なこさか

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10/22/2023, 12:15:15 PM





 思慕



 「くしゅっ」

 ある日の兵法学の勉強中。ヴァシリーの部屋に来て、講義を受けている時に小さくくしゃみをした。顔をあげると、向かいに座っていたヴァシリーが怪訝そうにこちらを見ている。

 「……ごめんなさい」

 「………」

 ヴァシリーは小さく息を吐く。体調管理がなっていないと叱られると思った。でも。

 「最近、急に冷え込んだな」

 「?うん、そうだね」

 「お前に新しい服を用意してやらんとな」

 「えっ。いや、いいよ。私が……」

 「……俺が用意するものは受け取れないと?」

 じとりと睨まれ慌てて「そんなことない」と訂正すれば、ヴァシリーは満足そうに小さく笑う。

 「お前は俺の与えるものを大人しく受け取れば良い」

 「……分かった」

 ヴァシリーは椅子から立ち上がって私の背後に回ると、着ていた外套を私の肩に羽織らせた。

 「とりあえず、講義が終わるまではそれで我慢しておけ」

 「ありがとう」

 その後は何事もなく講義は進んで行った。



 数日後。季節は秋へと移り変わり、騎士たちの服装も厚着へと変わっていく。
 その日に部屋にやって来たヴァシリーもいつもは寛げている外套を珍しくきっちり着ていた。
 そして、彼の手には包みが。

 「言っていたものだ。くれてやる」

 「………」

 驚きながらも包みを開けると、そこにあったのは上質そうな黒い外套。襟元と袖口にファーが付いていて、ふわふわしている。

 「……いいの?」

 「くれてやると言ったんだ。受け取れ」

 無表情にそう言うヴァシリーとコートを私は交互に見る。

 (でも、無碍にするのも良くない……それに、気になる)

 着心地が気になって袖を通すと、とても心地が良かった。体温が外に逃げないから、すぐに温もりを感じるようになる。

 「気に入ったようだな?」

 「うん!とても!ありがとう、ヴァシリー」

 私の反応に気を良くしたのか、ヴァシリーは満足げに笑うと私の頭をくしゃりと撫でる。

 「お前はそうやって俺の与えるものに笑って受け取れば良い」

 「なら、その分あなたの為に役に立ってみせる。多分、物よりもあなたはそっちの方が喜んでくれるでしょ?」

 「はは!よく知っていたな。ミル」

 「十年も一緒にいるから。それくらいは」

 「そうか。だが、それでこそ俺の教え子だ」

 機嫌良さそうに笑うヴァシリーに私も笑い返す。
 普通の師弟と言うには少し歪かもしれないけど、少なくとも私は彼のことを師として慕っている。

 いつかあなたの隣で戦えるよう、頑張るよ。
 あなたはやっぱり私にとっての光。
 
 
 

10/20/2023, 12:57:56 PM





 微笑み




 孤児だった私を助けてくれたその人は、とにかく気まぐれな人だった。感情のままに行動し、よく周りを振り回す。さらには歯向かう人たちには容赦なく斬り捨てるほど残忍な性格で、それらに対する罪の意識は感じていないようだった。
 しかし、彼は気まぐれという割にはよく私を抱き上げる。時には就寝時の抱き枕扱いもあったけど。それも気分によるものだろうと分かっている。
 共に過ごすようになって十年。彼のその様子にはすっかり慣れてしまった。そして、ひとつあることに気づいた。

 (……ヴァシリーって、もしかして私に甘い?)

 そのことに気づいたのはつい最近のこと。はじまりは騎士団の第三部隊長を務める友人のルカと共同任務後の昼食時。

 「なぁ、ミル。あんたのお師匠様……ヴァシリー幹部って、あんたにはかなり優しいよな」

 「そう、かな?割と厳しい方だと思う。鍛錬も容赦ないし、一歩間違えたらこっちが殺されそう」

 「その割には兵法を教えたり、怪我をしたら手当てとか色々してくれているだろ?」

 シチューを頬張るルカの顔を見ながら、私は考えながら答えた。

 「……ただの気まぐれだと思う。あの人は私を拾った時にそう言った。私に色んなことを教えてくれたのも多分、自分にとって使える存在だからかも」

 「………」

 ふと、彼のスプーンの手が止まった。そして、いつになく真剣な顔で私のことを真っ直ぐに見つめる。

 「ミル。現に拾われた時にお師匠様からそう言われたのなら、そう思うのも無理はない。だが、周りからすればあんたは確実に、ヴァシリー幹部に大切にされているんだよ」

 「その根拠は?」

 「ミル、騎士団の騎士たちがヴァシリー幹部に弟子入りしようとしている話は聞いたことあるか?」

 「うん。ヴァシリーは強いから……この前も一緒にいた時に弟子入りをお願いしていた騎士がいたよ」

 「で、そいつはどうなった?」

 「ヴァシリーに鼻で笑われていた。……あ」

 そこで私はようやく気づいた。私の様子にルカは「やっとか」と苦笑する。

 「ミルはミル自身が思うよりもずっとあの方に大事にされてるんだ。大事じゃなきゃ、怪我をしても手当なんてしないし、手ずから兵法や暗殺術を教え込んだりしないだろ?あの方の性格は十年も一緒にいたあんたが一番よくわかっているはずだ」

 そうだ。そうだった。あの人は、自身の感情に忠実でいちいち理由や考えを求めたりするような性格じゃない。ただ自分が楽しければ周りはどうなってもいいと思うような危険な人。
 その人がただ気まぐれに私を拾って、ここまで育ててくれた。それだけでも感謝の気持ちでいっぱいだし、恩返しをする為に任務は確実に遂行する。

 でも、それだけじゃなかったってこと……?

 内心戸惑う私にルカは笑いながら続ける。

 「それにな、あんただって年頃の娘なんだ。そんなあんたを毎回毎回抱き上げたりして、生活棟を移動するあたりで……」

 「何やら楽しい話をしているな?俺も混ぜてくれないか?」

 気がつくと、私の隣にヴァシリーが座っていた。意地の悪い笑みを浮かべてルカを見ているけど、その目は少しも笑っていなかった。
 けれど、ルカは……。

 「ヴァシリー幹部!ちょうど良かった。今、あんたの話をしていたんだ」

 「俺の?」

 「ああ!ミルのやつ、幹部に大事にされているっていうことに気づいていなかったみたいでさ。そのことを話していたんだ」

 「ほう……」

 青い瞳が今度は私を見る。幹部相手に怯まないルカの図太い精神力に関心していたけど、思わぬ流れ弾がこちらへ来た。ルカの発言は善意そのものだと思うけど、流石に今回は彼の天然を恨むところだ。

 「そうか。俺はこんなにもミルのことを大事にしていたが……当の本人にそれが伝わっていなかったか」

 にこりとこちらを見て微笑むヴァシリーは誰が見ても見惚れるような美しいものだ。
 でも、私はいつもこの微笑みを見てはじめはこう思う。


 ……絶対に悪いことを考えている時の顔だよ。


 私はこの後どうやってこの怖い師匠から逃げるか、計略を巡らせることにした。多分、勝てないと思うけど。

10/18/2023, 10:42:27 PM




 ある日の姉弟



 とある日の昼下がり。開けていた窓から心地よい風がやって来て、部屋のカーテンを揺らす。

 「すっかり涼しくなったね。カーディガンとか羽織ったらちょうどいいくらいだ。ほら、姉さん。見てみて」

 向かいに座っていた彼が大きく伸びをして、頬杖をつきながら窓の外の景色を見る。私も釣られて窓の外を見やった。
 外は雲一つない青空。夏と比べると幾らか落ち着いた光と温もりの日差しが降り注ぐ。

 「姉さん。今度の休み、一緒に散歩に行かない?天気予報だと数日はこんな感じらしいよ」

 「別に構わないよ。部屋に籠りきりだと身体に毒だからね」

 やった、姉さん大好き、と他の女の子が見たら黄色い歓声をあげるような甘い顔立ちの弟が無邪気な声をあげる。
 しかし、私はそんな弟に対して小さく息を吐いた。

 「あのねぇ、お前も年頃なんだから彼女の一人でも出来ていてもいい頃じゃない?夏場のプールや海や花火のお誘い、全部断ったって聞いたけど」

 「え?僕には必要ないよ」

 一刀両断だった。弟は本気で分からないという表情で、私のことを見つめ、無邪気に微笑む。

 「僕には姉さんがいたら、それでいいんだ」

 恋人を見つめるような甘やかな眼差しで弟は照れたように笑う。私はその様子に再度深く息を吐いた。しかし、彼の頭の中は次の休日のことで頭がいっぱいのようだった。

 「散歩だけじゃ味気ないよね。軽食を用意して、ピクニックみたいにしてもいいかも。やっぱりサンドイッチかな?」

 「……」

 目を輝かせて楽しそうにする弟の姿は小さい頃と変わりない。それでも許してしまうのは、やっぱり弟が可愛いからだろうか。

 (……まあ、いいか。楽しそうだし)

 私はすっかり温くなったラテを一口飲む。
 外は雲一つ無い青空。弟と散歩に向かうその日まで晴れていてほしいと、私は密かに祈った。

10/17/2023, 12:19:33 PM





 悪夢



 鉄錆の匂いがする。手に持った錆びたナイフからぽたりぽたりと血が滴る。馬乗りになったその男に息は無かった。
 死んだ男は人買い。貧しい家に生まれた俺は、物心つく前に人買いに売られたんだそうだ。だから親のことや自分の名前、出身も何も知らない。
 だが、興味は無かった。こいつからの暴力は当たり前だったし、碌に飯も与えられなかったが、怒りを覚えたことはない。あるのは明確な殺意。こいつを殺して自由を得る。その願いを漸く叶えたのだ。

 (だが……満たされない)

 望み通りの自由を得た。しかし、それも一瞬のことだろう。こういう人買いには俺たち「商品」の情報をやり取りする為の仲間がいる。仲間から連絡がこなければ、奴らは不審に思い、俺はやがて駆けつけたこいつの仲間に殺されるだろう。

 (それも、どうでもいい)

 「おや、随分と派手に暴れたようだね」

 と、そこへやって来たのは一人の男だった。血まみれの俺とは真逆の、髪から衣服まで真っ白な男。神父みたいな風貌をしていた。

 「………」

 「お前、私の言葉が分かるかい?」

 「……分かる」

 「なら良かった。そこの男はお前が?」

 「ああ」

 男は口元に浮かべた笑みをそのままに、俺の方へと足を進める。そして、俺の顎を無遠慮に掴むと無理やり視線を合わせるように上を向かせる。
 値踏みをするかのように、じぃっと男はその赤い瞳を俺に向ける。その視線が不快で睨み返すと男は「なるほど」と言って、その手を離した。

 「悪くない目だ。仕込んでやれば、まあそれなりに動けるだろうな。お前、名前は?」

 「無い。気がついたら、こいつのところにいたから」

 「そうか……なら、今日からヴァシリーと名乗れ」

 「ヴァシリー……?」

 「ああ。名前が無いのは不便だからな。とりあえず、そう名乗るように」

 男は淡々と話を進める。そうして、血塗れの俺の首根っこを掴むと軽々と俺のことを持ち上げた。

 「っ、離せ……!」

 「まずは戻ってから風呂と飯だね。それから武術や学問、色々と教えよう。ヴァシリー」

 そいつは口元こそ笑っていたが、俺を見るその目は少しも笑っていなかった。何処を見ても真意の読めない薄気味悪い目。

 「私はエミール。これからはお前の親代わりになってやろう」

 その日から俺はエミールに対して強い憎しみを抱くようになった。理由は無い。ただただ、こいつの目が気に食わない。それだけだ。




 「ヴァシリー」

 どうやら寝ていたらしい。寝起きのぼんやりとした頭で、俺は自室にいることを思い出す。ベッドの上で横になった俺の顔をミルが覗き込んでいた。

 「……何だ?」

 「鍛錬の時間になっても来なかったから、様子を見に来たの。そうしたら魘されていたから、声をかけていたんだよ」

 「……」

 不快だった。こんな時にあいつの記憶を夢に見るとは。
 上体を起こし、ため息を吐き、眉を顰める俺に娘は遠慮がちに聞いてくる。

 「具合悪い?」
 
 俺は答えずに娘に向かって両腕を広げた。ミルは素直に俺の腕の中に入り、そのまま膝の上で抱えてやる。

 「鍛錬は?」

 「変更だ。今から兵法を教えてやろう」

 「珍しいね。いつもなら実践の方が早いって言うのに」

 「気分が乗らん」

 「そっか」

 娘は近くに置いていた兵法学の本を手に取り、ページを開く。

 「何の夢を見ていたの?」

 「さてな。忘れた」

 「忘れたってことは、覚えはあるのね」

 「覚えていたとしても、教えるほどでもあるまい」

 「そう。……ねぇ、この体術ってどうやるの?」

 「ああ。それは……」

 エミールの記憶は忘れたくても忘れられないだろう。その度に俺は言いようのない苛立ちと殺意を抱く。だが、この娘と共にいる間は、どういうわけかその苛立ちすら消えていく。

 (……不思議なものだ)

 この時間を悪くないと感じている。以前、こいつが気落ちした時もそうだったが、大体俺の気分を左右させるのは良くも悪くも、この娘が関係していた。

 (よく分からんが……)

 悪くないと、そう思う俺がいた。

10/16/2023, 1:00:36 PM





 図書館の司書と執行官



 十年前の彼なら、たとえ味方であろうと自身の気にそぐわない人は容赦なく手をかけるような、残忍な性格。かと思えば、とても思慮深く、聡明で自身の武器になり得るならそれが知識でも貪欲に求めた。
 彼は十年もこの図書館に足繁く通っては、必要な本を借りて行った。時には司書である私に話を聞いてくることもあった。
 そして、彼は今、一人の暗殺者の師となっている。

 「あなたにしては、珍しいこともありますね」

 「何がだ」

 図書館のカウンター奥にある司書の部屋。そこにやって来た彼は、差し出されたカモミールティーを飲みながら不快そうに眉を顰める。でも、私からすれば威嚇する猫のようで、全く響かない。

 「教え子の為に必死に考えを巡らせているでしょう?自身の楽しみの為に考えることはあっても、誰かの為にはしたことがなかったでしょう?」

 「………かもしれんな」

 彼がここに来た理由。それは彼の教え子が先日の任務で失敗し、気落ちしているというものだった。彼の教え子、ミルはヴァシリーと正反対の性格をしていた。心優しく慈悲深く、教会の教えを信じるような、純粋を体現したかのような人物。その一方で暗殺者としての実力は騎士団の中で随一。そんな彼女が、先日潜入任務で友人に庇われて、落ち込んでいるという。

 「任務に怪我は付きものだ。幸い、スピカの怪我はそこまで深く無い。意識もある」

 「でも、友人を守れなかったことを悔いている……ということですね?」

 「ああ。だが、それに関してはあの娘のせいでは無い」

 「それは否定しませんが……彼女の場合は責めてしまうでしょうね。あなたのことですから、彼女のその気持ちが理解できないのでしょう?」

 「そうだ」

 いっそ清々しいくらいの返答をする彼に苦笑する。ヴァシリーは気にしない様子でスコーンを齧る。

 「なら、普通に接してあげたらどうです?あなたが彼女に対して気を遣ったとて、彼女は更に縮こまるかもしれませんし」

 「一理あるな。俺は俺のしたいように、あいつに構ってやるとしようか」

 「ええ。その方がきっと彼女の立ち直りも早いですよ。それに……」

 あの子にとって、幹部の存在は自分を照らす優しくてあたたかい光に違いないですから。
 私がそう言うと、幹部は少し考えるようにして黙り込む。が、やがて小さく笑みをこぼした。

 「……そんなことは考えたことも無かったな」

 「あなたは自分のしたいことをしているだけですからね。でも、誰かにとってはそれが大事なものだったりするんですよ」

 「なら、あいつを拾った育て親として、出来ることをしよう」

 「ええ。それが一番です。彼女は今何処に?」

 「部屋で寝ている」

 「そうですか。なら、起こさない方がいいですね」

 「起きたら存分に構うつもりだ」

 そう言って席を立ち上がる彼。

 「あまりいじめてはだめですよ?」

 「それはあいつ次第だろう?」

 意地の悪い笑みを浮かべて、彼は部屋を後にした。

 「やれやれ。彼女も厄介な人を師匠にしたものですね」

 まあ、お互いがお互いを大切に想っているのはよく分かりましたし、ヴァシリーが誰かを大事にするのも良いことです。

 私はただ、彼らの仲を見守ることにしましょうか。
 
 

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