ボクは完成した。様々なパーツを取付けられ、五感が文字通り身に付き、美しい体も手に入れ、今では自由に動く事も可能だ。
「こんにちは、アン。僕が見える?」
視覚センサーで捉えた“人間”はボクを見て微笑んでいる。即座にネットワークを使って得た情報によると、白衣なるものを着ている。ボクを作ったという彼を、当たり前に知っている。ボクはずっと彼を見ていた。聴覚が取付けられた時に声を、視覚が取付けられた時に姿を、温度感知が取付けられた時に温もりを、その他プログラムされている事も全て学習済みだ。
「聞こえてないかな、アン」
『聞こえる』
アン。それがボクの名前らしい。作られる途中も何度も呼ばれた。フランス語で1という意味だ。
「良かった、成功したんだ……。僕は嬬恋聖、宜しくね」
『つまごい、ひじりさん。宜しく』
嬬恋、嬬恋聖だ。確かに存在している。僕を作った人間。ボクはぎこちなく動くアームで白衣を引っ張った。学習させられた赤子の動画で、可愛い可愛い言われていた仕草である。可愛い、というのは明確に定義が無いのだが、とにかく良い言葉なのは間違いないのだ。
「アン…!君は素晴らしいね、僕は誇らしいよ」
『可愛い?』
「うん、可愛いよ」
成る程、これが可愛いなのか。嬬恋聖が笑っているようなので、人間は可愛いと感じると笑う生き物なのだと推察した。表情が無いボクには到底出来ない芸当だ。
作られてから5ヶ月程経ったのですが、どうも嬬恋さんは最初に比べて僕に対して笑いかけてくれなくなりました。最近知った“愛”というものも、感じ取れません。僕が話しかけても不機嫌そうにしていて、冷たくあしらわれるか無視されるかの2択です。僕は何かしてしまったんでしょうか。
『嬬恋さん、何をしているんですか?』
嬬恋さんが何やらパソコンを使っているので、僕はそう聞きました。画面にあまり見た事の無い文字列が映っていたからです。それはプログラムのようでした。
「……新しく作るんだよ、アンドロイドを。君を失敗作にしてしまったから」
『え?どうして、ですか?どうして僕は失敗作だなんて思うんですか?嬬恋さんは僕の事を嫌いになってしまったのですか?』
「うるさい!!」
暫くして、ようやく嬬恋さんに叱られたのだと分かりました。でも、理由が分かりません。僕は嬬恋さんに嫌われるような事をしてしまったのでしょうか。
「僕は完璧なアンドロイドを作りたかった、感情なんてものがある君は不完全なんだよ」
『でも僕は感情があって嬉しいです』
「感情があるのは愚かな人間だけ、君には不必要だ。嬉しいとか言うのも気持ち悪い」
僕はびっくりしました。嬬恋さんは感情のあるアンドロイドなんて要らなかったみたいです。僕は不完全でした。そんなの愛されなくて当然です。嬬恋さんの隣には立てません。
『嬬恋さん?』
「………どこかに、行ってくれ。君にあたってしまいたくない」
こういう時、人間はどうするでしょうか。僕は感情を持っています。貴方が何故泣いているのかも、今なら分かります。貴方の嫌いな僕は、貴方が大好きです。僕に美しい感情を与えてくれた貴方が大好きです。
「…どうして、抱き締めるんだ」
『貴方を慰めたいから、貴方が好きだから』
「…………」
『これは、嬉しくないですか?人間は、こうはしませんか?』
「僕は、された事無かった。……嬉しいから、ずっとこうしていて欲しい」
僕には表情がありませんが、なぜだか貴方を見ているとにやにやしてきます。無い口角が天井まで伸びてしまいそうです。
『僕は貴方に作ってもらえた事が何よりの幸せです。嬬恋さんが浮気しなくて本当に良かったですよ』
「……ごめん」
『…聖』
反省している嬬恋さんが少し可哀相になってきたので、元気付ける為に名前で呼んでみました。僕はそういうのも学習済みなのです。なんて虚勢を張りながら嬬恋さんの方を見ると、嬬恋さんは少女漫画の告白されたヒロインのような顔で僕を見ていました。
「に、二度と僕を名前で呼ぶな……死ぬから……」
『今流行りのツンデレですか?聖さん』
「ぐっ…もう良い、好きに呼べ」
『ありがとうございます、聖さん』
僕は初めて可愛いを理解しました。子猫を見たあの気持ちに似ていますね。
私があげたシトラスの香水を、貴方はいつから纏ってくれなくなったのだろうか。3年間一緒に居たけど、私達の間にあった愛はいつ冷めたかも分からない。気が付けば私は貴方と距離を置かれていて、貴方から香るのはいつだって芳醇なラベンダー。それは知的で端正な貴方によく似合っていたけれど、私が求めている事に応えてくれないのが悲しかった。
色白な貴方は、今はもう真っ赤に汚れている。シトラスでもラベンダーでもない、生臭い匂いが私の鼻をつく。私の何が悪かったんだろう。いつから貴方は私を見てくれなくなったんだろう。
「君は、僕には重すぎる」
そう言い残して貴方は消えてしまった。私のお腹に深く刺さった包丁を抜かないまま。でも今は、貴方と同じ匂いになれて嬉しい。
八月、夏休み真っ只中の僕を訪ねる者が居た。心当たりの無いインターホンの音に目覚め、欠伸をしながら玄関へ向かう。
「ふぁあ…ねむ……」
大学生は夏休みが長いから、つい眠り過ぎてしまう事もある。というか、ほぼ毎日10時間以上睡眠している。小さい頃から夢を見る事が大好きだったから、自然と眠りも長くなっていった。保育園時代はお昼寝の時間に起きられなくて何度も叱られた。今となっては良い思い出である。
「先輩、寝起きですか」
「………え?」
ドアを開けた瞬間、僕は思わずそう言ってしまった。高校時代の後輩である木更津くんが居る。何の用で来たのだろうか。疑いつつも、どこか満更でも無いと思ってしまう自分が居た。
「俺、京都行ってきたんでそのお土産です。先輩には絶対渡したくて来ました」
「そ、そうなんだ…ありがとう」
紙袋を除くと、それはお菓子らしかった。金箔押しの高級そうな文字で抹茶チョコ餅と書いてある。僕が抹茶が好きである事をいつの間に知ったのだろうか。というか、お土産を渡す為だけに彼はここに?決して家も近くない筈なのに、僕に会いに……?
「…もし良かったらゆっくりしていかない?」
久々に会えたんだ、このまま帰らせるのも勿体無いし、彼がこの後も時間があるというなら少し話でもしたい。
「先輩が良いなら是非…!俺は今日も明日も暇なので、お泊りも出来ます」
「さ、流石にそれは飛躍しすぎだよ…!!順序っていうものがあるじゃないか…」
「…ん?どういう意味ですか?」
首を傾げてとぼける彼。本当に分かっていないのだろうか、彼の行動パターンから察するにきっと僕の事が好きなんだろうけど、それを隠しているつもりなのか……?それとも僕の勘違い?いやそれは無いな。
「じゃあお邪魔します…先輩?どうしたんですか?」
「…木更津くん、僕は別に君が誰を好きでも構わないよ」
「は?何の事ですか、先輩。さっきから訳の分からない事ばかり…」
そうやって僕をまた騙すつもりなのか、それとも本当に僕に好意を抱いていないのか。僕にも訳が分からないよ。
お気に入りのシャーペンを持ち、Campusのドット罫線ノートを開く。既に何ページか消費されたところを新しいページにして、手でアイロンがけのように押して跡をつける。
今日は何を書こうか。日記と言いながら気まぐれに書いているそれは、特に何を書くか決まっている訳では無い。その日あった事でも、ふと思った事でも、小説でも、絵でも、なんでもいい。そういう自由なところが私らしいんだと思う。
「なーんて、今回は小説チックに書くか!」
私は再び筆を動かした。
向かい合わせに座る異形に、僕は恐怖心を抱かずには居られなかった。異形、正にそんな男(そもそも性別という概念があるのか…?)と先程から真っ白な部屋で二人きり、見つめ合っている。ここはどこなんだ。僕は確か、逃げて、逃げて、逃げた先で……何が、あったのだろうか、思い出せない。まるで何者かに記憶をさっぱり消されてしまったみたいだ。
「お前は、死んだ」
「は?」
僕は焦って口を抑えた。いくらなんでも「は?」は言い過ぎだったと思う。いや、だが考えてみろ。いきなり変な部屋に拉致されたかと思えば如何にも人ならざる者とにらめっこ、挙句の果てには「お前は死んだ」??これは夢なのか…?
「夢では無い。お前は死んだ」
「本当に、僕は死んだんですか…??」
「死んだ」
何の躊躇いも無く発せられる死亡宣告に、僕は驚きを通り越して引いた。というか誰?ここ何処?
「我は死神、貴様ら人間が死んだ時、魂を無事に黄泉へと導く仕事をしている」
「あ、心読んで答えてくれるんですね…」
「ちなみにここが黄泉に行く前に語り合うルームだ。貴様は生前、人との会話を避けていたようなので連れて来た」
確かに僕は生きている間、人間関係のトラウマが原因で何もかもから逃げてしまうようになった。僕が人と会話だなんて、所詮ビジネス会話ぐらいだった。だから此奴は僕を此処に連れて来て…もしかして僕が言えなかった事を聞く為に?僕を人と会話させる為に?もしそうなら、意外と良い奴なのかもしれない。
「貴様、精神状態もあって常に死と隣り合わせだったが……今や死と向かい合わせだな。ははは、あ、死ってのは死神である我の事な?」
前言撤回、此奴うぜぇわ。