過ぎ去った日々
窓の外、冬が終わりかけた春との狭間のこの日々に咲く黄色く香しい花を見ると思い出すのだろう。
何もなかったけれど、全てを持っていたあの日々を。隣国から逃げて、差別と偏見に塗れたこの国へ来てから、幼馴染に誘われて入った木陰で細々と各々の知見を語り合った。彼らはそれで十分だったのに、どこから間違ってしまったのだろうね?
閃光、花火。
散りゆく輝かしい翼。
空虚で、どれほどのものをもらっても満たされない。
空っぽになり。
翼はそこにあったのに。
人の死は二度あるという。
かつての友たちは、もう戻らないが、同時に彼の翼でもあるのだろう。彼の中では永遠に友として生き続ける。
お金よりも大事なものとはなんだろう?
彼を匿うのにも多額のお金が必要だというのに。研究費用も生活費も、予算内でしか動けない僕らは彼女の望む通りに結果を出し続けなければならない。
彼は今日も白い部屋で鏡(それは鏡ではない)と向き合って時間を消費している。僕がその部屋へ入ると、濁ったような黒い瞳をこちらに向けることはあっても、その薄い乾いた唇から僕の名前が紡ぎ出されることはない。
それでもいいのだと、自分に言い聞かせる。彼のような柔い心は大切に守ってあげて、多額の予算で彼は研究し続けることができる。その才能を存分に使うが良い。
……願わくば…浅ましい願いだ…その口からもう一度、あの低く掠れたような、それでいて子どものようなあの声で、あの黒くてそれでも眩く柔らかな光を放っていたあの瞳で、僕のことを見て、僕のことを呼んではくれまいか。
そして、もう一度、あの暖かな巣の中で笑い合えたなら……
あの日の景色
大粒の濡れた白い結晶がちらちらと降っていた。家の中はストーブのおかげで温かい。二重窓の内側を開けると、かすかに冷気が手元に忍びこむ。
窓の外はどこも一面真っ白だ。大地も、空も、全て。
ふと、外に飛び出したくなる。外は極寒だろう。今の服装なら尚更。コートとマフラーと手袋を最低限身につけた方がいいのは明白だ。……だが、そうではないのだ。たまに、理性では割り切れぬような行動に突拍子もなく走り出したくなる。このまま、外に飛び出して、叫びたい。声は言葉を成さない。感情のままにあの白に行き場のない思いをぶつけられたら!
それでも、それは叶わない。あまりにも、時が経ちすぎた。そんな無邪気な行動ができる年頃ではない。
ああ、あの時。あの時に戻れたら。
あの頃は、なんでもできると信じていた。信じていただけだった。
彼の手をとった。戸惑う目。僕はそれをものともせず駆け出す。待って、と声が聞こえた気がしたが、聞こえないふりをして走り続けた。
開けた場所にきて、二人して荒い息を整える。彼の澄んだ瞳が僕を見つめた。もどかしいような、なんとも言えない気持ちに駆られて、言葉は宙を彷徨った。そして、彼にじゃれつく。一瞬の驚いた顔。
そして僕らは笑い合った。雪が肌の上で形を崩していくのも気にしなかった。指先が赤くなっていた。それでも、僕も、彼も笑っていた。なにがおかしかったのだろう。でも、ただ幸せだった。
あの時の笑い声も雪の中に吸い込まれていく。
一面の白。
クリスタル
彼の瞳に反射してきらきらと光を散らしていた。
目が、離せなかった。
彼の瞳は硝子のように、透明で何も映していない。その瞳は何も見ていない。
だからこそ、こんなに綺麗な目になるのだ。
虚ろで、だけど眩しくて。
ああ、ずっと求めてきたものがそこにある。
何も感じない、何も見ない。よって決して裏切らない。
見よ、そこはついぞ追い求めた理想郷だ。
全て自分のものにしたい。自分だけがその美しさを享受していたい。
幸い、美しいその瞳は光がないと輝かない。そうやって絡め取って、逃げられないように。
僕が光となろう。
外は湿気がこもっていた。
青々とした葉が風に揺れてさらさらと音を立てた。濡れた匂い。
耳の横を、羽音がかすめていった。
服の中に暑さがこもり、服の裾をもって熱を逃す。
この景色を、一緒に見れたら。
外を知らぬ彼を連れ出して、この景色を共に駆け抜けられたら。
汗に濡れる首元。初めての自由を噛みしめる瞳が光に反射する。彼の手触りのいい髪が風にさらりと浮く。
その時、彼は笑うだろうか。
心の底から、笑ってくれるだろうか。
「……叶わないか」
夏が、くる。