『故人図書館に、ご来館ありがとうございました。』
「相談乗ってくれて、ありがとう。司書さん。」
『いえ。貴方様の為になる事が、至上の喜びですので。』
「そうだ。これ、どうぞ。」
『こちらは…?』
「紅茶だよ。最近のマイムーブなんだ。だから司書さんにもお裾分け。」
『それはそれは、ありがとうございます。』
「それじゃあ、また縁があったら。」
『貴方様の物語、お待ちしております。』
テーブルの上に、小さな紅茶の紙袋を置いた。自然と出る溜め息。最近の子は、どうやら死にたがりが多いらしい。
『死ぬなら、勝手に死んで欲しいですねー。』
壁にかかった鏡に目をやる。そこには、無愛想な顔が映る。慌てて、笑顔を作る。しかし、気力は沸かない。それ程までに、疲れが溜まっているのだ。
故人図書館。ここは、犯罪者の私に神様がくれたものだ。ここでは、色々な人間の過去が覗ける、不思議な本が置いてある。私はその本を管理し、人間の悩みを解決へと導いていく。…まぁ、死へと誘っているだけだが。それでも、半数は生き延びようとしている。そしてまた悩む。それのループだ。馬鹿馬鹿しい。疲れた。面倒くさい。
『でもまぁ、神様には抗えないんですけどね。』
あるだけの力を振り絞って、紅茶を淹れる。すぐに香りが鼻につく。私は、カップに紅茶を注ぎ、少し飲む。そして、シュガーポットから角砂糖を三つ取り出し、紅茶に投げ入れた。また少し飲む。
『やっと、飲める味になりましたよ。』
周りを見ると、本しか目に映らない。見慣れた風景。でも、何だか今日は、嫌いじゃない。時計が、一時を告げる。束の間の休息も、もう終わり。すぐに悩める人間がやって来る。私は、頬を少し叩いた。よし、今日も頑張りますかね。
『ようこそ。故人図書館へ。本日はどういったご要件でしょうか?』
「笑おうよ。」
そう言い、笑顔を振り撒く貴方が、好きでした。
「ねぇ、君に夢はある?」
突然聞かれ、少し戸惑う。そんな僕を見て、彼女はニヤリと笑った。
「私はね。死ぬまで踊っていたい。」
なるほど。踊る事が大好きな彼女らしい夢だ。それなら僕の夢は。
「僕は、そんな貴方を、ずっと見ていたいです。」
彼女は少し頬を染めた。そしていつもの調子で、笑った。
「じゃあ君は、私が作る歴史を目の当たりにできるね。」
彼女は幼馴染だ。だから、ずっと彼女を見てきた。小学生でバレエ、中学校ではポップダンス、高校生の今は社交ダンスを習っている彼女。彼女はいつだって笑っていた。
「笑おうよ。」
彼女の口癖だ。弱気でコミュ障の僕に、よく言ってくれた。その言葉を聞くだけで、強張った顔も笑顔に変わる。そんな彼女が好きだった。もっと沢山、彼女の踊りを見ていたかった。しかし、悲劇は起きた。
彼女は事故に遭い、両足を無くした。
彼女は事故の日から、一度も笑う事はなかった。いつも朧気に、外の景色を眺めていた。その表情は、今にも消えてしまいそうで怖かった。そんな恐怖のせいか、僕は言ってしまった。狂っているけれど、確かな僕の願いを。
「一緒に、踊りませんか?」
僕がそう口にした時、彼女は静かに涙を流した。そして、震える声で言った。
「踊り、たい。君と一緒に、踊りたいよ。」
どれだけ願っても、彼女の足は戻らない。どれだけ笑っても、心は死んだまま。それなら少しだけ、我儘を言わせてください。無くしたら何も残らないなんて、僕には残酷すぎるんです。
「Shall We Dance?」
『ねぇ、何で?』
幼い俺が、問いてきた。俺は少し、笑ってみせた。
「能無しの木偶の坊。」
上司は俺を、蔑むように睨んだ。俺は小さく謝った。毎日、この繰り返し。正直、疲れるし面倒くさい。それでも俺は何もしない。
俺は、貧しい家庭に産まれた。父は屑、母は癇癪持ち。そんな二人の子供が、真っ直ぐ育つ訳もなく。昔から俺は、欠陥人間だと言われていた。自分でそう思った。何故なら俺は、本心から笑った事がないから。家に帰れば、塵扱いされる。学校に行けば、虐められる。それでも何もしなかった。いや、何も出来なかった。何をすればいいのか、分からないから。
でも一度だけ、心から望んだ事があった。その時俺は、死にたいと望んだんだ。家のナイフで、首を刺そうと思った。しかし、寸前でやめてしまった。理由は分からなかった。
あれから社会に出ても俺は、欠陥人間のままだ。時々、脳に幼い自分が、語りかけてくる。
『あの時、死ねばよかったんだ。そうすれば、これ以上恥を晒さずに済んだのに。』
そうだよ。あの時、俺は死ぬべきだったんだ。
『じゃあ何でやめたの?ねぇ、何で?』
何でだろう。分からないよ。
『嘘だ。本当は知ってるんでしょ?』
知らないよ。何も知らないから、何も言わないで。
『生きたいんでしょ?笑いたいんでしょ?』
この世界は不公平だ。それでも俺は、公平を求めている。例え、それが幻想だとしても。あの日、俺が選んだ選択が間違っていないと証明するために。
きっと明日も、俺は欠陥人間だろう。それでも良い。欠陥だらけのこの世界に、俺はお似合いだから。
『ねぇ、教えてよ。』
そう言った彼女の目には、絶望が映っていた。
『元気してた?もうすっかり大人だね。』
死んだはずの彼女が、俺の前に現れた。そして、何事も無かったように、笑っていた。
「夢、?」
『違うよ。現実だよ。』
嘘だろ。夢であってくれよ。まぁ、夢であってもこんな悪夢、最悪だけど。
彼女は、高校の秋頃。自室で首を吊って死んだ。理由は、詳しくは分からない。只分かるのは、彼女は生前虐めを受けていた事だけ。あれから数年は経った今、昔と変わらぬ姿の彼女。それは美しくもあり、恐ろしくもあった。そして、確信した。彼女は今、過去に囚われているのだと。
「何でここに?」
『質問しに来たんだよ。大人になった君に。』
彼女は、真剣な表情になった。
『形のないものに、価値ってあるの?』
「どういう事?」
『学校とかってさ、思いやりの心を大事にしろって言うじゃん。でもさ、目に見えない、形のないそれをどうしたら良いのかなって。』
数年ぶりに会ったと思ったら、そんな事か。でもきっとこれは、彼女が受けた虐めと関わっているのだろう。
『ねぇ、教えてよ。』
「価値なんてない。0が何をしても0のように、ないものは何しても変わらない。」
『じゃあ、学校はそんな綺麗事ばっか教えてくるの?』
「それはないとしても、価値を見出して欲しいからだ。」
彼女の目に、少しの光が宿る。
『そんなの時間の無駄じゃん。』
「でも人生は無駄を生きるために存在しているから。」
彼女は泣いていた。そこには、開放されたような笑顔が見えた。
『そういうの、生きている私に言って欲しかったよ。』
「僕は、弱かったんだ。」
彼はそう泣いたまま、私の前から消えた。
「静かだな…。」
私だけしか居ないリビング。数日前まではここに、おしゃべりな彼の言葉が響いていたのに。今はそんなものはなく、虚空が住み着いている。
彼は映画監督だった。たくさんの作品を、たくさんの人に観てもらう事を、誰よりも望んでいた。しかし、彼は称えられる度に、プレッシャーを抱え続けた。そして、とうとう耐え切れずに自殺した。彼は最後まで、自分を責め続けていた。
「助けられなくて、ごめんね。」
私はいつも、彼の写真に手を合わせた。でもきっと、こんな行動も私のエゴでしかないんだ。少しでも心を軽くしたいだけの、薄っぺらいものなんだ。
【僕は君のお陰で、夢を掴めた。君は僕の太陽で、僕は月だ。月はいつだって、太陽を追いかけ回す存在。それでも、君は僕に振り向いてくれた。ありがとう。
ずっと傍に居れなくて、ごめんね。】
彼からの手紙を見つけた時は、驚いた。そして涙を流した。私は、彼の為に生きれたんだって。彼に愛されていたんだって。只泣いたんだ。
『大丈夫だよ。見守ってるからね。』
そう彼の声が聞こえた気がした。