微笑み
孤児だった私を助けてくれたその人は、とにかく気まぐれな人だった。感情のままに行動し、よく周りを振り回す。さらには歯向かう人たちには容赦なく斬り捨てるほど残忍な性格で、それらに対する罪の意識は感じていないようだった。
しかし、彼は気まぐれという割にはよく私を抱き上げる。時には就寝時の抱き枕扱いもあったけど。それも気分によるものだろうと分かっている。
共に過ごすようになって十年。彼のその様子にはすっかり慣れてしまった。そして、ひとつあることに気づいた。
(……ヴァシリーって、もしかして私に甘い?)
そのことに気づいたのはつい最近のこと。はじまりは騎士団の第三部隊長を務める友人のルカと共同任務後の昼食時。
「なぁ、ミル。あんたのお師匠様……ヴァシリー幹部って、あんたにはかなり優しいよな」
「そう、かな?割と厳しい方だと思う。鍛錬も容赦ないし、一歩間違えたらこっちが殺されそう」
「その割には兵法を教えたり、怪我をしたら手当てとか色々してくれているだろ?」
シチューを頬張るルカの顔を見ながら、私は考えながら答えた。
「……ただの気まぐれだと思う。あの人は私を拾った時にそう言った。私に色んなことを教えてくれたのも多分、自分にとって使える存在だからかも」
「………」
ふと、彼のスプーンの手が止まった。そして、いつになく真剣な顔で私のことを真っ直ぐに見つめる。
「ミル。現に拾われた時にお師匠様からそう言われたのなら、そう思うのも無理はない。だが、周りからすればあんたは確実に、ヴァシリー幹部に大切にされているんだよ」
「その根拠は?」
「ミル、騎士団の騎士たちがヴァシリー幹部に弟子入りしようとしている話は聞いたことあるか?」
「うん。ヴァシリーは強いから……この前も一緒にいた時に弟子入りをお願いしていた騎士がいたよ」
「で、そいつはどうなった?」
「ヴァシリーに鼻で笑われていた。……あ」
そこで私はようやく気づいた。私の様子にルカは「やっとか」と苦笑する。
「ミルはミル自身が思うよりもずっとあの方に大事にされてるんだ。大事じゃなきゃ、怪我をしても手当なんてしないし、手ずから兵法や暗殺術を教え込んだりしないだろ?あの方の性格は十年も一緒にいたあんたが一番よくわかっているはずだ」
そうだ。そうだった。あの人は、自身の感情に忠実でいちいち理由や考えを求めたりするような性格じゃない。ただ自分が楽しければ周りはどうなってもいいと思うような危険な人。
その人がただ気まぐれに私を拾って、ここまで育ててくれた。それだけでも感謝の気持ちでいっぱいだし、恩返しをする為に任務は確実に遂行する。
でも、それだけじゃなかったってこと……?
内心戸惑う私にルカは笑いながら続ける。
「それにな、あんただって年頃の娘なんだ。そんなあんたを毎回毎回抱き上げたりして、生活棟を移動するあたりで……」
「何やら楽しい話をしているな?俺も混ぜてくれないか?」
気がつくと、私の隣にヴァシリーが座っていた。意地の悪い笑みを浮かべてルカを見ているけど、その目は少しも笑っていなかった。
けれど、ルカは……。
「ヴァシリー幹部!ちょうど良かった。今、あんたの話をしていたんだ」
「俺の?」
「ああ!ミルのやつ、幹部に大事にされているっていうことに気づいていなかったみたいでさ。そのことを話していたんだ」
「ほう……」
青い瞳が今度は私を見る。幹部相手に怯まないルカの図太い精神力に関心していたけど、思わぬ流れ弾がこちらへ来た。ルカの発言は善意そのものだと思うけど、流石に今回は彼の天然を恨むところだ。
「そうか。俺はこんなにもミルのことを大事にしていたが……当の本人にそれが伝わっていなかったか」
にこりとこちらを見て微笑むヴァシリーは誰が見ても見惚れるような美しいものだ。
でも、私はいつもこの微笑みを見てはじめはこう思う。
……絶対に悪いことを考えている時の顔だよ。
私はこの後どうやってこの怖い師匠から逃げるか、計略を巡らせることにした。多分、勝てないと思うけど。
10/20/2023, 12:57:56 PM