「チェル、これあげる。」
「なにこれ。」
渡された紙袋を様々な角度から観察するレイチェルに、ジルはにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「開けていいよ。」
紙袋は縦横40cmほど、上からは箱が見えるだけで何が入っているのかを特定できない。
いたずら好きなジルだ。
嫌がらせなのでは、と瞬時に訝しんでみたが、ジルが悪い事をするときはそれを隠そうと真顔になるので、おそらくもっと別のなにかだろう。
彼はずっとレイチェルが紙袋の中身に触れるのを待っている。
「……変なものだったらぶっとばすから。」
「いいよ!」
箱を取り出し、ラベルを剥がして蓋を開けた。
「うわ。」
「綺麗でしょ?」
「なにこれ。」
「見たまんまじゃん、ハイヒール。」
ぱっきりとした赤色、心臓から少し外れた肩を突くような鋭いかかと。
まるで女を象徴するかのような研ぎ澄まされた出で立ちに、レイチェルは顔をしかめる。
巡り合わせてこなかったものだ。
「おれからプレゼント。」
「ヒールなんて似合わない。履いたこともない。」
「似合うよ。好きな女の子には可愛いもの身につけててほしいから。」
「お前の好きは恋愛じゃないだろ。軽率にその言葉を使わないで。」
〈レイチェル〉
つんとした女の子。あんまり女の子らしいものが好きではなく、男前。
〈ジル〉
無邪気な男の子。何かとレイチェルに構うけどかわされがち。
なにもしない休日、人はそれを堕落と言う。
未来と朔馬はその言葉に倣うように、未来の部屋でぼんやりとした時間を過ごしていた。
暇さえあればどちらかの部屋に集まるのは、二人の日常だ。
駄弁や戯れなどの時間消耗のためのみに存在するすべてを入り混じらせて、熱中するとお隣から鈍いキックの音が聞こえてくる。
しかし今日はそれとはうってかわり、それほど会話が流れない。
静寂の中を通り抜ける微かな耳鳴りだけが、水道から垂れ続ける雫のようにこの部屋で響いている。
最初に栓を締めたのは未来だった。
「昔の人はさ、夕日が沈んでいくとき、海に飲み込まれたと思ってたのかな。」
「なにそれ、ポエマーですか。」
朔馬は失笑した。
想像と創造において豊かな男だとは思っていたが、不意にそのようなことを口走るほどとは知らなかった。
「まったく、才能豊かなものだ。」
声のトーンからして、これが皮肉であることを相手に隠す気がない。
ふらりと立ち上がり、にやにやした顔を未来の方へ向けながら、二人がくつろいでいたリビングの目先にあるキッチンへと足を運ぶ。
我が物顔で冷蔵庫を開けると、エナジードリンクを取り出して栓を開けた。
「あ、俺にも頂戴。」
「はいはい。」
同じものを未来にも渡す。
「で?昔の人は……なんだって?」
「今ってさ、科学的に証明できることが増えたでしょ。まあ分からないことも多いけど、昔ほど未知が近くにある状況じゃない。」
「え?未知が身近?」
「くっだんな。」
「じゃなくて、」
「もし俺がその時代にいたら、海とかいうどこにでもあるくせに不可思議で満ちてる存在に対して、およそ馬鹿みたいな好奇心を発揮してしまう気がする。その底が知りたくて、ふらっと沈んでそのまま海に殺されそう。」
「へえ。良かったな、生きながらえて。」
君は覚えてないだろうけど、わたしたちはずっと一緒だった。
ずっと、どれくらいそうだったかと聞かれれば、それはもうベテルギウスまで歩いて行くくらい。
でもそんなこと言ったって信じてもらえないだろうから、今日もわたしは高校の先輩を偽るの。
ちょっと前は君が歳上だったのにね。
その前は生まれた日まで一緒で、双子を名乗ったりもしていたね。
全部覚えていないんだね。
輪の中をくぐる度、君とわたしはいつもリセット、新しいわたしたちになって、また巡り合わせる。
まっさらな中で新しいおはなしを綴っていく。
でもね、君は覚えていないだろうけど、君はいつも星好きで生まれてくる。
ベテルギウスだって君が教えてくれなければ、いちいち覚えてなんていられないからさ。
あれがこれで、これがあれなんだよ。
どんな世界でも変わらない星星を指さして笑っている。
いつの間にかわたしの方が詳しくなってしまったね。
やっぱり、時々考えるんだよ。
もしも君が輪をくぐる前のことを覚えていて、初めて君の方からわたしを探し出してくれたらって。
いつもわたしからだから、時々不公平だと思う。
君、星探しは上手いのにね。
これからもずっと君の隣にいるよ。
それで、もしたくさんの時間が過ぎて、世界の何処かのズレやバグや間違いがわたしたちの下に降ってきたらさ、どうか君がわたしを見つけて。
泥沼の縁でうたた寝している私に気づいて。
ベテルギウスから地球に歩いて帰ってくるまで待つから。
「羽柴と!」
「黒柳の!」
「ドキドキ!本音見つけましょゲ〜ム!」
「帰って。」
目の前で両手を広げ、きらきらと振って華やかに見せた。
また変なことが始まった、美術室のドアを開けた早々にこの光景と遭遇した新島は、二人の間を通り抜けて乾燥棚の方角へ向かう。
描きかけの水彩画、締め切りは来週なのに。
無関心な反応に羽柴と黒柳は顔を見合わせると、そのまま彼女の後ろをつけていく。
「ルールは簡単!今から下校時間まで、僕たちが言うことのなかにひとつだけ本当が混じっています!」
「それを当てれたら先輩の勝ち、外したり答えなかったりしたら私たちの勝ちです!」
「意味がわからないな。」
「え?じゃあ最初からもう一度……。」
「羽柴と!」
「ちょっと待って。」
「私たちはね、喪失があるから人間なのよ。」
ぶら下がった昼間、教会の庭。
穏やかな緑を纏う芝生の上だ。
ココは蝶々を手のひらに包み、ぱさぱさと必死に羽を動かす僅かな風を感じながら言った。
彼女の周りはたくさんの子どもたちで囲われ、不思議そうに顔を見合わせては瞬きをしている。
「どういうこと?」
そのうちの一人が尋ねた。
「ふふ、簡単なこと。ものを創るからものが壊れるのといっしょ。失いたくないものがあるから、そしてそれはいつか失われるから、私たちは生きることができる。」
「意味わかんねー。」
「むずかしいよぉ。」
「それよりココ、おうた歌って。」
雲のように上の方にあって届かない言葉だ。
幼い子どもたちがそれを理解することはできず、あまり興味を示さないまま、口々に別のことを言い出した。
その様子にさえココは目を細めて穏やかに笑う。
「あらあら、子どもでさえ思考を放棄するのはよろしくないことよ。」
そうして頭を撫でる。
手のひらの温度は慈愛や純真に満ちていたが、彼らを見る目はどこか愛玩的で、まるで生まれて間もない子犬か子猫を撫でているようである。
「ちょっと、ココさん。こどもたちに変なこと吹き込むのやめてください。」
その時、背後から怪訝そうな声が聞こえてきた。
「神父様だ。」
「神父様、みてみて。ちょうちょ。」
「こっちでいっしょにあそぼうよぉ。」
澄んだ金髪を持つ若い神父だ。
また、神経質で生真面目な特性を除けば、ずるいほどに聡くココの好みに適合した人間でもある。