たぬたぬちゃがま

Open App
7/5/2025, 2:27:50 PM

私の国では、波の音は旋律であり、拍子であり、音楽そのものだった。
海に歌を捧げ、また海からも歌を授かり、共に奏でることで豊穣と無病息災を祈る。
しかし、隣の国に嫁いでから海が遠くなり、すっかりその習慣も行えなくなっていた。

「海に行きたい…」
ぽつりと呟いただけのつもりだった。
しかしそれを聞いた夫はあれよあれよと準備をし、気づけば国内で唯一海と接している領地に来ていた。
母国とは違う顔を持つ海。それでも思い出を誘う波音と潮の香りに思わず母国の歌を口ずさんだ。
それを見ていた夫が顔を顰めたのは、夫婦仲のせいだろう。政略結婚だからかほとんど口を聞かず顔は顰められてばかり。なぜ連れてきたかといえば、領地運営するにあたり、海のことを熟知していると判断されたからだろう。

「そんなに嫌なのか。」
「はい?」
部屋に入った途端に言われた唐突な言葉に何も考えられず出た返答だった。
「俺は……そんなに疎まれているのか?」
「……はい??」
こちらが何かを言う前に、夫は自身の手で私の身体をベッドへ縛りつけてきた。
「俺は……!お前の夫だ!!」
「……はい。はい?」
夫が何を言いたいのか全く分からぬまま、私の体は彼に貪られていった。

---------

「……祝福?」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはこんな顔なんだろうなと思った。
「波の音に合わせて歌うのが私の国の神への祈り方なんです。」
「呪いではないのか?海に対し恨みを込めた歌を捧げて人柱を……」
「数百年前なら凶作対策でしたかもしれませんが、今はもっぱら海藻や稾で作った人形です…。願掛け程度の迷信扱いですが。」
夫はガシガシと頭をかく。痛くないんだろうか。
「なぜそんな不気味なものを作るんだ!呪いの人形なんだろう!」
「海藻で作れば海の動物たちが食べてくれるから回収の必要もなく楽なんですよ。」
合理的でしょう、という私の言葉に、夫は大きく息を吸い、同じくらい深くため息をついた。どうやら母国の習慣がだいぶ捻じ曲がって伝わっていたらしい。
しかめっ面の夫を膝枕に乗せ、頭を撫でながら波音にあわせて歌を紡ぐ。歌詞が泣いている子供のための歌なのは内緒だ。
夫は眉間の皺がひどかったが、じきに薄くなり、最終的に寝息が聞こえてきた。
起こさないようそっと彼の胸に潜り込み、寝息と海の声を聞きながら私も静かに目を閉じた。


【波音に耳を澄ませて】

7/5/2025, 2:12:05 AM

そこは爆発と爆音しかない場所のはずだった。
しかし、自分の耳にそれらは聞こえない。あぁ、ついに耳をやられたか。
ぼんやりと思っていたら微かに歌声が聞こえてきた。
ここは戦場だ。歌なんか聞こえるはずがない。ついに幻聴か。敵襲と間違えるからいっそ耳を潰すか。いや、むしろ幻聴が強化されるかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていたら、女がひょっこり顔を出してきた。
「あの、大丈夫ですか?」
どうやらさっきの歌声は幻聴ではなかったらしい。
「お前、ここの現地民か?」
「うん。」
「ここにいたら襲われるぞ。」
「それは平気。」
けろりとした顔で横に座り、彼女は俺の傷の手当てを始めた。
「物資の無駄遣いはやめろ。お前の仲間に使え。」
「私はあなたに使いたいの。」
彼女は手をあわせて祈りの言葉を呟いた。
「青い風が、あなたをいざないますように。」
「お前の神か?」
聞いたことがない祈りの言葉だった。
「はい、神……の話をすると長くなりますが。」
さも面倒そうな顔をする彼女に、思わず吹き出してしまった。信仰していると自称している割には扱いが雑に感じたからだ。
「どうせ次こそ爆撃を受けたら終わりだ。聞かせてくれ。」
「人の信仰している神を暇つぶしに使わないでもらえます?」
「めっそうもない。布教は神の教えにないのか?」
「ないですね。面倒な教えは聞かなかったことにしているので。知らなければ無いのと同義です。」
やはり彼女の、自身の神に対する態度は雑だ。おそらく彼女個人の考えなんだろう。
彼女はそういいながらも歌を交えながら物語を紡ぐ。先程の祈りの言葉も相まって、流れる風が色付いたように見えた。


【青い風】

7/3/2025, 2:00:38 PM

ちりり、と鈴の音がなる。幼い頃にあなたがくれた、可愛らしい装飾の鈴。今の年齢ではアンバランスだと言われても、手放すことはできなかった。
彼は覚えているだろうか。いや、幼すぎて覚えていないだろう。むしろ、頭の中は例の彼女でいっぱいだ。
いっそいなくなればこの気持ちは晴れるのか。
鈴の音に癒されながら馬車が揺れる。初めはただ悪路の影響かと思ったが、どうも外が騒がしい。
外を見ようとした瞬間、大きな手が私に掴み掛かってきた。鈴を握りめる以外の行動は取れなかった。

---------

彼女が遠方へ行くため馬車に乗ったという情報と、彼女が死んだという情報は同時に手元に来た。急いで愛馬に飛び乗り死体を確認しようとしたが、彼女は白い布に包まれていた。
賊にやられたと。顔と身体は見ない方がいいと。それが彼女の名誉のためだと。服を整えてくれたのであろう女性が涙を堪えて腕を掴んだ。
僕が見た彼女の最期は、白い布からこぼれた細い手が握り込むあの鈴だけだった。

----------

ちりり、と鈴が鳴る。
唯一彼女の親が形見に許してくれたものだ。
ーーー君も貴族なら、私がそれを渡した意図がわかるだろう。
冷酷な声に思わず怯んだ。
彼は娘が死んで嘆いているのではない。死んでもなお最善手を打つために頭を回転させている。
これが、貴族。家族の情、恋慕よりもすべて家のために。ひいては領民のために。
彼女はいつも悩んでいた。この父にはついていけぬと。いっそ名前を捨てようかと。
そういってこっそり偽名で始めた平民生活。そこでの彼女は、貴族の彼女とは全く印象が違った。
自分もここで生きていきたい。彼女といたい。
そう思うようになった時、ふと貴族の彼女は寂しそうな顔をしていた。顔が腫れているのは父親に殴られたからだという。
なぜ、あの時腕を掴んで屋敷から飛びさなかったのか。
なぜ、大丈夫といいはる彼女の言葉を鵜呑みにしたのか。
ちりり、という音が彼女の声を代弁している気がした。


【遠くへ行きたい】

7/3/2025, 4:24:06 AM

きらきらきら。
光る宝石をかざして、にんまりと笑みが溢れる。
「綺麗ね、それ。」
「えへへ、この前お祭り行った時に買ってもらったんです。」
屋台のおもちゃだから高いものではない。おそらくガラス製だろう。しかし私にとっては大粒のダイヤモンドより価値があるように思えた。
ふと、宝石をそっと覗き込んでみる。
「あなたの未来が見えます…!」
「はいはい、占いごっこね。お昼どうする?」
いつもクールな友人は絶対にこういうのに乗ってきてくれない。知ってた。
「……銀水晶は一緒にA定食を頼めと言っています!」
「懐かしいわね、銀水晶。私がわかる人間でよかったわね。」
いつだってクールな友人はいなしつつも答えてくれる。こういう時、友達に恵まれたとしみじみ感じるのだ。


【クリスタル】

7/2/2025, 7:59:01 AM

夏、というものはワクワクするものだ。
「長期休みは冬にも春にもあるのに、なんか特別感あるんですよね!」
「そういうもん、か。」
「そうですよ!お祭り!花火!浴衣!楽しみ!!」
私の育ったところは新興住宅地で、お祭りはなかったんです。そう言ってしょんぼりしていた彼女にデートのお誘いをしたのが数日前。
満面の笑みを浮かべて楽しそうに歩く彼女。普段はおろしている髪をナチュラルアップのでうなじに思わず喉が鳴る。この邪な気持ちは絶対にバレたくない。
「りんごあめ!漫画で見たことあります!スプーンで割るって書いてありました!」
「祭りにスプーンは売ってねぇぞ。そのまま齧れ。」
ムゥ、と不満げにりんごあめを齧り、味が気に入ったらしくぱぁっと顔を明るくする彼女。コロコロと変わる姿がとても可愛らしい。
ふと、彼女がこちらの顔を見て口角をそっとあげた。
普段見ない浴衣に、髪型に、食べ物に、大人びた笑顔に耳が熱くなった。
彼女から湿った空気の匂いでも、屋台の食べ物の匂いでもない、どうしたって抗えないような甘い香りがした気がした。


【夏の匂い】

Next