手を握ると嬉しそうに笑う。キスをすると毎回顔が赤くなる。どう考えても自分より恋愛経験があるだろうに、この人は些細なことでいちいち純な反応を見せる。誰かと付き合ったら毎回そんな感じなのか。あるときふと尋ねてみた。他意のない単なる疑問だった。これが何かしら逆鱗に触れたらしく、引っ捕まえられた挙句どれほど愛しているかを滔々と説かれる羽目になった。要約すると、真剣だから何でも嬉しいし、他と較べるような言い方も嫌だったということらしい。慣れや惰性で恋愛をするのはもうやめた方がいい、と深く心に刻んだ。これ以上その愛を教え込まれたら、さすがにどうにかなってしまうので。
(題:初恋の日)
止まない雨はないと言うが、止む前に消えた人はその統計に含まれていない。春の嵐で雨風に家が揺れるなか、彼が不意にそんなことを呟いた。珍しく感傷的で、何かにうんざりした様子だった。それなりに長くお互い生きてきた。その真意は窺い知れないが、きっと見たくないものも見てきたのだろう。投げやりにソファに寝そべる彼に、冷蔵庫から秘蔵のプリンを取り出して差し入れる。結局、最後まで立っていたものが勝ちってことかな。そう尋ねると、早速プリンに思考を釘付けにされたか「何の話?」と言わんばかりに首を傾げたからもう笑うしかなかった。
(題:明日世界が終わるなら)
これで関係が終わるならそれまで。そう思って自分史上最も酷い言葉をぶつけた。この人に相応しいものなど最初から持ち合わせていない。今が一時の薄暗い夢なら、とっとと覚まして光のある場所に返すだけ。地に落ちるのは予定通り一人でいい、そう思っていた。なのに結局、離れるどころか余計に強く掴んでくるのだから意味がわからない。「逃げない」「逃がさない」この体を抱えて鼓膜から呪いを流し込む。地獄への道に好意が花みたいに敷き詰められる。後戻りができない、とはもしかしてこの状況を指すのでは。今更になって思い知り、心の中で深く反省するのだった。
(題:君と出逢って)
強いゆえか他者からの理解を必要とせず、目立って何かを主張することがほとんどない。多くはない言葉数に最小限の声量、いつなんときも極端に物静かだ。そんな彼が珍しく、何やら物言いたげに口元をまごつかせている。聞き逃すまいとその体を抱え込み、耳元を唇に寄せる。近すぎるやら恥ずかしいやら文句が飛び出すが構わない。だって気になるだろう。こちらの手を握って顔を赤く染めて、そんなことをしてまで言いたいことなんて。どんな小声でもちゃんと聞き届けるので、さぁどうぞ。抵抗する腕に早鐘を打つ鼓動に声以外全てが騒がしいなか、その心ひとつに耳を傾けた。
(題:耳を澄ますと)
痕をつけられたわけでも、痛めつけられたわけでもない。けれどふとした拍子にそこがぴりぴりと痺れる。これは証明なのだ。本来であればそこには契約の印を嵌めるのだろう。それができずに燻り、歯痒く思っているのはお互い様だったらしい。わざとらしく指先でそこをなぞり、輪を描いて結びつけてきたのが先日のこと。実体を持たず誰からも見えないくせに、時折こうして自分を縛める。児戯のわりにプラセボ程度には効いていた。きっと向こうも同じように、今頃薬指の違和感に悩まされていることだろう。もっともこっちの場合は焦れて腹が立って噛みついたから、普通に痛みで滅入っているかもしれないが。
(題:二人だけの秘密)