「もう、いいや。」
そう思った時、僕は空の近くまで上がった。
「なぁ知ってるか?アイツ親が居ないんだとよ。」
学校の奴らは、僕を見てクスクスと笑った。確かに僕の両親は、随分と前に交通事故で亡くなった。人間って単純な生き物なんだ。自分より優れている者を妬み、自分よりも劣っている者を罵る。だから、彼らとは違って親無しの僕は、罵っても良い人間なのだ。
「もう、学校に来んなよ。」
どうせ、来なかったら弱虫だって罵るくせに。本当に面倒くさい。あぁ、気持ちが沈む。空だって、こんなにも淀んでいる。…でも本当に、疲れてきた。
「もう、いいや。我慢するのは、もういいや。」
僕は今、高層ビルの屋上の縁に居る。今から僕は、解放される。きっと天国に居る両親は、馬鹿な子だと言うだろう。それでも、そんな馬鹿な子を産んだのは、アンタらだ。責任を持って、死んでも良いよ、って言えよ。馬鹿でも愛せよ。
「久しぶりに、酸素を感じるよ。」
高層ビルの屋上なんて、酸素が少ないはずなのに。何でだろう。清々しいような、満ち足りているような。そんな感じ。あぁ、そうか。これが生きているって事なんだね。
「はは…。涙が止まらないよ。」
あれ程淀んでいた空は、どこまでも続く青色だ。
僕は、足を前に出し、空へと舞った。
「君はいつも、何を我慢しているの?」
彼に言われた言葉。私は何も言えなかった。
「おねえちゃんに似て、優秀な子ね。」
母は私の頭を撫でながら、優しく微笑んでくれた。
「真面目で素晴らしい。」
父は私を、大きな声で称賛した。でもな、何かな。何かが痛いんだ。なんでなんだろう。
「ねぇ、そこで何しているの?」
自宅の高級マンションの屋上。高級が付くのが納得するほどに、綺麗な景色がそこにあった。そんな景色を眺めていると、突然男の子の声がした。私は振り返ると、無愛想に私を見つめる彼が居た。彼は確か、同級生の。私は笑顔で、言う。
「今から、死ぬの。」
彼は、だろうね、と呟いた。
「何で、君みたいな優等生が自殺なんかするの?」
「疲れたんだよ。優等生を演じるのも、笑顔を作るのも。何もかも。君には分からないよね。」
分かってたまるか。彼みたいに、何もしていないような奴に。優等生は劣ってはいけないの。劣ったら、落胆されるの。私はそれが怖い。
「分からないよ。でも、君が頑張ってきた事は分かる。」
彼は澄んだ目をしていた。まるで全てを肯定するような瞳だった。
「ねぇ、君はいつも、何を我慢しているの?」
「そんなの知って、君に何か得でもあるの?」
「ないよ。でも、君の苦しみを半分個に出来る。」
なにそれ。つい笑ってしまいそうになる。コイツ、意外と良い奴だったんだ。
「頑張りすぎてたんだね。もう大丈夫だよ。」
私は、彼に言われて初めて気づいた。私は泣いていた。
その日、私は声が枯れるまで泣いた。彼はそんな私の傍に居てくれた。泣き終わった時、少し恥ずかしかったけど。それでも、何かが軽くなった気がした。
「厨二病。気持ち悪い。」
あーそかい。私からしたら、アンタらの方がキモいよ。
「先生!またこの子が、睨んできましたー!」
騒々しい放課の教室で、一際大きな声が響いた。その声の主は、私を指差していた。またこれか。私は嫌気が差しながら、先生に訂正をした。
「違います、先生。私は彼女達を睨んでません。」
先生は飽き飽きとした様子で、私達の元にやって来た。
「本当に、睨んでないの?」
「はい。」
「じゃあ何で、毎日こんな事言われているのかな?」
「彼女達の勘違いですよ。」
「あのね。友達になりたいなら、素直に話し掛けた方が良いよ。じっと見てるだけじゃ、何も起きないからね。」
はぁ、また始まった。何で大人って、話をずらすのかな。私達が話しているのは、睨んだかの話なのに。何で私がアイツらと友達になりたいって、思い込んでんだよ。確かに私には友達は、居ないけど。それでも、ボッチにはボッチなりの選択肢があるんだよ。
「えー。私達、嫌なんだけど。この子と友達になったら厨二病になりそうじゃん。マジ気持ち悪〜い。」
笑いながら、貶してきやがって。アンタらがその気なら、私は何も教えてあげないから。
数日後、彼女達グループのリーダーが死んだ。不注意によるものだったらしい。
さて、勘の良い人なら分かるだろう。私は、昔から人の死を視る事が出来る。数日前から、死んだあの子には、黒い靄が纏わりついていた。でも、それを教えようとする度に、言いがかりをつけてきた。そんな彼女を助ける義理は私には無い。本当に気持ち悪いね。黒くて、汚い靄をいつまでも身に着けてさ。
「アンタ変わってるね。」
友人から言われた言葉。私の何処が変なのよ。
私には大好きな人が居る。子どものように無邪気で、夢を見据える人。少し我儘だけど、優しい。私はそんな彼が、この世で一番愛おしい。でも、そんな私を見て、友人は心配そうにする。
「アンタの彼氏〝ピーターパン症候群〟なんじゃない。」
そうかも。でも、それの何が悪いの?
「尽くしてばっかで、つまんなくないの?」
全然。むしろ毎日幸せよ。
「でも、一番変わってるのは、アンタだよ。」
私は普通よ。普通の恋をする、普通の女。
「ヤバすぎ。アンタみたいのを〝ウェンディー症候群〟って言うらしいよ。」
全くもって、不愉快な時間を過ごした。私がウェンディーだなんて。失礼よ。確かに、ピーターパンに尽くす彼女の姿は素敵だった。でも結局は、ピーターパンを置いていったじゃない。私はそんな女じゃない。彼のためだったら死んでもいいし、誰かを殺してもいい。彼が望むなら、悪党にだってなりたいわ。
彼の寝顔を見つめる。月明かりに照らされて、とても綺麗。本当に子供のよう。
「ねぇ、私をネバーランドに連れてって。」
静かな部屋に私の声が響く。彼となら、彼とだけなら、きっと私は幸せになれる。だから、お願い。私を置いていかないで。
「私だけ、大人になっていっちゃうね。」
眠ったままの彼に、今も依存している私。こんな私は、普通じゃないの?おかしいの?
「これじゃあまるで、私の方が子供みたいじゃない。」
『愛してる。』
昔、言われた言葉。誰が言ったんだっけ?
「…もう、朝か。」
カーテンから差し込む光に、少し苛立ちながら体を上げる。そして、ノロノロと洗面所に向かう。鏡に映る俺は、泣いていた。またか、と呟く。俺は昔から時々、目覚めると泣いている事があった。哀しい夢を観たせいかもしれない。涙と夢について一度、占ってもらった事がある。その時の占い師は、少し微笑んで
『もうすぐです。もう少しで、理由は明かされます。』
とだけ、告げた。結局俺は、涙の理由を知らない。
俺が観る夢は、まるで実際に体験した事のあるように感じた。ストーリー自体は、有名な〝ロミオとジュリエット〟のようなもの。そこで俺は、一人の女性に恋をする。お互いを知る内に、二人は恋に落ちる。しかし、不運な事故のせいで、彼女は亡くなった。俺は、後を追うように自殺した。家柄の問題はなくとも、待っているのは死。そんな在り来りなストーリー。その中で俺が一番覚えているのは、花畑の真ん中で彼女が、俺に愛を伝える場面。彼女の顔はぼやけていて、よく見えない。それでも、笑いかけているようで、優しくて、心地が良かった。
ある晴れた日の朝。俺は、用もなく道を歩いていた。何だか、誰かに呼ばれている気がした。真っ直ぐに続く道を、ゆっくりと歩いていると、何かにぶつかった。ぶつかったものの正体は、同い年くらいの女性だった。俺は、慌てて謝ると、彼女は目を大きくした。
「大丈夫ですか!?」
そう言って、彼女はハンカチを俺に手渡した。俺は理由も分からず、それを受け取った。
「泣いてますよ。これ、使ってください。」
そう言われて、俺は自分が泣いている事に気が付いた。そんな、俺を見て、彼女は小さく笑った。
「昔から、変わらないね。泣き虫のままだ。」
俺は、涙の理由を知った。