「女の子なんだから。」
聞き飽きた言葉。私を否定するこの言葉が大嫌いだ。
「ランドセルの色、何がいい?」
小学校入学前、両親とランドセルを買いに来た時だった。
「黒色がいい。」
私は目の前にある、黒いランドセルに目を奪われた。しかし、私の言葉を聞いて両親は戸惑った表情をした。
「黒色だと男の子みたいでしょ?貴方は女の子なんだから、赤色とか桃色にしなさい。」
貴方は変。そう言われた気がした。結局、ランドセルの色は、赤になった。
あの日から私は、自分の心に嘘をついてきた。黒色よりも赤色。格好良いよりも可愛い。こうして偽れば、世界に馴染めた。これは正しい事。そう思い込んでいた。
〈僕は、黒よりも赤が好き。赤ってリーダーって感じでかっこいいし、可愛いから好き。でも、これは世間からは認められなかった。それが辛かった。好きな事を好きだと言えない世界なんて、こっちから願い下げだ。〉
これは数日前に飛び降り自殺をした男子高校生が書いた遺書だ。私は、彼の飛び降りた後の姿を見た。元の形を残しておらず、真っ赤に染まっていた。私はきっと、その姿を忘れられない。
男は黒、女は赤。その偏見を強要し、自分がした言動を一切疑わない奴ら。うんざりだ。もう、辞めにしよう。自分を偽るのは疲れた。だから、ここに来た。
「屋上、初めて来たなー。」
風に耳を澄ませ、目を閉じた。きっと葬式では、皆黒い服を着て来るのだろう。私の好きな色。楽しみだ。
「でも、あの時見た赤は綺麗だったな。」
私は、誰かの記憶に残るようにと、飛び降りた。
「貴方に出会えてよかった。」
俺が何と言おうと、返事は来ない。あぁ、狂おしい程に愛おしい。
「悪魔だ。」
殺した相手に言われた言葉だ。悪魔だなんて。俺は神に仕える身だぞ。神は人間にお怒りだ。私利私欲のために相手を蹴落とす姿勢、差別をする物言い、全てに対して、呆れておられる。だから、俺が神に代わり人間に鉄槌を下す。
この街では、十歳になったら教会にお祈りをしに行く風習があった。俺も十歳の時に行った。そこで俺は神に心を奪われた。周りから見たらただの石像。しかし、俺の目には美しく清い姿に見えた。そして俺は、神に仕えるために産まれてきたのだと、理解した。どうすれば神は喜ぶだろうか、俺は考えた。そして、一つの案に辿り着いた。この世で一番不要なもの【人間】を無くせばいいのだ。
「君が噂の人殺しくん?」
目の前の男が聞く。俺は頷く。何なんだコイツ?普通もっと慌てるだろ。もしかすると、俺よりも強いのか?
「僕は今から君に殺されるだろう。その前に一つ聞いてくれるか?」
「恨み言か?」
「神を買い被るな。神は戦争の止まないこの世界を、楽しんでいるぞ。」
その言葉を残し、男は死んだ。
あの男の言葉が頭から離れない。俺が仕えてきた神は、俺が信じてきた神は、腹黒いものなのか?
「貴方がいたから、俺は正しい道を歩けました。」
しかし本当は、貴方がいたから俺の人生は狂ったのか?神からの答えはない。きっと、俺が信じた神はもういない。
「神が死ぬ時、俺もまた死ぬ事ができる。」
そして俺は、血塗られた手で自分の喉を掻っ切った。
「これ使って。」
彼はそう言い、傘を差し出す。お願いだから優しくしないでよ。
「ごめん。」
彼は悲しそうに言う。私は今、人生初の告白をし振られた。恥ずかしさから彼を見れない。
「こっちこそ、ごめん。迷惑だよね。」
私はそう言って、早足でその場から離れた。
彼と出会ったのは、雨の日だった。傘を忘れた私に、彼は傘を差し出してくれた。私は申し訳ないからと断ったが、彼は傘を置いて走っていった。小さくなっていく後ろ姿をずっと見つめていた。次の日、傘を返そうと早めに学校に行き、校門前で待っていた。学年もクラスも名前も知らない彼に会うにはそれ以外に方法が思いつかなかった。私が待ち伏せをしていると、後ろから声を掛けられた。
「昨日の子だ。風引かなかった?」
後ろには彼がいた。
「昨日はありがとうございました。これ傘です。」
言葉を交わすだけで、心臓が早くなる。
「敬語じゃなくて大丈夫だよ。僕、隣のクラスだし。」
笑顔で言う彼。私は気付いた。私は彼が好きだ。きっとこれが一目惚れというものだろう。私達は、この日から毎日のように会話をした。距離が縮まっていくのが分かる。しかし、その事に浮かれていたのは私だけだったようだ。
本当に最悪だ。廊下ですれ違う度に、気まずさが走る。こんな辛い気持ちになるなら、告白なんてしなければ良かった。暗い事ばかり考えていると、涙が出てくる。
「まだ君の事が好きだよ。」
「僕も好きだよ。」
声がした方へ顔を上げると、そこには彼がいた。
「本当はずっと君が好きだった。あの雨の日よりも前から。でも、君には僕はふさわしくないって。だから、告白はすごく嬉しかったけど振っちゃったんだ。ごめん。」
「そんなの良いよ。君の本心が聞けて嬉しいよ。」
「これからは僕が君の傘になるよ。だから、僕の傍で泣いて欲しい。僕がその涙を笑顔に変えるから。」
「何それ。チャラ過ぎ。でも、よろしくお願いします。」
私達は笑い合った。
「お詫びに何かさせてよ。彼氏としてさ。」
「じゃあ。今度の雨の日は、相合傘がしたいです。」
『大好きだよ。』
彼が言ってくれた言葉。何でこんな事になったんだろ。
『元気してた?僕はすっごく元気だよ。』
笑顔で言う彼。彼の足元には影がなく、生きていない事が分かる。
「楽しそうだね。君に久しぶりに会えて嬉しいよ。」
『僕もだよ。』
彼は死んだ事によって、生まれ変わった様だった。生前では考えられない、陽のオーラを放っていた。その事は素直に喜ばしかった。
『今日は君と話をしに来たんだ。』
彼の表情は先程とは違い、真剣なものだった。
「君も私を否定するの?」
彼は一年前に病死した。病気だと知った時から、彼の表情からは笑顔が消えていた。私は、彼を喜ばせようとした。しかし、彼は死ぬまで笑う事はなかった。彼が死んでから、私の世界は崩れた。それ程までに、彼の存在は私には大きかった。彼に会いたい。その気持ちは次第に溢れていく。死んだら会えるはず。そして私は、屋上に来た。
「私は君が好き。今までも、これからも君以上の人なんて居ない。だから、止めないで。」
分かっている。この思いは歪んでいる。誰も認めてはくれない。それでも、これが私の彼への愛の強さの証明だ。
『僕はね。見送りに来たんだよ。君は最後まで僕の傍に居てくれた。だから、最後ぐらい君の傍に居たいんだ。』
涙が止まらない。彼は私の手を取った。
『これからも一緒だよ。』
恐怖はなかった。ただ風だけが私を包んだ。
落下する先が、天国でも地獄でも何でもいい。彼と居れば、何処だってワンダーランドだ。
【未来は変えられる。】
よく聞く言葉。変えられたとして何が残るんだ?
『ちょっと待って!』
目の前の彼が言う。どこかで見た事がある気がする風貌だった。しかし、今はそんな事どうだっていい。
「お前には関係ないだろ。止めるなよ。」
俺は目の前の彼を睨みつけた。しかし、彼は怖じ気付く事はなく、澄んだ瞳をして言った。
『まだ間に合う。今からでも、やり直せるよ。』
「お前に何が分かるんだよ!」
苛立ちから声を荒がった。そして、無意識に涙が出た。
「俺だって、普通に生きたかったよ。」
俺の両親は不慮の事故に遭い、他界した。そして、俺の人生は一変した。叔父夫妻に預けられた俺は、毎日奴隷の様に扱き使われた。最初はまだ良かった。しかし、段々と俺への扱いはエスカレートしていき、今では存在全てを否定されている。学校でも俺は、はみ出し者だった。両親がいない、可哀想な子供。そのレッテルを貼られ、周囲の態度が変わった。今では仲良かった奴らに虐められている。次第に、俺の心はすり減っていった。辛い。その言葉だけが頭を支配する。気付けば俺は、屋上に立っていた。
「人間って馬鹿だよな。世間体しか見てなくて、両親の居ない俺は、何の価値もないように見えているんだよな。」
『そうだよ。そいつらは愚かだよ。でもね。逃げようとする君はもっと愚かだよ。未来を捨てるな。』
彼の言葉には、優しさも強さも感じられた。
「お前に何が分かるんだよ。俺だって、立ち向かったよ。でも、駄目だったんだ。怖いんだ。」
『俺も、君と同じ境遇だった。それでも、生きた。足掻き続けた。自分のためではなく、未来のために。』
久しぶりに、心に温かさが宿った。俺もこんな風に未来に希望を持てるだろうか。持てたら良いな。
「ありがとう。大事な事を思い出した気がするよ。」
『良いよ。俺もそうだったから。』
「ところで君の名前は?」
俺が聞く。すると彼は少し悪戯ぽく微笑んだ。
『俺は、未来の君だ。』
俺はあの時、生きる事を諦めないで良かったと思う。俺の未来はきっと明るい。過去に戻って、同じ状況になっても、俺は同じ未来を選ぶだろう。