼女だった。
「ばか!ばか!!ばかー!!!」
「……ごめん。」
彼女の目から溢れる涙を親指で拭う。それでもボロボロと止まらないそれは、指を濡らしていった。
濡れた手で彼女の手をそっと掴んで自身の頬に触れさせる。泣きながらきょとんとした彼女を尻目に、頬への感触が夢と同じことを確かめていた。
【真昼の夢】
約束だよ。忘れないでね。
そう言い合って、コツンと額をあわせた。
あの時のことを、あなたは覚えているだろうか。
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彼女はとても凛とした人だった。
幼い頃からずっと一緒だった。一緒の布団に入り、一緒におはようと笑ったこともある。
いつからか、彼女は心の奥深くにいた。そばにいたいと願うようになった。それが愛なのか、執着なのか、欲なのか、もうわからなかった。
ただ誰かのものになると想像しただけで黒い感情が腹の中に積もっていった。
ずっと一緒にいたい。彼女に笑ってほしい。そばを離れたくない。泣かせたくない。
それはぐちゃぐちゃにかき混ぜた残飯のようで、気持ち悪い。彼女を想う気持ちが気色悪くなっていくような感覚が、ひどく彼女を侮辱している気がした。
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まただ。ふと見た時、悲しそうな、寂しそうな顔をする。大人ぶっているくせに、こういう時見せる顔は昔のままで。いつまでも泣いてついてきたあの顔で。
身長だってとうに抜かしたのに、まだめそめそとしている。繊細というか、女々しいというか、面倒臭いというか。
今更何をというのが、私の一番の気持ちなのに。
「ねぇ。」
「ん?」
「かがんで。」
「……?」
言われたとおり屈んだ彼の頬を両手で思いっきり引っ張った。かたい。昔はもっとふくふくでもちもちだったのに。
「いてててててて!!?」
手を離すと、彼は私の行動が理解できないらしく、自分の頬をさすりながら呆然としている。
「あなたの前にいるのは、私。わかってんの?」
「……??」
理解が追いつかないのか、全くわからないのか、呆然とした顔をしたままだ。
「……。」
なんか、無性にイラっとした。
「いでててててて!!!」
もう一度頬を引っ張ってやる。絶対忘れているのを確信した私は渾身の力を込めてやった。
「うそつき。忘れないでねって言ったでしょう?」
幼い時の約束。私の心にずっと根差した、一緒だよという約束。
もう離れないように、私は彼の手をぎゅっと握った。
【二人だけの。】
夏といえば。
海?かき氷?熱中症?
答えは否。ゲリラ豪雨である。
「また電車が止まったァアアアアア!!!あと少しで帰れるのにィイイイイッ」
「うるさい。周りに迷惑。」
彼の声で白い目で見られているのに気づいた私は、すみません…と蚊の鳴くような声で小さくなった。
彼がズゴゴゴゴと音を立てながらシェイクを飲む。電車が止まり、人が多すぎて嫌になった私たちは一旦降りてハンバーガーチェーンで腹ごしらえをしていた。大学に戻るにも、家に帰るにも、徒歩はきつい距離だ。
「大学の研究室に泊まり込めばよかったかなぁ……。いけると思ったのに……。」
データはUSBメモリにあるが、肝心のパソコンがない。布団で寝たいという気持ちから帰路を目指したが、失敗だった気がする。
「ビジネスホテルいまから取れるかなぁ……。」
「この雨とあの人だかりなら無理だろ。」
即答。腹立つ。なんだこいつ。
「俺の家くる?」
訂正。神かもしれない。
「パソコンは?」
「もちろん貸すよ。」
「この教授の書籍。」
「あるよ。」
「晩御飯。」
「作って差し上げましょう。」
「ぜひお邪魔させていただきます。あとお風呂とかも借ります。今度ご飯奢ります。」
商談成立。これで課題を片付けられる。今からやれば睡眠時間もちゃんと取れる。なんと素晴らしい!
「さあ、早く帰ろう!」
いそいそとハンバーガーの包み紙を片付ける私は、彼の苦笑は全く気づけなかった。
「俺は布団が二組あるなんてひとことも言ってねぇんだけどなぁ……。」
外の強い雨粒の音が響く中、彼の呟きが私の耳に入ることはなかった。
【夏】
「ああ、今日もなんて可愛らしい。愛しているよ。」
「はい、旦那様。」
会話だけ聞いたらさぞおしどり夫婦に聞こえるだろう。私の足から金属が擦れる音さえしなければ。
「旦那様は奥様を溺愛してらっしゃる。」
「奥様の足に鎖をつけて部屋から出さない。」
「奥様の周りは既婚者で固められている。さぞ心変わりされるのを恐れているんだろう。」
ひそひそと聞こえてくる使用人の声に、若干嫌気がさしてベッドにダイブした。ジャリッという金属音が耳に障る。あの男が溺愛だなんてとんでもない。
彼の父は、私の父が殺したのだから。
単純な話だ。飼い殺しにするために鎖をつけて閉じ込めているのだ。部屋から出さないのも人を定期的に入れ替えているのも、反逆の余地を残さないためだ。
羽根を一つずつ毟られた鳥は鳥籠でピィピィ鳴くしかない。彼が飽きるその日まで。
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「愛しい人、どこにもいかないでおくれ。」
「はい、旦那様。」
やっと手に入れた小鳥は、随分とやつれてみえた。昔と性格も違う、いや中身が違うように感じた。
答えはすぐに出た。彼女はある晩、部屋の調度品を壊したり泣き叫んだりした。口調から何から様子の違う彼女を抑え、部屋に閉じ込めた。しばらくするとふっと静かになり、扉を開けたらスゥスゥと寝息を立てていた。
暴れた間のことは覚えていないらしい。
足枷をつけることで、暴れている時の彼女の言動が少しマシになった。
どうして彼女が二面性を持った人になったのか。知っているであろう彼女の父は私の父が殺してしまい、知る余地もない。彼女は私の父を自身の父と思い込み、父が来た翌日に暴れてしまう。泣き叫ぶ彼女を子供のようにあやすと比較的マシになるため、既婚者で子持ちの人材で固めた。既婚か独身かでも反応がだいぶ変わってしまうからだ。
なぜ彼女は父親を間違えて思い込んでいるのか。既婚者の使用人しか受け入れられないのか。
答えは彼女の心に潜るしかないが、無理に潜ったら間違いなく彼女は壊れるだろう。
だから今日も愛を囁く。早く懐に入れてと願いを込めて。
「愛しいあなた、そばを離れないで。」
「はい、旦那様。」
【隠された真実】