#人魚の歌姫 (NL)
Side:Seth
「あなたの本当の名前はなんていうの?」
湖に囲まれた大きな家に住んでいるローザは、ぼくに本当の名前があると思っている。
でも生まれた時からこの湖で独りで生きてきた人魚であるぼくに、本当の名前なんてものはありはしない。
なのに…どうしてだろう。
ローザが持っていた本という人間の読みものを見た時、生まれて初めて自分に名前がほしいと思った。
「彼はセスっていうのよ。私の大好きなこの本に出てくる主人公で、あなたと同じ人魚の男の子なの」
なるほど、彼もぼくと同じ種族なのか。そして彼は本の中の人魚だから名前があるんだな。
何だか…彼が少し羨ましい。
本の表紙に描かれたセスを撫でながら、ぼくはそんなことを思ってしまった。
お願いだ、ローザ。ぼくに名前を与えてくれ。
ぼくはセスを指差していた手を自分の左胸にあてて、ローザに静かに懇願した。
「それは…セスと呼んでほしい、ってこと?」
よかった、ぼくの意思が通じたみたいだ。
ぼくは喜びのあまり思わず尾鰭を大きく揺らして、静かな湖に小さな波を立てた。
長い間ただ水の中に潜んでいただけのぼくに名前をつけてもらったことで、初めてぼくという存在に生きる意味ができた気がした。
─────
「ローザお嬢様、お体に障りますよ」
「わ、分かってるよ…!じゃあ、おやすみ…セス」
ぼくとローザの穏やかな時間は今日もあっという間に終わった。
人間は人魚と違って、眠る時間をとる必要があるらしい。
…ぼくは一晩中ローザと一緒にいて、彼女の歌声を聞いていたいのに。
結局、ぼくはローザの背中が完全に見えなくなるまで彼女を静かに見つめ続けていた。
【お題:生きる意味】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・ローザ・ケイフォード (Rosa Cayford) 20歳 大富豪の末娘
・セス (Seth) 湖に住む謎の人魚
#人魚の歌姫 (NL)
Side:Rosa Cayford
私が生まれた時から住んでいるケイフォード邸は、色とりどりの花々で彩られた庭と広大な湖に囲まれている。
富豪の邸宅といえばこんな感じ、といったイメージをそのまま具現化したような家だ。
ただ…そのイメージと違うことがあるとすれば。
「ラ、ララ…ラ…」
私が湖畔で歌っていると、不思議な観客が水底から現れることだ。
「…あ…」
''彼''はケイフォード邸が建てられる前からこの湖に住んでいた人魚らしい。
深い青色の鱗、大きくて優雅な尾鰭、艶やかなプラチナブロンドの髪、そして…宝石をそのままはめ込んだかのような空色の瞳。
そんな美しい彼と出会ったのは2年前の、流星群がよく見えた夜だった。
私は幼い頃から歌うことが大好きで、8歳の時から聖歌隊への参加やソリストの経験を通してプロの歌手になる道を歩んできた。
でも…2年前に出演した舞台でストーカー化したファンに殺されかけてから、私は人前で歌うことが怖くなってしまった。
そんな私の前に現れたのが、彼だ。
「もう…恥ずかしいから聞かないでっていつも言ってるのに…」
私が歌い始めると、彼はいつも私の腰掛けているウッドデッキの端に両腕をかけて静かに私を見上げてくる。
彼が声を発したところは見たことがない。
それでも私の言葉に反応しているということは人間と同じくらい知能が高いのだろう。
「…ねぇ、あなたの本当の名前はなんていうの?」
出会った時から彼にこの質問を何度かしているけど、今回も彼は答えなかった。
その代わり彼は私が持ってきていた本に視線を移して、表紙に描かれている主人公の "セス" を指差した。
「あ…彼はセスっていうのよ。私の大好きなこの本に出てくる主人公で、あなたと同じ人魚の男の子なの」
セスのことを教えてあげると、彼は心做しか嬉しそうにセスのイラストを撫でた。
それから彼はもう一度セスを指差してから、今度は彼の胸に片手を当てた。
「それは…セスと呼んでほしい、ってこと?」
どうやら彼はセスという名前を相当気に入ったらしい。
彼の大きくて長い尾鰭が静かな湖の水の中でゆらゆらと揺れている。
彼の本当の名前を知ることはできなかったけれど、私はこれから彼をセスと呼ぶことにした。
─── 刹那。
「あ!ねぇ、セス…!今流れ星が…!」
私達が出会った時のような流星群ではないけれど、満点の星空の中をきらりと横切る流れ星が一瞬私の視界に映った気がした。
「…あぁ、気づくのが少し遅かったなぁ…」
流れ星をもっと早く見つけていたら、セスと私の穏やかな時間がこれからもずっと続くようにとお願いをしたかったのに。
なんて思っていたら、セスがキラキラと光る小さな何かをウッドデッキの床の上にそっとのせた。
「これって…!あなたの鱗…?」
セスはゆっくりと頷いた後、鱗を夜空に向けてかざした。
するとそれは月明かりの下で、まるで夜空の星の一部であるかのように青白い光を放ち始めた。
「ふふっ…もしかして、私が流れ星を見逃したからそれを星に見立ててるの?」
セスは私の手をとって、今度は鱗を私の手のひらにのせてくれた。どうやらプレゼントしてくれるらしい。
…不覚にも、キュンときてしまった。
否、もしかしたら…私はようやく自分が彼に恋をしていることを自覚し始めたのかもしれない。
【お題:流れ星に願いを】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・ローザ・ケイフォード (Rosa Cayford) 20歳 大富豪の末娘
・セス (Seth) 湖に住む謎の人魚
#駆と棗 (BR)
Side:Natsume Isshiki
かつて僕は音に溢れた世界にいた。
乗り物の走る音、近所の子どもたちのはしゃぐ声、季節によって表情を変える雨や風の音。
11年前から突然音のない世界で生きることになって、僕の日常には突然制約が増えた。
大好きだった音楽も聴けない。音声のないテレビは味気ない。唇の動きを必死に追う会話は楽しくない。そして何より…大切な人の声が聞けなくなったことがつらい。
だからもし今も僕の耳が聞こえていたら…なんて、いつも考えてしまう。
『棗くん!』
「!」
僕の心がまた少し沈みかけた時、ふいに肩をトントン叩かれた。
『どうしたの?考え事?』
『何でもないよ、駆(かける)。大丈夫』
僕の耳が聞こえなくなったことで、僕を育ててくれた義理の両親にも駆にもたくさん迷惑をかけてしまった。
だから僕は必要以上に本音を言わないルールを自分自身に課した。
でも…駆はそれが不満みたいで、すぐに僕の本心を見抜いてしまう。
『我慢しなくていいんだよ、棗くん…』
『嫌だ…』
『俺に聞かせてよ、お願い!』
『できない…!!』
手話とジェスチャーで頑なに拒否する僕を見て、駆は一瞬悔しそうに表情を歪めた。
「…」
僕たち2人の間に気まずい空気が流れ始めたのを肌で感じた。
このことで喧嘩になったのは実は今回が初めてではない。
『もう俺に本音を隠さないで。お願いだから』
「…」
『俺は棗くんがそうやって1人で抱え込んだ結果、またあの頃の棗くんに戻っちゃうのが嫌なの!』
「…!」
…ああ、そうだ。自ら命を絶とうとする僕を駆は何度も引き止めて、抱きしめてくれた。
僕の耳が聞こえなくなっても僕の生きている価値は絶対に無くなったりしないと、絶望の底から僕を必死に引き上げてくれた。
…なのに、また僕は…。
『…ごめん、駆。僕は駆に迷惑をかけてばかりだから、言わないようにしようと思って』
『どんな些細なことでも言ってくれるほうが嬉しいの!ねぇ、聞かせて?』
『え〜…でも、いつもぼやいてるようなことだよ?』
『もし耳が聞こえてたらって?』
『それそれ』
駆はクスクス笑って、僕をぎゅーっと抱きしめてくれた。
耳が聞こえなくなってから、この温もりに何度救われたことか。
死にたい気持ちだけに支配されていたあの頃に比べて、今の僕は少しだけど笑えるようになった。
面白いとは自負できないけど、ちょっとした冗談も言えるようになった。
世界一頼りになる幼馴染がこうして一緒にいてくれるから、やっぱり本音を言わないルールは撤廃しよう。
改定ルールその1、駆にはどんな些細なことでも伝えること。
そして新たに追加するルールは、彼にはごめんだけではなく、ありがとうと大好きも伝えること。
【お題:ルール】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・水科 駆 (みずしな かける) 19歳 棗の幼馴染
・一色 棗 (いっしき なつめ) 21歳 10歳の時に突然耳が聞こえなくなった
#柚原くんの一目惚れ (BL)
Side:Shu Yuzuhara
やっちまった。と、後悔した。
まさか市ノ瀬が彼女と別れたと知ってすぐに衝動的に告白しちまうなんて。
「え、いや、あのな、好きってのはな、その…あの」
止まない雨の中、俺は市ノ瀬の傘の下で必死の言い訳を試みた。
これは俺が完全に絶対に間違った選択をした。
入学式でたまたま同じ桜の木の下にいて、それを見上げる市ノ瀬の横顔がめちゃくちゃ綺麗だったのは事実だが、これはさすがに引かれてもしょうがない。
「へぇ、柚原って身長の他にも意外と可愛いとこあるんだな」
「やめろォ!身長は俺のコンプレックスなん…はっ?」
…今、可愛いって言われたか?
コンプレックスを指摘されて思わず威嚇しちまったが、予想外の褒め言葉に俺の思考がフリーズした。
「は?俺が?可愛い??」
「なんか猫みたいで」
「…猫??」
「雨の中傘もささずにガチ凹みしてるかと思いきや、今度は身長のことで俺に威嚇するし」
「あれは!チビだってよくからかわれるからつい…!!」
「チビでもいーじゃん、可愛い」
「お前みてーなノッポに言われると腹立つ!!」
…やべぇ、市ノ瀬に可愛いって言われてすっげー嬉しいって思っちまった…。
市ノ瀬は明らかに俺より20cm以上背が高くて、イケメンで、時々本気で言ってるのかただの皮肉なのか分かんねーのが腹立つけど、やっぱり俺はあの日から市ノ瀬に惚れちまってたのかもしれない。
衝動的に告白したのが間違いだったとしても、せめてこいつの友達でいたい。
でもいつか改めて告白できたらいいな、なんて思っている自分もいる。
【お題:たとえ間違いだったとしても】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・柚原 愁 (ゆずはら しゅう) (受けみたいな)攻め 高1
・市ノ瀬 瑠貴 (いちのせ るき) (攻めみたいな)受け 高1
#駆と棗 (BR)
Side:Kakeru Mizushina
『なーーつーーめーーくーーーーん、おーはーよーーーーーーーー』
棗くんにモーニングコールのLINEをしてみたけど、今日はまだ返事がない。
「…あれ?棗くんがお寝坊さんなんて珍しいな」
…もしかして、また…なんて嫌な想像が一瞬、俺の脳裏をよぎった。
何故なら棗くんは11年前に突然聴力を失ってから、絶望のあまり命を絶とうとしたことが何度もあるからだ。
「棗くん、まさか…!!」
俺は最悪の事態を避けるべく、慌てて棗くんが住んでいるアパートにすっ飛んでいった。
「あっ、ドアが開いてる…!ごめんお邪魔しま…あれ?」
ドアを開けてすぐに見えた光景に俺は驚いて目を見開いた。
棗くんはパジャマ姿のままでベランダに出て、ぼんやりと空を見上げていた。
俺は棗くんを驚かせないようにゆっくりと近づきながら、もう一度棗くんにLINEしてみることにした。
『棗くん!何してるの?』
「…!」
あ、今度は気づいたみたいだ。
ゆっくりと俺のいる方向へ振り向いた棗くんの目はまだ眠そうで、おそらく起きてまだ数分も経っていないのだろう。
『駆、どうしたの?汗かいてる』
『棗くんが珍しくモーニングコールに反応しなかったから何かあったんじゃないかって心配で来たんだよ…!!』
『ごめん…寝てた』
『怪我はない!?大丈夫!?』
『え?待って、何の話?』
棗くんは本当に寝ていただけだったようで、体に新しい傷は見当たらない。俺の杞憂でよかった…。
『駆こそ大丈夫?悪い夢見たの?』
『あの〜…あのね?俺さっき棗くんが死んじゃうかも〜みたいな嫌な想像しちゃって…それで、その…』
『…』
俺は手話で必死にここに来た経緯を説明した後、ついに耐えきれなくなって棗くんに抱きついた。
もし棗くんがいなくなってしまったら、俺の世界は一瞬で色のない、味気ないものになってしまう。
だから失いたくない。俺に黙って消えてほしくない。
今にも泣きそうな俺の背中を、棗くんはただ黙ってぽんぽん叩いてくれた。
それでさらに泣きそうになって、俺はしばらくの間棗くんの細い体をぎゅうぎゅうと抱きしめ続けた。
【お題:無色の世界】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・水科 駆 (みずしな かける) 19歳 棗の幼馴染
・一色 棗 (いっしき なつめ) 21歳 10歳の時に突然耳が聞こえなくなった