うわ、とすぐ後ろから悲鳴が上がった。岩じゃないのかだの今まで痛くなかったのかだの、その人は口々に騒ぎながら肩を揉み始める。唐突なうえに他人の肩に文句を言いすぎである。しかし意外と容赦ない指の力加減が、連勤を耐えた体になかなか心地良い。ややあって、お返し、と肩揉みを交代すればこの人も大概な岩具合。お互いそれなりの歳だから仕方がない。気持ち良いのか少しだけ舟を漕いだその人の、ずれた襟口からうなじが見える。何となく指先でツッとなぞったら、一際大きく悲鳴を上げて飛び上がられて怒られた。初めて見た反応だ。それなりに長く付き合っていると思うが、まだまだこういうことがある。色んな意味で、面白くてやめられない。
(題:生きる意味)
寝坊をし、だらだらと朝食を摂り、またベッドに潜る。前日まで二人してそこそこの激務だった。外出もせず揃って怠惰を貪る正午前。せっかくの休みに何もしないのは罪悪感がある。そうぼやくと隣の彼は「悪いことは良いことだ」と枕に顔を埋めたまま言う。何となくわかるような、わからないような。どのみちくたくたでおまけに天気も悪く、彼曰く良いことを享受するしかないのであった。この後の昼食について意見を伺えば、ファストフードのデリバリーを提案された。悪行転じて善行がもう一段重なる。
(題:善悪)
小さな街の更に外れにあるこの家からは星がよく見える。星が見えれば方角がわかる。方角がわかればこの家から出て行ける。寝付けない夜の手持ち無沙汰に、バルコニーで一人そんなことを考えていた。瞬きの間にひとつ、目の前で見知らぬ場所へと星が落ちる。寝巻きのままサンダルも履かず、一体どこへ行くつもりだというのか。家の中からばたばたと足音が聞こえる。あの人が呼びに来る。風邪を引くだの何だのきっと怒られるだろう。その声を待ちながら、今一度空を仰ぎ見た。
(題:流れ星に願いを)
おそらくは、妙なところで強情な彼なりの気遣いである。掃除や料理は家主の許可なく好きにするのに、ベッドで一緒に寝ることだけは彼から絶対に言い出さない。他人の寝室に入るのを躊躇う気持ちはわかるが、一応恋人同士であり釈然としないものがある。今日も既に夜が深い。ソファで半分寝落ちしている彼の手を引く。眠いならでベッドで寝るように、と寝室へ連行しながら何度目かの小言。後ろを向かずに、嫌か、と短く問えば、小さく首を横に振る気配。嫌ではないらしい。なら良かった。扉を閉めて抱きしめれば大人しく懐いてくる。これ以上を、と一瞬思ったが既に彼はほぼ寝ている。歯痒いけれど一応、前進ということで。
(題:ルール)
この人、いつから考え事をしているのか。自分に構うどころか気づきもせず、俯いて顎に手を当て無言。いつものくるくる変わる表情はそこにない。何を考えているのだろう。立場のある人だ、仕事から何から考えなければいけないことはきっと山ほどある。気にならないと言えば嘘になるし、助けになれるならしたいがそこまで踏み込む度胸はない。ずっと様子を窺っていたら、ふと顔を上げてこちらに気づいた。途端にパッと花が咲いた気がした。「どうしたの」ってそれはこっちの台詞だ。そんな、自分を見ただけで嬉しそうに笑わなくとも。ほんの少しでも気持ちが晴れたのなら、別にいいのだけれど。
(題:今日の心模様)