#人魚の歌姫 (NL)
Side:Seth
「あなたの本当の名前はなんていうの?」
湖に囲まれた大きな家に住んでいるローザは、ぼくに本当の名前があると思っている。
でも生まれた時からこの湖で独りで生きてきた人魚であるぼくに、本当の名前なんてものはありはしない。
なのに…どうしてだろう。
ローザが持っていた本という人間の読みものを見た時、生まれて初めて自分に名前がほしいと思った。
「彼はセスっていうのよ。私の大好きなこの本に出てくる主人公で、あなたと同じ人魚の男の子なの」
なるほど、彼もぼくと同じ種族なのか。そして彼は本の中の人魚だから名前があるんだな。
何だか…彼が少し羨ましい。
本の表紙に描かれたセスを撫でながら、ぼくはそんなことを思ってしまった。
お願いだ、ローザ。ぼくに名前を与えてくれ。
ぼくはセスを指差していた手を自分の左胸にあてて、ローザに静かに懇願した。
「それは…セスと呼んでほしい、ってこと?」
よかった、ぼくの意思が通じたみたいだ。
ぼくは喜びのあまり思わず尾鰭を大きく揺らして、静かな湖に小さな波を立てた。
長い間ただ水の中に潜んでいただけのぼくに名前をつけてもらったことで、初めてぼくという存在に生きる意味ができた気がした。
─────
「ローザお嬢様、お体に障りますよ」
「わ、分かってるよ…!じゃあ、おやすみ…セス」
ぼくとローザの穏やかな時間は今日もあっという間に終わった。
人間は人魚と違って、眠る時間をとる必要があるらしい。
…ぼくは一晩中ローザと一緒にいて、彼女の歌声を聞いていたいのに。
結局、ぼくはローザの背中が完全に見えなくなるまで彼女を静かに見つめ続けていた。
【お題:生きる意味】
◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・ローザ・ケイフォード (Rosa Cayford) 20歳 大富豪の末娘
・セス (Seth) 湖に住む謎の人魚
4/27/2024, 12:11:56 PM