「お久しぶりです」
そう言って君は事業所の玄関のドアを開けた。
声を聞いた僕たちは、みんな手を止めて振り向いた。
ここは障害者が社会に出るための練習を兼ねた、
障害者が働くための作業所だ。
君はこの作業所の卒業生だ。
君がここを旅立ってからもう三年になる。
そんな君がなぜ今になって突然訪問してきたのか疑問だ。
「久しぶりだね。元気にしてたかな?」
そう言ったのはこの作業所の責任者である坂原さんだ。
「今日はお願いがあってきたんです」
「何かな?」
君の目は泳いでいる。
簡単に言える頼み事ではないらしい。
「私の働いている本屋さんで人が足りなくて、この作業所の利用者さんを誰か一人寄越してほしいんです」
坂原さんも他の職員も驚いていたが、利用者の僕たちが一番驚いていた。
なぜなら、障害者は特にパートでも
働き口を見つけるのは、かなり困難だから。
われ先に他の利用者が立候補して君に向かう。
しかし、君の求めている人材と立候補者は合わないらしい。
君は一人の女の子に近づいた。
ほとんど誰とも話さない、うつ病の子だ。
「あなたに来て欲しいの。あなたにポップを作ってもらって宣伝してくれないかな?」
「ま、まさかその子には無理だよ」
誰もがそう思った。
でも、坂原さんは止めずに賛同した。
「彼女には人を惹きつける文章が書ける。みんな知らないけど、一度だけキャッチコピーの公募で入賞したことがあるんだよ」
僕たちは驚きを隠せない。
彼女の可能性を僕たちは奪おうとしていた。
それが障害者に対する偏見だった。
「障害者だから、これは出来ない」と。
選ばれたその女の子は笑顔で承諾した。
もちろん、君のサポート付きでの契約だが、
その子のセンス溢れるポップで売り上げは上昇したと
坂原さん宛にメールで報告してきた。
君のあの訪問を機に僕は社会で働くことの恐怖を少しずつ払拭し、勇気を持てた。
カフェの外は強い風と共に強く大粒の雨が降っている。
道ゆく人々は皆忙しく歩いている。
今、私はその嵐の天候のような境地にいる。
目の前の男は鋭い北風のような眼で私を睨んでいる。
彼は元夫だ。
結婚している当時、
私たちの間にできた一人娘の親権を奪おうとしている。
私と娘は酒豪の暴力男から逃れるために離婚した。
その理由も理解せず元夫は
娘だけでも手元に置こうとしている。
元夫は口を開く。
「俺になぎさを返せ」と。
私も口を開く。
「もうあの子を危ない目に合わせない」と。
娘の連絡先をしつこく求めてくる元夫の顔に
コップの水をかけた。
「らちが開かない」
そう吐き捨て、私は千円札を一枚置いて店を出た。
外は相変わらずゲリラ豪雨だ。
あんな男に惚れたあの頃の自分を悔やみながら
私は傘をさして雨の中でぼーっと突っ立っていた。
今日のような未来をあの頃は予測していたのだろうか
そんなことを思うことが今日、職場であった。
直属の上司の方が
「エクセルでうまく印刷ができない」と
困っているところに
ちょうど、私がきたらしい。
私がマウスを借りて設定を変えたら
思い通りに印刷ができて、とても喜んでもらえた。
こういう時のために学生時代は
パソコンの資格を取得していた。
しかし、心を病んだあの日からその夢は消えた。
と思っていた。
あの頃は仕事に就くこと自体、雲の上のような話。
その悪夢の絵を塗り替えたのが、
「働きたい」という小さな言葉だった。
今日に限ったことではなく、
パソコンの知識が活かせるからと、
商品のpop作りも少し前から頼まれている。
資格を取得することに努力を積み重ねていたあの頃と
働くという希望を失い、生きるのも億劫だったあの頃
諦めなくてよかったとそれらの頃の私に言いたい。
「こんなの無駄だよね」
って思う事なんて沢山あった。
でも、いつかは役に立つ未来がやってくる。
自分では想像のつかない未来が。
日記として今日までを振り返ってみた。
一つのイガの中で栗である僕たちは
向かい合わせで住んでいる。
与えられた家のようなイガの中で
笑いながら話をしたり
どうでもいいケンカをしたり
慰め合ったりした。
人間によってイガをむかれたあの日
僕たちは離れ離れになった。
「誰かの糧になるなら私たちは生きてきた意味がある。
私は幸せだった。あなたとの暮らしは私の栄養だよ」
君は人間に連れていかれる間際に笑顔でそう告げた。
僕は君の言ったあの二言を自分の糧に変えて、
栗という自分の役目を果たすことを心に決めた。
誰でも挫折の一度や二度なんてザラにあると思う。
私は自慢にしたくないくらい、挫折してきた。
いじめられて心を殺され、
失恋して自分の思い上がりに悔いて、
誇りある仕事を奪われ、居場所もなくし、無職に。
そんなことばかりで
涙で広い湖を作り、やるせない気持ちを沈めていた。
そんなことでがあっても私は生きてる。
自分を心配してくれる人がいる。
自分を楽しませる言葉がある。
自分の好きなもので表現して自分を魅せられる。
だからこそ、前を向いて
「次」を探しに行く。
だからこそ、やるせない気持ちが
原動力への変え方を教えてくれた。
誰にでも成功は無限に存在すると思う。