蝉助

Open App
10/7/2024, 8:36:53 AM

蝉が木の幹に力なく伏せっているのを見た。
ひまわりは項垂れている。
真ん中を指でかじるとハムスターが大好きな種が落ちた。
まだまだ日差しは強くて白いリボンの麦わら帽子は手放せないけれど、自身や建物の影がだんだん、だんだん伸びていっていることが分かる。
夏が終わるのだ。
学校が始まるまで1週間を切った。
葉月は体の全部から空気を吐き出すように肩を下ろすと、垂れたひまわりから翻して走った。
水色のワンピースが揺れる。
小石混じりのあぜ道とサンダルがこすれて音楽をつくった。
そうすると古い日本家屋の前に置かれた車が見えてきた。
「おとうさあん。」
葉月は呼ぶ。
汚れが目立つ白色の車の奥から、首に手ぬぐいを巻いた葉月の父が姿を現した。
「どうしたんだ、もうすぐ帰るんだぞ。」
目線を合わせ、優しい声色で諭すように言う。
「何時に出るの?」
「……あと15分かな。」
「じゃあ、100円ちょうだい。最後に駄菓子屋さんでお菓子買ってくるの。」
父親は少し驚いたように目を丸くし、首を傾げた。
しばらく考えるような素振りをしていたが、
「いいよ。」
という一言でポケットから数枚の小銭を渡してくれた。
「いち、にい……うん、100円あるね。気をつけていってくるんだよ。」
「ありがとう。」

10/5/2024, 11:43:04 AM

「犬?」
「ちがう。」
「壺?」
「ううん。」
「……つばが異様に小さい麦わら帽子?」
「ちがうよ!」
レイチェルはジルが見せた紙一枚とにらめっこしていた。
事の発端は単純で、彼が絵を描いたというのだが、それはなんだか不安を煽るような奇怪な形をして、何を表しているのかが分からない。
数個ダメ元で尋ねてみたがやはり当たらない。
「そんなに分からないかなぁ。」
ジルは不貞腐れるようにして唇を尖らせた。
「星座を見ている気分。頼りない点同士をどうにか繋げて何かを見出そうとする感じ。」
「心外だなぁ!」
「お前の絵心そんなもんだよ。」
そうしてレイチェルはもう一度そのへんてこな一枚絵に視線を移した。
大まかな形で言えば卵型のそれ。
しかし上部分にはおぼつかない線でぐるぐると塗りつぶされており、先がやや尖った卵の中には何か滑稽な模様は加えられていた。
それを形容できる語彙をレイチェルは持ち合わせておらず、ただ『変』として片付ける以外の方法が思い付かない。
「で、結局これなに?」
「チェルだよ!」

10/2/2024, 10:34:38 AM

「頼むよ満月〜! お前と俺の仲だろうが〜!」
「中学以来初めて連絡を寄越したと思ったらそれか!」
真利は嫌がる満月にへばりついていた。
いかんせん力だけは強いもので、満月がどれだけ容赦なく突き放そうとしても剥がれない。
諦めた彼はため息を吐いた。
「……まったく、説得くらいは聞いてやるから、もう一度説明し直せ。あんまり分かってない。」
「みつき〜!」
「とにかく離れろ。」
2人は机を挟んで向き合って座る。
満月は再び10年来の再会を果たした真利の姿に目をやった。
ヘランヘランな愛想がよく人懐っこい笑顔。
煙立つ爆発を連想させる癖毛の髪。
この辺りは学生時代から変わらず真利のアイデンティティを確立させるのに手伝っているが、それ以外は随分と変わってしまった。
眩しいばかりに光り物のアクセサリーつけてるし。
髪の色レインボーだし。
服装だってすごい、まるで占い師のような紫色のロングローブで全身を覆っている。
とにかく派手だ。
恐ろしくも感じる。
しかしそれら全ての要素に満月はなんとなくだが納得できた。
「とりあえず、俺が同級生の中で1番の成功者なのは周知の事実じゃん?」
至極真顔で同意を求める。
満月は首を縦にも横にも振らなかった。
無回答を貫いたのは、それなりに的を得ているからだ。
高城真利。
その名前は有名だ。
数年前、東京で起きた巨大地震を預言した男として日本中で注目を浴びた。
それ以来嵐のように押し寄せるメディアメディア、奇異やら畏怖やらを纏った人々の視線視線、世界は一時期彼を中心に回った。
しかしそれももう過去の出来事である。
大預言から数年が経った今、彼の起こした奇跡は色褪せて燃え尽きようとしている。
「最近じゃ古代魚みたいな扱いをされるんだよ? たまったもんじゃないよ、まだ全盛期を生きているのに!」
「最近はメディアでの露出もぱったりなくなったもんな。世間がお前に飽きたんだろ。」
「そう、飽きられてる!だから俺はもう一度奇跡を起こすしかないんだ!」
そう叫んで勢いよく立ち上がる。
目は指に嵌められた宝石よりも爛々と輝いて、その眩しさのあまり満月は顔をしかめた。
「ならさっさとその奇跡やらを起こしてください、大預言者様。」
「いや無理でしょ。俺そんなことできないし。」
満月の突き放した発言へ覆いかぶせるようにして吐き捨てる。
先程の大袈裟までに強調した声色から一変し冷たい。
そうだ。
本来、真利に預言の才能はない。
メディアの言う優れた大預言者などではないのだ。
「運が良かっただけだよねぇ。この世にはもう幾千幾億の偽物預言者がいて、その一部である俺がたまたま正解を引き当てただけ。それを世間がよっこらせっこら運んでくれて、こうして立派な事務所を構えるだけの神様もどきになっちゃった訳だから。」
「ああ、偽物って自覚はあるんだ。」
「そりゃそうだよ。未来なんて見えたことも感じたこともない。」
酷く落ち着いて、冷淡な声色で続ける。
預言者という夢見がちな身分でありながらこうも現実的でリアリストな物言いが、彼がどれだけ人々を見下しているかを強調していた。
しかしまたすくっと立ち上がって今度は満月の方へ顔を突きつけると、子どものような無邪気さをまとって懇願するように手を合わせた。
「だから、頼むよ! 今こそお前の力の見せ所だと思うんだ!」
「……。」
「本物の預言者なんて、25年生きていてお前しか見たことないんだ!」
「」

10/1/2024, 10:23:23 AM

「たそがれてんね。」
咲華はその声の方へ首を動かした。
藤間だ。
いつの間にか咲華の自室へ堂々と入っていた彼。
壁にもたれるようにして立ち、同じ地を踏んでいるにも関わらず上から見下ろすような視線でこちらを見ていた。
「目になんも映ってなかったよ。」
「……考えごとをしていたの。」
咲華は椅子から立ち上がる。
長い茶髪が窓から入ってきた風によってなびき、彼女の柔い肌をくすぐった。
「君が? そのつるつるな脳みそに悩みという二文字は存在するのかい?」
「なやみは三文字よ。」
「そういうところだって。」
藤間は左手で顔を覆いながらけらけらと笑った。
「ほんとう、君はピアノに触れていなければただの馬鹿やろうだな。」
ひとしきり笑って大きく息を吐いたのち、藤間は古びた木製椅子に腰掛けた。
その隣にはこの部屋で唯一埃をかぶらずに鎮座するグランドピアノがある。
艶々の黒は藤間の痩せた顔を反射させていた。
「弾いてよ、一曲。」
「なんでもいいの?」
「ああ、おまかせで。お前が今一番上手く弾けそうな曲がいい。」
「……分かった。」
咲華は手首に付けていたシュシュを取り茶髪を一括りにしばり上げる。
彼女のおっとりと目尻の下がった顔が少しばかり引き締まり、左頬に佇む黒子が姿を現した。
スカートにつく跡なんて考えず大雑把にピアノ椅子へ座る姿も実に彼女らしい。
蓋を開けると鍵盤へ指は下ろさずに瞼だけを閉ざした。
(……窓から入ってくる風がきもちい。空も藤間がくれたビー玉みたいできれい……誰かが教えてくれたのを覚えている。このうつくしい時間のことを呼ぶ名前。なんだっけ。)
夕日の赤さが印象的。
でも空の上のほうはまだ少し青みがかっていて不思議な感じ。
咲華は昔の記憶を探る。
手入れされていないぼうぼうの雑草に手を突っ込んでいく。
普段は届かない場所まで神経を研ぎ澄まし、絶え間なく続いていたそよ風が一瞬だけ動きを止めた時、彼女は目を開いた。
「……たそがれ。」

8/6/2024, 11:00:06 AM

「ジルって太陽みたいだよね。」
秋の終わりかけに関わらず、やけに暑かった日の夕暮れ、夕食の準備をしていたレイチェルが呟いた。
特に会話の流れでそうなったということもなく、今日のような晴れた夕方に突如として雨が降ってくるようなものだった。
古い椅子に腰掛け、ビーフシチュー用の野菜を切るレイチェルの姿をぼんやりと眺めていたジルは、突拍子もない言葉に狼狽える。
「……ありがと?」
とりあえず礼を言ってみた。
しかしレイチェルは包丁を持った手を止め、少し不満そうな顔でジルを睨む。
「違う。褒めてない。」
「あ、ごめん。」
「飛び抜けて明るいとか、人を照らす優しさとか、そんなのじゃないから。」
そう言われて、ジルはふと察した。
多分、これは怒られているんだ。
最近は大人しく問題行動はしていないと思っていたけど、無意識に何かやらかしてしまったのかもしれない。
しかしここで態度を変えても彼女の機嫌は悪化するだろうし、ジルは十字架を切って素直に言い分を聞き入れた。
「太陽って、近くで見るととんでもない熱量でしょ。それこそ人なんて存在ごと抹消するくらいの破壊性を持ってる。地球、遠くから見てるから灯りと熱を届ける神様的な存在になっているだけで、本質はただの破壊兵器だよ。」

Next