「新登場の味にするか、普段の味にするか……。」
彼女は悩んでいる。お菓子売り場でかれこれ20分は悩んでいる。他のところを見てきてください!と促され、必要な食材を買って戻ってきてもまだ悩んでいる。知らない男子小学生も一緒になって悩んでいる。悩める子羊が増えていた。
「おねーちゃん、やっぱ新商品にしようよ。期間限定って書いてあるし。」
「で、でも失敗したら『あの味にすれば良かったー!』って後悔しそうで。冒険は苦手です。」
「確かに……。おれ、お小遣いはお手伝い制だから失敗は嫌だ。」
また頭を抱え始めた。要するに好きなお菓子に期間限定の味が出たが、それを買うかいつもの味を買うかで悩んでいるのだ。なぜか男子小学生といっしょに。
「弟がうるさいんだよなあ〜。おれのお小遣いで買うお菓子なのに文句言うんだぜ?」
「それでも、分けてあげるお兄ちゃんは優しいです。とっても偉いです。」
彼女に褒められてエヘヘ、と笑う少年。ほわほわとした空気が流れているが、俺がいないものとして扱われているのは納得いかない。
「両方買えばいいだろ。」
かけた声に、子羊たちはぴぇっと変な声を出した。
「だから、おれ手伝いしないと小遣いもらえないの!お金ないの!」
やれやれ、と言わんばかりに少年は言う。
「俺が買ってやるよ。」
「母ちゃんから知らない人から物をもらうなって言われてるから無理。」
「確かにその通りだ。」
今時の親はしっかりしている。いや、子供もしっかりしているのかもしれない。
「おれ、ねーちゃんの勘と経験を信じるよ。外れたら怒るけど。」
「えぇええええっ。怒るんですか!?」
……しっかりしているのかも、しれない。
「あまり彼女をいじめないでくれ。俺からのお礼だと思ってくれ。彼女を相手してくれた、な。」
「……お礼なら、貰う。ありがとう、にーちゃん!!」
会計を済ませると、ぺこりと頭を下げて少年は走っていく。彼女は俺の隣でぷくっと頬を膨らませていた。
「私、あの子より年上なのに……。」
「まあまあ、あぁ言わねぇと納得しなかっただろ。」
そういって彼女の迷っていたお菓子を両方カゴに入れる。顔を輝かせる彼女に、俺は少し意地悪したくなった。
「たまにはいいだろ?普段しないことをするのもさ。」
普段していることでもいいけど。
彼女の耳元で囁くと、耳を真っ赤にさせて一歩離れた。お菓子を食べる以外の意味は伝わったようだ。
「は、は、半分こしましょう!」
「俺は一つもらえたらいいから、あとは全部食っていいぞ。俺は何をしようか考えるので忙しくなりそうだから。ちなみに冒険は好きな方だ。」
にやりと笑ってやると、彼女はさらに赤くなり、いつから聞いていたんですか!とぽこぽこと叩いてきた。
【冒険】
おぼつかない足を無理やり動かし、前に進む。
もう追っ手が近い。時期に捕まるだろう。
そして用意された証拠をもとに断罪される。
身に覚えのない罪の数々を背負って。
もう時間がない。できることはしたが、生き延びるのは不可能だ。
ふと、彼の顔が浮かんだ。なんて未練がましいのか。こんな汚辱にまみれた自分に想われるなんて、申し訳ない。思わず自嘲したところでとうとう捕獲された。
時間は稼いだ。後は後の人に任せよう。
次の人生でも、どんなに苦労する人生でも、彼に会えますように。
私は奥歯に仕込んだ毒を噛み砕いた。
-------
断罪されるはずの令嬢が逃亡中に死んだという情報は、王都を駆け巡った。悪女が死んだ。本当に死んだのか?隣国に逃げたか?さまざまな情報が飛び交う。
彼女は悪女と言われていた。幼い頃は虫が苦手で泣きべそをかく、おとなしい女の子だった。
自分より幼いと思った子供が、国のために手を尽くし死んだ。自分は、そんな彼女を助けることはできなかった。
国を見捨てて彼女を救えば、この国は他国に侵略されて終わるだろう。他国にしてみれば侵略できる口上ができれば上々、でなくても内輪揉めで内政が不安定になれば手を叩いて喜ぶだろう。
それをわかって、彼女の家は彼女を捨て、彼女自身も与えられた使命を全うした。なにも知らない王太子を除いて、すべての大人が彼女に押しつけた。
国のために、国民のために、みんなのために。
なんと反吐の出る。なんと醜い。そんな魑魅魍魎たちは今日も見栄や宝石を守って周囲を威嚇する。
自分もいずれ、その仲間入りをする。いや、彼女を見捨てた時点ですでに仲間だった。そんな自分に想われるなど、彼女はさぞ迷惑に思っただろう。
「願わくば、次の彼女の人生は、俺に関わることなく、もっと穏やかに送れますように。」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に届くでもなく消えていった。
【届いて……】
「ふぉおおおおお!!!」
圧倒的な風景は彼女を感嘆させるには充分だった。
雲海が見たいです。そう言った彼女を連れて旅行に行こうと決めたのはつい先日で。
フェリーで船旅で海を楽しみ、愛車のバイクを船から降ろし彼女を後ろに乗せて走るのはいつもより緊張した。免許を持たない彼女はとても楽しそうな声をあげていたが、こちらとしては背中に押しつけられた柔らかさに耳まで熱くなった。フルフェイスにしていて本当に良かったと思う。
早朝、眠い目を擦る彼女と二度寝したい欲を抑え、下調べした場所へと一緒に行く。
初めて見る雲海は、壮大で、大きくて。
「すごいすごい!来れてよかった!」
ぎゅうとしがみついてくる彼女が可愛くて、愛しくて。
思わず抱き返すと、彼女はさらに強く抱きしめてくれて。
きっと俺は、この景色を忘れない。
【あの日の景色】
「テストやばいテストやばいテストやばい助けてお願いなんとかしてお願い赤点むり助けてください。」
「……この間まであんなに余裕ぶってたのはなんだったんだ。」
下校時に半泣きになって「付き合って!」と叫ぶ彼女に不覚にもときめいたのに、着いたところは近所の神社だった。
「ここにはね、学業の神様がいるんだって!!なんとかしてくれるかもしれない!!」
泣きそうな顔で賽銭を投げ、お守りを買い、引いたおみくじは小吉だった。学問の欄は〈腹を括り精進せよ〉の一言が綴られていた。
「長々と祈ってないで、さっさと家帰って勉強しろって意味だと思うぞ。」
「おだまり!!!」
ブツブツと呟きながら赤点は嫌だとまだ祈っている。往生際が悪いにも程がある。
ため息をつきながら自分の分のおみくじを開く。中吉、学問〈普段通りでよい〉。意外と神様は見ているのかもしれない。そう思いながら隣の恋愛の欄を見る。
恋愛〈動けば吉、動かねば凶〉。
「凶は中吉のおみくじに書いていいワードじゃねぇだろ……。」
ガシガシと頭をかく。こちらも腹を括るときのようだ。
「勉強、教えてやるよ。山張ってやる。」
その声に彼女はパァッと明るくなる。すがってくる姿はまるで警戒心皆無のポメラニアンのようで、愛らしい姿に耳が熱くなるのを感じた。
「山が外れても怒るなよ?」
「あんたが山をはずさなきゃいいの!」
すっかり機嫌が良くなった彼女は、神様ありがとう!とニコニコ顔ですっかり赤点回避したつもりでいる。
「動いたんだから、味方してくれよ。神様。」
俺の呟きに、風で揺れた本坪鈴がガランと返事をした。
【願い事】
「女心は秋の空!」
「いきなりなんだ。」
場所は公園。彼女は鉄棒で前周りをグルンとしたと思うと、着地をせずに叫んだ。
「その心は!」
「聞けよ。女心は秋空みたいに変わりやすいってことだろ。」
彼女はもう一度グルンとまわり、もう一度叫んだ。
「レイブンクローに10点!!」
「昨日の金ローそんなに楽しかったのか?」
グルンと回り、笑顔で答える。
「賢者の石は名作!!」
「うんうん、よかったな。」
やっと会話が成り立った。独特な世界観を持つこいつと会話するには、なかなか苦労する。こんなやつでも友達は存在するらしく、さぞ不思議ちゃん同士なんだろうと思ったら会話を普通に行なっていた。なぜ。
「来週はミートボールスパゲッティ!」
「序盤すぎるだろ。せめて『あなたの心です』くらい言え。」
グルンとまわり、飽きたらしく離れて手をふーふーと吐きかける。こいつは小さい頃からこんな調子だから、友達の前での姿は素じゃないはずだ。でもなんでこんなに進まないんだろう。
恋というハートをいくら入れても、瓶の中は空っぽのままな気がする。
「私はクラリスじゃなくて不二子ちゃんになりたい。」
グラマラスとは言い難い体なのに?と思うが黙っておく。余計なことは言わないに限る。
「その心は?」
「奪われるんじゃなくて、奪いたいから。」
彼がずっと追いかけているのはお姫様じゃないでしょ?
そう言って笑う彼女に、俺はあのアニメの警部の台詞を思い出した。
【空恋】