「にんげんゆたんぽ」
「一緒の布団で寝ていい?いやいや、そういう意味じゃなくて」
「いや、どう考えてもそっちに取るだろ」
子供の頃の冬の寒い夜、きょうだいの布団に潜り込んで眠っていた。
妹よりも弟のほうが、あったかいから──と、小学校高学年くらいまで弟の布団に潜り込んでいたのだ。ちなみに断じてブラコンではない。
「……つまり、人間湯たんぽになれ、と?」
「まぁ、そうだね」
納得したような不服そうな顔をする彼。
「明日早いし。ねぇ、いいでしょ?」
「まぁ、いいけど……」
承諾を得たので、早速ぬくぬくさせてもらった。
アラームを設定するためスマホに手を伸ばす。どうやら雪が降り出したようだ。
「はー……これはいい湯たんぽだわ……」
「たしかに、あったかいな……」
────冬は一緒に
「私がわからない話するのやめて」
「昨日、ドラッグストアの駐車場にセキレイがいて、五歳くらいの子が追いかけててさー」
「駅のクリスマスツリー見てきたんだけど、たいしたことなくて」
「先輩がコロッケパン食べたいなら、コロッケ買って食パンに挟んで食えばいいって言って……」
教室の隅にいると、いろいろな会話が聞こえてくる。
そのほとんどは、聞いても聞かなくても困らない話。
誰が話しても同じだろうと思われる内容。オチのない話。
私には、出来ない。
他人のせいにしたくはないが、心当たりはある。
小学校に入学したばかりの頃。
私は、なかなか周囲の子に話しかけることが出来なかった。
夏になってもひとりぼっち。
そんな私に声をかけてくれた子がいて、私はその子に懐いた。
しかし、その子は人の話を聞かない子だったのだ。
「なにそれ。つまんない」
「ふーん。で?」
「私がわからない話するのやめて」
その子は、自分の話を黙って聞いてくれる子が欲しかっただけだったのだろう。
どんな話題を振っても文句を言い、自分の話にすり替える。
私は何を話したらいいのかわからなくなり──何も話せなくなった。
「完全にトラウマだよなぁ……」
あの子が今どこで何をしているのかわからない。
今もあんな感じなのだろうか。
いや、さすがに成長していると思いたい。
────とりとめもない話
「好きになってしまうじゃないか」
「今日はもう帰りなさい」
普段、口煩い先輩の声が、やたらと大きく聞こえた。
「いえ、まだ途中ですから」
「あとは私がやっておくから、家に帰りなさい」
どうやら俺の要領が悪く邪魔だから帰れというわけではないようだ。
「いいから帰りなさい」
先輩の口調はいつもと同じで鋭いが、眉は下がっている。
これは、残念な子、要らない子ってことか?
「わかりました……」
追い出されるように会社の外に出ると、ひんやりとした風が気持ち良かった。
※
「……ざんじゅうななどはちぶ」
昨晩、布団に入ってからの倦怠感と寒気、体の節々の痛みに嫌な予感はしていたのだ。
誰がどう見ても発熱しているという数値を表示している体温計をスマホで撮影し、送信。
俺の意識はそこで途切れ────
※
汗をかいた不快感に襲われ、瞼を開ける。
カーテンから漏れる光がない。
時間を確認しようとスマホに手を伸ばすと、一通のメッセージが届いていた。
玄関のドアノブに引っ掛けてあるビニール袋を回収。
スポーツドリンク、ゼリー飲料、常温保存できるタイプのゼリー、のど飴、額に貼る冷却シートと汗拭きシート……
そして、その一番下にメモが入っていることに気がついた。
「あーもう……こんなこと書かれたら……」
一昔前のトレンディードラマに出てきそうな、いかにもキャリアウーマンという風貌をしている先輩。
彼女は見た目通り、他人にも厳しい。
その先輩が、昨日やたらと早く帰れと言っていたのは、俺の不調に本人よりも早く気づいたからだろう。
たとえそれが、後輩に対する先輩の『当たり前』の行動だったとしても、こんなの……
ぶるぶると首を振る。
いやいや、風邪で思考がおかしくなってるだけだ。
俺はすべてを熱のせいにした。
それが間違いであると気づくのは、まだまだ先の話──
────風邪
「彼女の季節」
ローカルテレビ番組やラジオから聞こえてくるのは、季節の挨拶のような注意喚起。
『タイヤの交換はお済みでしょうか』
『冬用タイヤへの交換はお早めに』
山に三度雪が降ると里でも降る──という言い伝えがある。
すでに二度雪を冠った山。
今朝は濃い霧で何も見えない。
ルーズリーフを一枚取り出して、彼女は窓の外へと視線を向けた。
「ふふ……たのしみ」
にまにまと笑う彼女。
おそらく、これから始まるウインタースポーツシーズンに思いを馳せているのだろう。
「また勉強中なのにニヤニヤしてる。そんなにスキー場のオープン日決定が嬉しいか」
週明けからの試験が終われば自宅学習期間という名の試験休み。
ちょうどその頃に大雪が降るという予報が出ているのだ。
「だって、新しいウェア買っちゃったんだもん。見る?」
「いや、今はいい」
「えー」
「勉強が先だろ。終わってから見せてくれよ」
筋金入りのスノーボーダーの彼女が、一番輝く季節がやってくる。
────雪を待つ
「もうひとつの東京タワー」
婚活イベントで出会った人とのデートは今日で三回目。
まさかお目当ての東京タワーの展望台に登る前に結論が出てしまうなんて。
だが、答えが出たからと言って、ここで帰るのもどうなんだろう……
星の見えない都会の空に、スッと伸びる矢印のような塔。
キラキラと輝く色は、目が痛くなるほど。
写真や動画を撮るカップルたち。
私たちもそういう風に見えているのだろうか──それは嫌だな。
自分でも驚くほど、スッと出てきた感覚に、安堵し、申し訳ない気持ちになる。
だが、それはそれ、これはこれとして、東京タワーに登ることを楽しんだ方が良いだろう。
東京生まれの東京育ちだけど、こうやって東京タワーの中に入るのは初めてだから。
周囲の圧倒的なカップル率に、ますます「同じように見られなくない」という思いが積み上がる。
展望台から街を見下ろす。
「……あ、これが『もうひとつの東京タワー』か」
都道三○一号と国道一号が合流しており、そこを走る車のライトが塔のように見えるのだ。
日没してからでないと見ることが出来ない、もうひとつの東京タワー。
それは美しくもあり、どこか滑稽でもある。
手を繋いでいいかと言われ、恥ずかしいからと断わった。本当はそれ以前の問題なのだけど。
次に会う約束を交わさない会話は、なかなか難しく、帰りの乗り換え駅で別れたあと、疲れのあまり大きな溜息が出た。
やっぱり、周りに流されて始めた婚活だからなのだろう。
条件だけでは好きになれない。好きになれそうもないとか、何様だ私は。
しばらく婚活は休もう。
お断りするのにこんなに労力が要るなんて、思わなかった。
────イルミネーション