月園キサ

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#駆と棗 (BR)

Side:Natsume Isshiki



かつて僕は音に溢れた世界にいた。
乗り物の走る音、近所の子どもたちのはしゃぐ声、季節によって表情を変える雨や風の音。

11年前から突然音のない世界で生きることになって、僕の日常には突然制約が増えた。

大好きだった音楽も聴けない。音声のないテレビは味気ない。唇の動きを必死に追う会話は楽しくない。そして何より…大切な人の声が聞けなくなったことがつらい。

だからもし今も僕の耳が聞こえていたら…なんて、いつも考えてしまう。


『棗くん!』

「!」


僕の心がまた少し沈みかけた時、ふいに肩をトントン叩かれた。


『どうしたの?考え事?』

『何でもないよ、駆(かける)。大丈夫』


僕の耳が聞こえなくなったことで、僕を育ててくれた義理の両親にも駆にもたくさん迷惑をかけてしまった。
だから僕は必要以上に本音を言わないルールを自分自身に課した。

でも…駆はそれが不満みたいで、すぐに僕の本心を見抜いてしまう。


『我慢しなくていいんだよ、棗くん…』

『嫌だ…』

『俺に聞かせてよ、お願い!』

『できない…!!』


手話とジェスチャーで頑なに拒否する僕を見て、駆は一瞬悔しそうに表情を歪めた。


「…」


僕たち2人の間に気まずい空気が流れ始めたのを肌で感じた。
このことで喧嘩になったのは実は今回が初めてではない。


『もう俺に本音を隠さないで。お願いだから』

「…」

『俺は棗くんがそうやって1人で抱え込んだ結果、またあの頃の棗くんに戻っちゃうのが嫌なの!』

「…!」


…ああ、そうだ。自ら命を絶とうとする僕を駆は何度も引き止めて、抱きしめてくれた。

僕の耳が聞こえなくなっても僕の生きている価値は絶対に無くなったりしないと、絶望の底から僕を必死に引き上げてくれた。

…なのに、また僕は…。


『…ごめん、駆。僕は駆に迷惑をかけてばかりだから、言わないようにしようと思って』

『どんな些細なことでも言ってくれるほうが嬉しいの!ねぇ、聞かせて?』

『え〜…でも、いつもぼやいてるようなことだよ?』

『もし耳が聞こえてたらって?』

『それそれ』


駆はクスクス笑って、僕をぎゅーっと抱きしめてくれた。
耳が聞こえなくなってから、この温もりに何度救われたことか。

死にたい気持ちだけに支配されていたあの頃に比べて、今の僕は少しだけど笑えるようになった。
面白いとは自負できないけど、ちょっとした冗談も言えるようになった。


世界一頼りになる幼馴染がこうして一緒にいてくれるから、やっぱり本音を言わないルールは撤廃しよう。


改定ルールその1、駆にはどんな些細なことでも伝えること。

そして新たに追加するルールは、彼にはごめんだけではなく、ありがとうと大好きも伝えること。



【お題:ルール】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・水科 駆 (みずしな かける) 19歳 棗の幼馴染
・一色 棗 (いっしき なつめ) 21歳 10歳の時に突然耳が聞こえなくなった

4/24/2024, 12:16:37 PM