息子が外で遊ぶ声が聞こえる。
妻との間に生まれた愛しい我が子。
時折なにか見て欲しいのかパパ、パパ、と呼ぶ声がする。
到底珍しい虫とか大きなどんぐりとかそんなものなので大抵適当に返事して放っておく。
どうしても見せたいものは走って持ってくるし、危険が迫っていたら大声で叫ぶだろう。
愛息子といえど放任主義なのだ。
妻はここにはいない。息子がこの世に生まれた時からいない。
息子はその事について不満を漏らすことは無い。時折寂しげな表情をうかべるがそれが満たされることを知らぬのだ。
この子はいつか自分の背丈と変わらなくなること。
この子はいうか自分が居なくなってひとりで生きること。
たくさんのことが頭に浮かんでは絡み合い自分の頭を満たしていった。
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言葉にならないもの
日差しがぎらぎらと世界を揺らしている
肌はじわじわと焼かれ頭皮からなにから全身からじぅとりとした脂汗が滲んでくる。
上からの太陽熱だけではなく地面からの熱で体は限界を迎えそうだった。
いつのまにか地表は人間が活動できる気温ではなくなってしまった。
今や人類は2つに分類されてしまった。
1つは地下施設にもぐった。かれらは太陽からの熱からは逃れたものの地球の熱にかこまれながら過ごしている。
もう1つは海へと還り水中での生活を行っている
彼らは光からも、熱からも逃れられたが移住費用がかかるため地下移住組が今の人口の7割程に対して水中移住組は人口の2割程だ。
のこりの1割は物好きをはじめとして地表の仕事を担うべく過酷な状況下で地表生活を続けている。
以前は移住費用を工面できずに地表生活を余儀なくされたものがいたがいつのまにかいなくなっていた。
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真夏の記憶
夏は汗疱で手が大荒れ
世の中の人間はとかく縁というものを重んじる。
電車で私の隣に座るサラリーマン、アパートの隣に住む足音の大きな女性。何億人も存在する人間の中で彼らと出会う可能性は如何程のものだろう。
それぞれ個別にとったとて数値化できるかも怪しい程低いことは間違いない。
まるでそれは、祖母が梅干しをつけていたくらい大きな一抱えもある瓶に砂を詰めて振った時と同じだ。
砂粒の配列は毎回違う。同じことは無い。
一粒の砂に注目しても隣合う砂粒が同じなんてことはないだろう。だが毎回なにかしらの砂粒は彼の隣に鎮座する。
瓶を振る度に変わる顔ぶれに砂粒は縁を感じることはあるのだろうか
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リハビリ1日目
ホテルでカップルが使い捨てスリッパのまま外へ向かっていた。大丈夫だろうか。
巡り逢い
私の気分はブランコのように揺れ動く。
上手くいったものだ。その実スーパーハイテンションな無敵感とスーパーローテンションな絶望感を交互に味わわされている。
ここのところは気分が負に振れたまま固められてしまったようで、1年ほど自己批判に浸っている。
とかく阿呆である。
さて、私の気性のなかでもうひとつ揺れているものがある。
それによって私の部屋はゴミ屋敷とミニマリストを行き来している。もちろんこれも圧倒的にゴミ屋敷期間が長い。
今日だってそうだ。脱ぎ散らかした服の山をかいくぐって身支度をし、明日着る予定の服を山から引っ張り出して袋に入れる。引っ張り出した服には自分の抜けた髪の毛が絡んでいたりホコリが着いているので間にゴミを払う作業が入る。袋をキャリケースに入れて、レシートがくちゃくちゃになったカバンから必要なものを引っ掴んでそれもキャリーケースに。そいつらを整理するのは旅先のホテルでの作業だ。
なぜ部屋がこうなっているかと言うと物がとんでもなく多いからである。
服や本が収納場所から溢れると持っているもの全ての把握ができなくなって持っているのに持っていないような感覚になって買い足す。
負のサイクルを巻き起こしているのだ
じゃあものを減らして何時でもものをしまえるようにしておけ、という正論が聞こえてくるが全くもってその通りである。
社会人になってすぐや大学生になってすぐなど、部屋をオシャレにしようと思ったことは何度かある。
そのタイミングでは断捨離を実行し、部屋が綺麗になるのだが直ぐにとんでもない不足感に襲われる。
他人と自分を比べ、自分は他人より劣っている自分は何も持っていない、そんな寂しさや不安感を購買欲にぶつけ服や雑貨、服を買い集める。
いい加減もので自分の価値が埋まらないことに気がついた方が良い。
暑い
誰に伝えるでもなく口をついた。
腕に引っ掛けていたスーツのジャケットを無造作に自分のデスク備え付けの椅子の背もたれにひっかけた。
朝より重たく感じるそれは知らず知らずのうちに汗を吸っていたようで、腕を離れただけで楽になった。
今日は一日誤納品対応に追われていた。
先日入った新人に仕事を任せたところ、案の定とでも言おうか、無いはずの商品が残っていて、あるはずのものがなかったのだ。
それを届けて終わりかと思えばそこには他のところにあるべきものがあって、、と言うことを繰り返して、デスクに帰りついた頃にはすっかり日が落ちていた。
確かに任せたのは自分だがあんまりじゃなかろうか。
納品対応で遅れた他の仕事はまだまだ残っている。
が、取引先の営業時間はとっくに終わってしまった。
また明日頭を下げて回らなくてはならない。